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春秋左氏伝 / 成公十八年 菽麦を弁ぜず

十八年春。王正月。庚申。晉欒書。中行偃。使程滑弒厲公。葬之于翼東門之外。以車一乘。使荀罃。士魴。逆周子于京師而立之。生十四年矣。大夫逆于清原。周子曰。孤始願不及此。雖及此。豈非天乎。抑人之求君。使出命也。立而不從將安用君。二三子用我今日。否亦今日。共而從君。神之所福也。對曰。群臣之願也。敢不唯命是聽。庚午。盟而入。館于伯子同氏辛巳。朝于武宮。逐不臣者七人。周子有兄而無慧。不能辨菽麥。故不可立。齊為慶氏之難故。甲申晦。齊侯使士華免以戈殺國佐于內宮之朝。師逃于夫人之宮。書曰。齊殺其大夫國佐。棄命專殺。以穀叛故也。使清人殺國勝。國弱來奔。王湫奔萊。慶封為大夫。慶佐為司寇。既。齊侯反國弱。使嗣國氏。禮也。

新字:十八年春。王正月。庚申。晋欒書。中行偃。使程滑弒厲公。葬之于翼東門之外。以車一乗。使荀罃。士魴。逆周子于京師而立之。生十四年矣。大夫逆于清原。周子曰。孤始願不及此。雖及此。豈非天乎。抑人之求君。使出命也。立而不従将安用君。二三子用我今日。否亦今日。共而従君。神之所福也。対曰。群臣之願也。敢不唯命是聴。庚午。盟而入。館于伯子同氏辛巳。朝于武宮。逐不臣者七人。周子有兄而無慧。不能弁菽麦。故不可立。斉為慶氏之難故。甲申晦。斉侯使士華免以戈殺国佐于内宮之朝。師逃于夫人之宮。書曰。斉殺其大夫国佐。棄命専殺。以穀叛故也。使清人殺国勝。国弱来奔。王湫奔萊。慶封為大夫。慶佐為司寇。既。斉侯反国弱。使嗣国氏。礼也。

書き下し

十八年春、王の正月、庚申、晉の欒書・中行偃、程滑をして厲公を弒せしむ。之を翼の東門の外に葬るに、車一乘を以てす。荀罃・士魴をして周子を京師に逆へて之を立てしむ。生まれて十四年なり。大夫、清原に逆ふ。周子曰く、「孤、始めより願ふこと此に及ばず。此に及ぶと雖も、豈に天に非ずや。抑(そもそ)も人の君を求むるは、命を出ださしめんとなり。立てて從はずんば、將た安くにか君を用ゐん。二三子、我を用ゐんとならば今日、否ならば亦た今日なり。共(つつし)みて君に從ふは、神の福する所なり」と。對へて曰く、「群臣の願ひなり。敢へて唯だ命に是れ聽かざらんや」と。庚午、盟ひて入り、伯子同氏に館す。辛巳、武宮に朝し、不臣なる者七人を逐ふ。周子に兄有れども慧(さと)きこと無く、菽麥を辨ずること能はず、故に立つべからず。齊、慶氏の難の爲の故に、甲申、晦、齊侯、士華免をして戈を以て國佐を内宮の朝に殺さしむ。師、夫人の宮に逃る。書して曰く、「齊、其の大夫國佐を殺す」と。命を棄て、專ら殺し、穀を以て叛きし故なり。清の人をして國勝を殺さしむ。國弱來奔す。王湫、萊に奔る。慶封、大夫と爲り、慶佐、司寇と爲る。既にして、齊侯、國弱を反し、國氏を嗣がしむ。禮なり。

現代語訳

成公十八年の春、周王の暦の正月、庚申の日に、晋の欒書と中行偃は程滑(ていかつ)に命じて厲公を殺させた。厲公は翼(晋の旧都)の東門の外に葬られ、副葬の車はわずか一乗であった(君主の礼を尽くさなかったのである)。欒書らは荀罃(じゅんおう、知武子)と士魴(しほう)を周の都に遣わして周子(しゅうし、孫周、のちの悼公)を迎えさせ、君に立てた。周子はこのとき十四歳であった。大夫たちは清原で出迎えた。周子は言った。「私はもともと、ここまでのことは願っていなかった。それがここに至ったのは、天の意志ではなかろうか。そもそも人が君主を求めるのは、君主に命令を出させるためである。君に立てておきながら命令に従わないのなら、君主など何の役に立とう。あなたがたが私を用いるなら今日決めよ。用いないなら、それも今日決めよ。つつしんで君に従うことこそ、神が福を授けるところである」。大夫たちは答えた。「それこそ臣下一同の願いです。どうして命令にだけ従わないことがありましょう」。庚午の日、盟約を交わして国都に入り、伯子同氏の家に宿った。辛巳の日、武公の廟に参拝して即位を告げ、臣下としての道に外れた者七人を追放した。周子には兄がいたが、知恵がなく、豆と麦の区別もつかなかったので、君に立てることはできなかったのである。齊では、慶氏の事件(国佐が慶克を殺した一件)があったため、甲申の月末の日に、齊侯(霊公)が士華免(しかめん)に命じて、内宮の朝廷で国佐(こくさ)を戈で殺させた。国佐の兵は夫人の宮殿に逃げ込んだ。『春秋』が「齊がその大夫国佐を殺した」と書いたのは、国佐が君命を捨て、勝手に人を殺し、穀の邑に拠って叛いたので、罪ある者として記したのである。齊侯は清の人に命じて国勝(国佐の子)を殺させた。国弱(国佐の子)は魯に亡命してきた。王湫(おうしゅう)は萊に逃げた。慶封(けいほう)が大夫となり、慶佐が司寇(司法の長)となった。しばらくして齊侯は国弱を呼び戻し、国氏の家を継がせた。これは礼にかなったことである。

解説

厲公が殺され、周の都にいた十四歳の周子、のちの晋の悼公が迎えられる。この少年の第一声が見事である。人が君を求めるのは命令を出させるためであり、立てておいて従わないなら君は要らない、私を用いるかどうか今日決めよ、と言う。君主を殺したばかりの重臣たちに、服従の約束を即位の条件として突きつけたのである。担がれる立場でありながら、担ぐ側の思惑を見抜き、主導権を最初に取りにいった。兄が「菽麦を弁ぜず」、豆と麦の区別もつかなかったため立てられなかったという記事は、愚かさを言う成語として後世に残った。後半は齊の国佐誅殺で、左伝は書法から、君命を捨て専断で人を殺し邑に拠って叛いた罪を挙げつつ、子の国弱に家を継がせたことを礼と評する。罪は本人に止め、家は絶やさないという線引きである。新しく着任する者が最初の数日に何を言い、何をするかで、その後の関係の形がほぼ決まるという事実を、この場面はよく示している。

この章句が説くこと

即位主導権君臣の約後継者礼処罰

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