春秋左氏伝 / 成公十七年 晋の厲公、三郤を疑う
十二月。盧降。使國勝告難于晉。待命于清。晉厲公侈。多外嬖。反自鄢陵。欲盡去群大夫而立其左右。胥童以胥克之廢也。怨郤氏。而嬖於厲公。郤錡奪夷陽五田。五亦嬖於厲公。郤犨與長魚矯爭田。執而梏之。與其父母妻子同一轅。既矯。亦嬖於厲公。欒書怨郤至。以其不從己而敗楚師也。欲廢之。使楚公子茷告公曰。此戰也。郤至實召寡君。以東師之未至也。與軍帥之不具也。曰此必敗。吾因奉孫周以事君。公告欒書。書曰。其有焉。不然。豈其死之不恤。而受敵使乎。君盍嘗使諸周而察之。郤至聘于周。欒書使孫周見之。公使覘之信。遂怨郤至。厲公田。與婦人先殺而飲酒。後使大夫殺。郤至奉豕。寺人孟張奪之。郤至。射而殺之。公曰。
新字:十二月。盧降。使国勝告難于晋。待命于清。晋厲公侈。多外嬖。反自鄢陵。欲尽去群大夫而立其左右。胥童以胥克之廃也。怨郤氏。而嬖於厲公。郤錡奪夷陽五田。五亦嬖於厲公。郤犨与長魚矯争田。執而梏之。与其父母妻子同一轅。既矯。亦嬖於厲公。欒書怨郤至。以其不従己而敗楚師也。欲廃之。使楚公子茷告公曰。此戦也。郤至実召寡君。以東師之未至也。与軍帥之不具也。曰此必敗。吾因奉孫周以事君。公告欒書。書曰。其有焉。不然。豈其死之不恤。而受敵使乎。君盍嘗使諸周而察之。郤至聘于周。欒書使孫周見之。公使覘之信。遂怨郤至。厲公田。与婦人先殺而飲酒。後使大夫殺。郤至奉豕。寺人孟張奪之。郤至。射而殺之。公曰。
書き下し
十二月、盧降る。國勝をして難を晉に告げしめ、命を清に待たしむ。晉の厲公侈(おご)りて、外嬖多し。鄢陵より反(かへ)り、盡く群大夫を去りて其の左右を立てんと欲す。胥童、胥克の廢せらるるを以て、郤氏を怨み、而して厲公に嬖せらる。郤錡、夷陽五の田を奪ふ。五も亦た厲公に嬖せらる。郤犨、長魚矯と田を爭ひ、執へて之を梏(こく)し、其の父母妻子と轅(ながえ)を同一にす。既にして矯も亦た厲公に嬖せらる。欒書、郤至を怨む、其の己に從はずして楚師を敗りしを以てなり。之を廢せんと欲す。楚の公子茷をして公に告げしめて曰く、「此の戰ひや、郤至實に寡君を召けり。東師の未だ至らざると、軍帥の具はらざるとを以て、曰く、『此れ必ず敗れん。吾因りて孫周を奉じて以て君に事へん』と」と。公、欒書に告ぐ。書曰く、「其れ有らん。然らずんば、豈に其の死を之れ恤(うれ)へずして、敵の使を受けんや。君盍(なん)ぞ嘗みに諸を周に使はして之を察せざる」と。郤至、周に聘す。欒書、孫周をして之に見えしむ。公、之を覘(うかが)はしむるに信なり。遂に郤至を怨む。厲公田(かり)す。婦人と先づ殺して酒を飲み、後に大夫をして殺さしむ。郤至、豕を奉ず。寺人孟張、之を奪ふ。郤至、射て之を殺す。公曰く、
現代語訳
十二月、盧(ろ、齊の邑で、高弱が拠って叛いていた)が降伏した。齊は国勝(こくしょう、国佐の子)を晋に遣わして国内の事変を告げさせ、清の地で晋の指示を待たせた。晋の厲公(れいこう)は驕って贅沢で、卿の家柄でない寵臣を多く抱えていた。鄢陵の戦いから帰ると、大夫たちをことごとく除き、自分の側近を立てようとした。胥童(しょどう)は、父の胥克がかつて郤氏によって廃されたことから郤氏を怨んでおり、しかも厲公に寵愛されていた。郤錡(げきき、郤氏の宗主、駒伯)は夷陽五(いようご)の田地を奪ったが、夷陽五もまた厲公に寵愛されていた。郤犨(げきしゅう、苦成叔)は長魚矯(ちょうぎょきょう)と田地を争い、長魚矯を捕らえて手枷をはめ、その父母・妻子と一緒に一本の車の轅に縛りつけた。その後、長魚矯もまた厲公に寵愛されるようになった。欒書(らんしょ、晋の中軍の将)は郤至(げきし、温季)を怨んでいた。鄢陵で郤至が自分の意見に従わずに楚軍を破ったからである。欒書は郤至を失脚させようと考え、捕虜となっていた楚の公子茷(はつ)に厲公へこう告げさせた。「あの戦いは、実は郤至が我が君(楚王)を招き寄せたのです。晋の東方の援軍がまだ到着せず、軍の将帥もそろっていないので、『これなら晋は必ず負ける。そのときは私が孫周(そんしゅう、晋の公族で周の都にいた)を奉じて君にお仕えしよう』と言ってきたのです」。厲公はこのことを欒書に告げた。欒書は言った。「そういうことはあったでしょう。そうでなければ、どうして自分の命も顧みずに、敵の使者を受け入れたりするでしょうか(鄢陵の戦いで郤至は楚王の使者と礼を交わしていた)。君はためしに郤至を周に使いに出して、様子を探ってはいかがですか」。郤至が周に聘問に行くと、欒書は孫周を郤至に会わせた。厲公が人を遣わしてこれをひそかに見させると、確かに会っていた。そこで厲公は郤至を怨むようになった。厲公が狩りをしたとき、まず婦人たちと獲物を射て酒を飲み、そのあとで大夫たちに射させた。郤至が猪を献上しようとすると、宦官の孟張(もうちょう)がそれを奪った。郤至は孟張を射殺した。厲公は言った。
解説
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史記 老子韓非列伝人或いは其の書を伝へて秦に至る。秦王、孤憤・五蠹の書を見て曰く、「嗟乎、寡人此の人を見、之と游ぶを得ば、死すとも恨みじ」と。李斯曰く、「此れ韓非の著す所の書なり」と。秦因りて急に韓を攻む。韓王、始め非を用ゐず、急なるに及び、乃ち非を遣り秦に使ひせしむ。秦王之を悦ぶも、未だ信用せず。李斯・姚賈之を害み、之を毀りて曰く、「韓非は韓の諸公子なり。今王、諸侯を并せんと欲するに、非は終に韓の為にして秦の為にせず、此れ人の情なり。今王用ゐずして久しく留めて之を帰すは、此れ自ら患ひを遺すなり。過法を以て之を誅するに如かず」と。秦王、以て然りと為し、吏に下して非を治む。李斯、人をして非に薬を遺らしめ、自殺せしむ。韓非、自ら陳べんと欲するも、見ゆるを得ず。秦王後に之を悔い、人をして之を赦さしむるに、非已に死せり。申子・韓子皆書を著し、後世に伝はり、学ぶ者多く有り。余独り韓子の説難を為りて自ら脱する能はざりしを悲しむのみ。
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史記 司馬穰苴列伝已にして大夫鮑氏・高・国の属之を害み、景公に譖る。景公、穰苴を退く。苴、疾を発して死す。田乞・田豹の徒、此れに由り高・国等を怨む。其の後、田常の簡公を殺すに及び、尽く高子・国子の族を滅ぼす。常の曾孫和に至り、因りて自立して斉の威王と為り、兵を用ゐ威を行ふに、大いに穰苴の法に放ひ、而して諸侯斉に朝す。
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『春秋左氏伝』成公十六年 穆姜、二子を逐わしむ宣伯穆姜に通じ、季・孟を去りて、其の室を取らんと欲す。將に行かんとす。穆姜公を送りて、二子を逐はしめんとす。公晉の難を以って告げて曰く、「請ふ反りて命を聽かん」と。姜怒る。公子偃・公子鉏、趨り過ぐ。之を指して曰く、「女可かずんば、是れ皆君なり」と。公壞隤に待ち、宮を申ね儆備し、守を設けて而る後に行く。是を以って後る。孟獻子をして公宮を守らしむ。秋、沙隨に會す。鄭を伐たんことを謀るなり。宣伯郤犨に告げしめて曰く、「魯侯壞隤に待つ、以って勝者を待つなり」と。郤犨新軍に將たり、且つ公族大夫為り、以って東諸侯を主る。貨を宣伯に取りて、公を晉侯に訴ふ。晉侯公に見えず。曹人晉に請ひて曰く、「我が先君宣公即世してより、國人曰く、『之を若何せん』と。憂ひ猶ほ未だ弭まず。而るに又我が寡君を討ち、以って曹國の社稷の鎮たる公子を亡はしむ。是れ大いに曹を泯ぼすなり。先君乃ち罪有る無からんや。若し罪有らば、則ち君諸を會に列せり。君唯だ德刑を遺れずして、以って諸侯に伯たり。豈に獨り諸を敝邑に遺れんや。敢へて私かに之を布く」と。
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史記 孟嘗君列伝居ること数年、人或ひと孟嘗君を斉の湣王に毀りて曰く、「孟嘗君将に乱を為さんとす」と。田甲の湣王を劫かすに及び、湣王意に孟嘗君を疑ふ、孟嘗君乃ち奔る。魏子の粟を与へし所の賢者これを聞き、乃ち上書して孟嘗君の乱を作さざるを言ひ、身を以て盟と為さんことを請ひ、遂に宮門に自剄して以て孟嘗君を明らかにす。湣王乃ち驚き、而して蹤跡験問す、孟嘗君果たして反謀無し、乃ちまた孟嘗君を召す。孟嘗君因りて病を謝し、帰りて薛に老せんとす。湣王これを許す。その後、秦の亡将呂礼斉に相たり、蘇代を困しめんと欲す。代乃ち孟嘗君に謂ひて曰く、「周最の斉に於けるや、至って厚し、而るに斉王これを逐ひ、而して親弗の呂礼を相とするを聴くは、秦を取らんと欲すればなり。斉・秦合せば、則ち親弗と呂礼と重からん。用ひらるる有らば、斉・秦必ず君を軽んぜん。君は急ぎ兵を北し、趙に趨きて以て秦・魏と和し、周最を収めて以て行ひを厚くし、且つ斉王の信を反し、また天下の変を禁ずるに如かず。斉に秦無くんば、則ち天下斉に集まり、親弗必ず走らん、則ち斉王孰と与にその国を為めん」と。是に於いて孟嘗君その計に従ふ、而して呂礼孟嘗君を嫉み害せんとす。孟嘗君懼れ、乃ち秦の相穣侯魏冉に書を遺りて曰く、「吾聞く、秦は呂礼を以て斉を収めんと欲すと。斉は天下の彊国なり、子必ず軽んぜられん。斉・秦相取りて以て三晋に臨まば、呂礼必ず并せて相たらん、是れ子は斉に通じて以て呂礼を重くするなり。若し斉天下の兵を免れば、その子を讎とすること必ず深からん。子は秦王に勧めて斉を伐たしむるに如かず。斉破れなば、吾請ふ得る所を以て子を封ぜん。斉破れなば、秦は晋の彊きを畏れ、秦必ず子を重んじて以て晋を取らん。晋国は斉に敝れて秦を畏れ、晋必ず子を重んじて以て秦を取らん。是れ子は斉を破りて以て功と為し、晋を挟みて以て重きを為すなり。是れ子は斉を破りて封を定め、秦・晋交々子を重んずるなり。若し斉破れずして、呂礼また用ひらるれば、子必ず大いに窮せん」と。
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『春秋左氏伝』成公十六年 晋の政、門多し七月、公尹武公及び諸侯に會して鄭を伐つ。將に行かんとす。姜又公に命ずること初めの如し。公又守を申ねて行く。諸侯の師、鄭の西に次る。我が師督揚に次り、敢へて鄭を過ぎず。子叔聲伯叔孫豹をして逆を晉の師に請はしめ、食を鄭の郊に為る。師逆へて以って至る。聲伯四日食はずして以って之を待ち、使者に食はしめて、而る後に食ふ。諸侯制田に遷る。知武子下軍に佐たり、諸侯の師を以って陳を侵し、鳴鹿に至る。遂に蔡を侵して未だ反らず。諸侯潁上に遷る。戊午、鄭の子罕宵に之に軍し、宋・齊・衞皆軍を失ふ。曹人復た晉に請ふ。晉侯子臧に謂ふ、「反れ。吾而の君を歸さん」と。子臧反り、曹伯歸る。子臧盡く其の邑と卿とを致して、出でず。宣伯郤犨に告げしめて曰く、「魯の季・孟有るは、猶ほ晉の欒・范有るがごときなり。政令是に於いてか成る。今其の謀りて曰く、『晉の政は門多し、從ふ可からざるなり。寧ろ齊・楚に事へん。亡ぶる有るのみ。晉に從ふこと蔑からん』と。若し志を魯に得んと欲せば、請ふ行父を止めて之を殺せ。我蔑を斃して晉に事へん。貳有ること蔑からん。魯貳せずんば、小國必ず睦まじ。然らずんば、歸りて必ず叛かん」と。
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史記 晋世家遂に与に戦ふ。癸巳、射て楚の共王の目に中て、楚の兵鄢陵に敗る。子反余兵を収め、拊循して復た戦はんと欲す。晋之を患ふ。共王子反を召す。其の侍者豎陽穀酒を進む。子反酔ひて、見ゆること能はず。王怒り、子反を譲む。子反死す。王遂に兵を引きて帰る。晋此に由りて諸侯に威あり、以て天下に令して覇を求めんと欲す。厲公外嬖の姫多し。帰りて、尽く群大夫を去りて諸姫の兄弟を立てんと欲す。寵姫の兄を胥童と曰ふ。嘗て郤至と怨み有り。及び欒書も又郤至の其の計を用ひずして遂に楚を敗りしを怨む。乃ち人をして間に楚に謝せしむ。楚来たりて厲公を詐りて曰く、「鄢陵の戦ひは、実に至楚を召し、乱を作さんと欲し、子周を内れて之を立てんとす。会々与国具はらず。是を以て事成らず」と。厲公欒書に告ぐ。欒書曰く、「其れ殆ど有らん。願はくは公試みに人をして周に之かしめて微かに之を考へしめよ」と。果たして郤至を周に使ひせしむ。欒書又公子周をして郤至に見えしむ。郤至売らるるを知らざるなり。厲公之を験みて、信に然りとし、遂に郤至を怨み、之を殺さんと欲す。八年、厲公猟し、姫と飲む。郤至豕を殺して奉進す。宦者之を奪ふ。郤至宦者を射殺す。公怒りて曰く、「季子予を欺く」と。将に三郤を誅せんとして、未だ発せず。郤鉤公を攻めんと欲して曰く、「我死すと雖も、公も亦た病まん」と。郤至曰く、「信は君に反かず、智は民を害せず、勇は乱を作さず。此の三つの者を失はば、誰か我に与せん。我死せんのみ」と。十二月壬午、公胥童をして兵八百人を以て三郤を襲攻して殺さしむ。胥童因りて以て欒書・中行偃を朝に劫かして曰く、「二子を殺さずんば、患必ず公に及ばん」と。公曰く、「一旦にして三卿を殺す。寡人益すに忍びず」と。対へて曰く、「人将に君に忍ばんとす」と。公聴かず。欒書等に謝するに郤氏の罪を誅するを以てし、「大夫位に復せ」と。二子頓首して曰く、「幸甚、幸甚」と。公胥童をして卿と為らしむ。
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