春秋左氏伝 / 襄公五年 季文子、私積無し
九月。丙午。盟于戚。會吳。且命戍陳也。穆叔以屬鄫為不利。使鄫大夫聽命于會。楚子囊為令尹。范宣子曰。我喪陳矣。楚人討貳。而立子囊。必改行。而疾討陳。陳近于楚。民朝夕急。能無往乎。有陳。非吾事也。無之而後可。冬。諸侯戍陳。子囊伐陳。十一月。甲午。會于城棣以救之。季文子卒。大夫入斂。公在位。宰庀家器為葬備。無衣帛之妾。無食粟之馬。無藏金玉。無重器備。君子是以知季文子之忠於公室也。相三君矣。而無私積。可不謂忠乎。
新字:九月。丙午。盟于戚。会呉。且命戍陳也。穆叔以属鄫為不利。使鄫大夫聴命于会。楚子嚢為令尹。范宣子曰。我喪陳矣。楚人討貳。而立子嚢。必改行。而疾討陳。陳近于楚。民朝夕急。能無往乎。有陳。非吾事也。無之而後可。冬。諸侯戍陳。子嚢伐陳。十一月。甲午。会于城棣以救之。季文子卒。大夫入斂。公在位。宰庀家器為葬備。無衣帛之妾。無食粟之馬。無蔵金玉。無重器備。君子是以知季文子之忠於公室也。相三君矣。而無私積。可不謂忠乎。
書き下し
九月、丙午、戚に盟ふ。吳に會し、且つ陳を戍ることを命ずるなり。穆叔、鄫を屬するを以て不利と爲し、鄫の大夫をして命を會に聽かしむ。楚の子囊、令尹と爲る。范宣子曰く、「我、陳を喪はん。楚人、貳を討ちて子囊を立つ。必ず行ひを改めて、疾(と)く陳を討たん。陳は楚に近く、民朝夕に急なり。能く往くこと無からんや。陳を有つは、吾が事に非ざるなり。之を無くして後に可なり」と。冬、諸侯陳を戍る。子囊、陳を伐つ。十一月、甲午、城棣に會して以て之を救ふ。季文子卒す。大夫入りて斂す。公、位に在り。宰、家器を庀(そな)へて葬の備へと爲す。帛を衣るの妾無く、粟を食むの馬無く、金玉を藏すること無く、重器の備へ無し。君子是を以て季文子の公室に忠なるを知る。三君に相として、私積無し。忠と謂はざるべけんや。
現代語訳
九月丙午の日、戚で盟約を結んだ。呉と会し、あわせて諸侯に陳を守備するよう命じるためである。穆叔(叔孫豹)は、鄫を附庸とするのは魯にとって不利だと考え、鄫の大夫に直接この会で晋の命令を受けさせた(鄫を魯から切り離した)。楚では子囊(しのう、公子貞)が令尹となった。晋の范宣子(士匄)は言った。「我々は陳を失うだろう。楚は二心を抱いた陳を討とうとして子囊を立てた。子囊は必ず前任者のやり方を改め、すみやかに陳を討つだろう。陳は楚に近く、民は朝夕に危急に迫られる。楚に帰服せずにいられようか。陳を保つことは、我々の手に余る。陳を手放してこそ、うまくいくのだ」。冬、諸侯は陳を守備した。子囊が陳を討った。十一月甲午の日、諸侯は城棣で会して陳を救援した。魯の季文子が亡くなった。大夫たちが季文子の家に入って納棺した。襄公もその場に臨んだ。家宰は季氏の家の器物をそろえて葬儀の支度とした。絹を着る妾はおらず、穀物を食べる馬もおらず、金や玉をしまい込んでもおらず、貴重な器物の蓄えもなかった。君子はこれによって、季文子が公室に忠実であったことを知った。三代の君主の宰相を務めながら、私財の蓄えがなかった。忠と言わずにいられようか。
解説
この章句が説くこと
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