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春秋左氏伝 / 成公十八年 悼公、百官を命ず

二月。乙酉朔。晉侯悼公即位于朝。始命百官。施舍已責。逮鰥寡。振廢滯。匡乏困。救災患。禁淫慝。薄賦斂。宥罪戾。節器用。時用民。欲無犯。時使魏相。士魴。魏頡。趙武為卿。荀家。荀會。欒黶。韓無忌為公族大夫。使訓卿之子弟。共儉孝弟。使士渥濁為大傅。使脩范武子之法。右行辛為司空。使脩士蒍之法。弁糾御戎。校正屬焉。使訓諸御知義。荀賓為右。司士屬焉。使訓勇力之士。時使卿無共御。立軍尉以攝之。祁奚為中軍尉。羊舌職佐之。魏絳為司馬。張老為候奄。鐸遏寇為上軍尉。籍偃為之司馬。使訓卒乘。親以聽命。程鄭為乘馬御。六騶屬焉。使訓群騶知禮。凡六官之長。皆民譽也。舉不失職。官不易方。爵不踰德。師不陵正。旅不偪師。民無謗言。所以復霸也。公如晉。朝嗣君也。

新字:二月。乙酉朔。晋侯悼公即位于朝。始命百官。施舎已責。逮鰥寡。振廃滞。匡乏困。救災患。禁淫慝。薄賦斂。宥罪戻。節器用。時用民。欲無犯。時使魏相。士魴。魏頡。趙武為卿。荀家。荀会。欒黶。韓無忌為公族大夫。使訓卿之子弟。共倹孝弟。使士渥濁為大傅。使脩范武子之法。右行辛為司空。使脩士蒍之法。弁糾御戎。校正属焉。使訓諸御知義。荀賓為右。司士属焉。使訓勇力之士。時使卿無共御。立軍尉以摂之。祁奚為中軍尉。羊舌職佐之。魏絳為司馬。張老為候奄。鐸遏寇為上軍尉。籍偃為之司馬。使訓卒乗。親以聴命。程鄭為乗馬御。六騶属焉。使訓群騶知礼。凡六官之長。皆民誉也。舉不失職。官不易方。爵不踰徳。師不陵正。旅不偪師。民無謗言。所以復覇也。公如晋。朝嗣君也。

書き下し

二月、乙酉、朔、晉侯悼公、朝に位に即く。始めて百官に命ず。施舍して責(さい)を已め、鰥寡に逮(およ)ぼし、廢滯を振(すく)ひ、乏困を匡(ただ)し、災患を救ひ、淫慝を禁じ、賦斂を薄くし、罪戾を宥(ゆる)し、器用を節し、時に民を用ゐ、欲して時を犯すこと無し。魏相・士魴・魏頡・趙武をして卿と爲らしむ。荀家・荀會・欒黶・韓無忌を公族大夫と爲し、卿の子弟を訓へて、共儉孝弟ならしむ。士渥濁をして大傅と爲し、范武子の法を脩めしむ。右行辛を司空と爲し、士蒍の法を脩めしむ。弁糾、戎に御し、校正焉に屬す。諸御を訓へて義を知らしむ。荀賓を右と爲し、司士焉に屬す。勇力の士を訓へて時に使はしむ。卿、共御すること無く、軍尉を立てて以て之を攝せしむ。祁奚を中軍尉と爲し、羊舌職之を佐く。魏絳を司馬と爲し、張老を候奄と爲す。鐸遏寇を上軍尉と爲し、籍偃之が司馬と爲り、卒乘を訓へて、親しみて以て命を聽かしむ。程鄭を乘馬御と爲し、六騶焉に屬す。群騶を訓へて禮を知らしむ。凡そ六官の長、皆民の譽(ほま)れなり。舉げて職を失はず、官は方を易へず、爵は德を踰えず、師は正を陵(しの)がず、旅は師に偪らず、民に謗言無し。霸を復する所以なり。公、晉に如く。嗣君に朝するなり。

現代語訳

二月乙酉の朔日、晋侯悼公(とうこう、周子)は朝廷で即位した。はじめて百官を任命した。恩恵を施して民の負債を帳消しにし、男やもめや寡婦にまで恩恵を及ぼし、埋もれ滞っていた人材を引き上げ、貧しく困っている者を助け、災害に遭った者を救い、淫らで邪な行いを禁じ、税の取り立てを軽くし、罪を犯した者を赦し、器物の用い方を節約し、民を使うのは農閑期に限り、自分の欲のために農時を犯すことはしなかった。魏相(ぎしょう)、士魴、魏頡(ぎけつ)、趙武(ちょうぶ)を卿とした。荀家、荀会、欒黶(らんえん)、韓無忌(かんむき)を公族大夫とし、卿の子弟を教育して、恭しく慎み深く、親に孝行で兄に従順であるようにさせた。士渥濁(しあくだく)を大傅(たいふ、君の補導役)とし、范武子(はんぶし、士会)の定めた法を修めさせた。右行辛(ゆうこうしん)を司空とし、士蒍(しい)の定めた法を修めさせた。弁糾(べんきゅう)を君の戦車の御者とし、馬を管理する校正の官をその下に属させ、御者たちを教えて義をわきまえさせた。荀賓(じゅんひん)を車右とし、司士の官をその下に属させ、勇力の士を教えて、しかるべき時に使えるようにさせた。卿が君の戦車の御者を兼ねることはやめ、軍尉を置いてその役を代行させた。祁奚(きけい)を中軍尉とし、羊舌職(ようぜつしょく)にこれを補佐させた。魏絳(ぎこう)を司馬とし、張老(ちょうろう)を候奄(斥候の長)とした。鐸遏寇(たくあつこう)を上軍尉とし、籍偃(せきえん)をその司馬とし、歩兵と戦車兵を教えて、上下が親しみ合い命令に従うようにさせた。程鄭(ていてい)を乗馬御(君の乗馬を扱う長)とし、六騶(ろくすう、馬丁の諸官)をその下に属させ、馬丁たちを教えて礼をわきまえさせた。およそ六官の長は、いずれも民に評判のよい者たちであった。登用された者は職務を失わず、官は職分をはみ出さず、爵位は徳を越えず、師(軍の長)は正(上官)をしのがず、旅(下の部隊長)は師に迫らず、民には誹りの言葉がなかった。晋が再び覇者となった理由である。魯の成公は晋に行った。新しく立った晋君に朝見するためである。

解説

君主殺しの混乱の直後に即位した十四歳の悼公が、最初に行った人事と施政の記録である。前半は民への施策で、負債の免除、孤独な者への手当て、埋もれた人材の登用、減税、赦免、節約と、一つ一つは地味だが、前代の厲公が寵臣政治で失ったものを順に取り戻している。後半は人事で、卿から馬丁の長に至るまで、誰を何に就け、何を教えさせるかが細かく並ぶ。注目したいのは、多くの任命に「訓へて」と、教育の責任がついている点である。役職を与えるだけでなく、その下の者を育てる務めまで一緒に負わせている。結びの「爵は德を踰えず、師は正を陵がず、旅は師に偪らず」は、位が実力を越えず、下が上を侵さない状態を言う。厲公の代に下の者が卿を殺し、卿が君を殺した晋にとって、これこそ回復すべき秩序であった。組織を立て直すとき、派手な改革より、適所への配置と育成の責任の明確化が効くことを、この長い名簿は語っている。

この章句が説くこと

人材登用適材適所育成秩序仁政覇業

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