史記 / 晋世家
遂與戰。癸巳,射中楚共王目,楚兵敗於鄢陵。子反收餘兵,拊循欲復戰,晉患之。共王召子反,其侍者豎陽穀進酒,子反醉,不能見。王怒,讓子反,子反死。王遂引兵歸。晉由此威諸侯,欲以令天下求霸。厲公多外嬖姬,歸,欲盡去群大夫而立諸姬兄弟。寵姬兄曰胥童,嘗與郤至有怨,及欒書又怨郤至不用其計而遂敗楚,乃使人閒謝楚。楚來詐厲公曰:「鄢陵之戰,實至召楚,欲作亂,内子周立之。會與國不具,是以事不成。」厲公告欒書。欒書曰:「其殆有矣!願公試使人之周微考之。」果使郤至於周。欒書又使公子周見郤至,郤至不知見賣也。厲公驗之,信然,遂怨郤至,欲殺之。八年,厲公獵,與姬飲,郤至殺豕奉進,宦者奪之。郤至射殺宦者。公怒,曰:「季子欺予!」將誅三郤,未發也。郤鉤欲攻公,曰:「我雖死,公亦病矣。」郤至曰:「信不反君,智不害民,勇不作亂。失此三者,誰與我?我死耳!」十二月壬午,公令胥童以兵八百人襲攻殺三郤。胥童因以劫欒書、中行偃于朝,曰:「不殺二子,患必及公。」公曰:「一旦殺三卿,寡人不忍益也。」對曰:「人將忍君。」公弗聽,謝欒書等以誅郤氏罪:「大夫復位。」二子頓首曰:「幸甚幸甚!」公使胥童爲卿。
新字:遂与戦。癸巳,射中楚共王目,楚兵敗於鄢陵。子反収余兵,拊循欲復戦,晋患之。共王召子反,其侍者豎陽穀進酒,子反酔,不能見。王怒,譲子反,子反死。王遂引兵帰。晋由此威諸侯,欲以令天下求覇。厲公多外嬖姫,帰,欲尽去群大夫而立諸姫兄弟。寵姫兄曰胥童,嘗与郤至有怨,及欒書又怨郤至不用其計而遂敗楚,乃使人閒謝楚。楚来詐厲公曰:「鄢陵之戦,実至召楚,欲作乱,内子周立之。会与国不具,是以事不成。」厲公告欒書。欒書曰:「其殆有矣!願公試使人之周微考之。」果使郤至於周。欒書又使公子周見郤至,郤至不知見売也。厲公験之,信然,遂怨郤至,欲殺之。八年,厲公猟,与姫飲,郤至殺豕奉進,宦者奪之。郤至射殺宦者。公怒,曰:「季子欺予!」将誅三郤,未発也。郤鉤欲攻公,曰:「我雖死,公亦病矣。」郤至曰:「信不反君,智不害民,勇不作乱。失此三者,誰与我?我死耳!」十二月壬午,公令胥童以兵八百人襲攻殺三郤。胥童因以劫欒書、中行偃于朝,曰:「不殺二子,患必及公。」公曰:「一旦殺三卿,寡人不忍益也。」対曰:「人将忍君。」公弗聴,謝欒書等以誅郤氏罪:「大夫復位。」二子頓首曰:「幸甚幸甚!」公使胥童為卿。
書き下し
遂に与に戦ふ。癸巳、射て楚の共王の目に中て、楚の兵鄢陵に敗る。子反余兵を収め、拊循して復た戦はんと欲す。晋之を患ふ。共王子反を召す。其の侍者豎陽穀酒を進む。子反酔ひて、見ゆること能はず。王怒り、子反を譲む。子反死す。王遂に兵を引きて帰る。晋此に由りて諸侯に威あり、以て天下に令して覇を求めんと欲す。厲公外嬖の姫多し。帰りて、尽く群大夫を去りて諸姫の兄弟を立てんと欲す。寵姫の兄を胥童と曰ふ。嘗て郤至と怨み有り。及び欒書も又郤至の其の計を用ひずして遂に楚を敗りしを怨む。乃ち人をして間に楚に謝せしむ。楚来たりて厲公を詐りて曰く、「鄢陵の戦ひは、実に至楚を召し、乱を作さんと欲し、子周を内れて之を立てんとす。会々与国具はらず。是を以て事成らず」と。厲公欒書に告ぐ。欒書曰く、「其れ殆ど有らん。願はくは公試みに人をして周に之かしめて微かに之を考へしめよ」と。果たして郤至を周に使ひせしむ。欒書又公子周をして郤至に見えしむ。郤至売らるるを知らざるなり。厲公之を験みて、信に然りとし、遂に郤至を怨み、之を殺さんと欲す。八年、厲公猟し、姫と飲む。郤至豕を殺して奉進す。宦者之を奪ふ。郤至宦者を射殺す。公怒りて曰く、「季子予を欺く」と。将に三郤を誅せんとして、未だ発せず。郤鉤公を攻めんと欲して曰く、「我死すと雖も、公も亦た病まん」と。郤至曰く、「信は君に反かず、智は民を害せず、勇は乱を作さず。此の三つの者を失はば、誰か我に与せん。我死せんのみ」と。十二月壬午、公胥童をして兵八百人を以て三郤を襲攻して殺さしむ。胥童因りて以て欒書・中行偃を朝に劫かして曰く、「二子を殺さずんば、患必ず公に及ばん」と。公曰く、「一旦にして三卿を殺す。寡人益すに忍びず」と。対へて曰く、「人将に君に忍ばんとす」と。公聴かず。欒書等に謝するに郤氏の罪を誅するを以てし、「大夫位に復せ」と。二子頓首して曰く、「幸甚、幸甚」と。公胥童をして卿と為らしむ。
現代語訳
こうして楚と戦った。癸巳の日、晋軍は楚の共王の目を射抜き、楚軍は鄢陵で敗れた。子反は残った兵を集め、慰め励まして再び戦おうとした。晋はこれを憂えた。共王は子反を呼び寄せたが、子反の従者の豎陽穀が酒をすすめたので、子反は酔ってしまい、王の前に出られなかった。王は怒って子反を責め、子反は自殺した。王はついに兵を引いて帰った。晋はこの勝利によって諸侯に威勢を示し、天下に号令して覇者になろうとした。厲公には宮外に寵愛する女性が多かった。帰国すると、大夫たちをことごとく退けて、女性たちの兄弟を取り立てようとした。寵姫の兄を胥童といい、以前から郤至と恨み合っていた。また欒書も、郤至が自分の策を用いずに楚を破ったことを恨んでいた。そこで欒書はひそかに人をやって楚に詫びを入れた。楚は厲公をだまして言った。「鄢陵の戦いは、実は郤至が楚を呼び寄せたもので、乱を起こして公子周を国に入れて君主に立てようとしていたのだ。ちょうど味方の国々の準備がそろわなかったので、事は成らなかった」。厲公がこれを欒書に告げると、欒書は言った。「おそらく本当だろう。どうか試しに郤至を周に使いに出して、ひそかに確かめられたい」。厲公がはたして郤至を周への使者にすると、欒書は公子周に郤至と会わせた。郤至は自分が陥れられているとは知らなかった。厲公はこれを確かめて本当だと思い込み、郤至を恨んで殺そうとした。八年、厲公は狩りに出て、寵姫と酒を飲んでいた。郤至が猪を仕留めて献上すると、宦官がそれを奪い取った。郤至はその宦官を射殺した。厲公は怒って言った。「季子(郤至)め、私をないがしろにするとは」。三郤を誅殺しようとしたが、まだ実行しなかった。郤鉤(郤錡)は厲公を攻めようとして言った。「たとえわれわれが死んでも、公もまた痛手を受けるだろう」。郤至は言った。「信義ある者は君に背かず、智恵ある者は民を害さず、勇気ある者は乱を起こさない。この三つを失えば、誰が我々に味方しようか。私は死ぬだけだ」。十二月壬午の日、厲公は胥童に兵八百人を率いさせて三郤を襲わせ、殺した。胥童はその勢いで朝廷で欒書と中行偃を脅して捕らえ、厲公に言った。「この二人を殺さなければ、災いは必ず公に及ぶだろう」。厲公は言った。「一日のうちに三人の卿を殺したのだ。これ以上は忍びない」。胥童は答えた。「相手のほうは、君に対して忍びないとは思わないだろう」。厲公は聞き入れず、欒書らに、郤氏の罪を誅したのだと言い訳して、「大夫たちは元の位に戻るがよい」と告げた。二人は頭を地につけて「ありがたいことだ、ありがたいことだ」と言った。厲公は胥童を卿に取り立てた。
解説
関連する章句
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史記 晋世家斉の使ひ曰く、「蕭桐姪子は、頃公の母なり。頃公の母は猶ほ晋君の母のごときなり。奈何ぞ必ず之を得んとする。不義なり。請ふ復た戦はん」と。晋乃ち与に平らぐことを許して去る。楚の申公巫臣夏姫を盗みて以て晋に奔る。晋巫臣を以て邢の大夫と為す。十二年冬、斉の頃公晋に如き、上りて晋の景公を尊びて王と為さんと欲す。景公譲りて敢てせず。晋始めて六軍を作る。韓厥・鞏朔・趙穿・荀騅・趙括・趙旃皆卿と為る。智罃楚より帰る。十三年、魯の成公晋に朝す。晋敬せず。魯怒りて去り、晋に倍く。晋鄭を伐ち、氾を取る。十四年、梁山崩る。伯宗に問ふ。伯宗以て怪しむに足らずと為す。十六年、楚の将子反巫臣を怨み、其の族を滅ぼす。巫臣怒り、子反に書を遺りて曰く、「必ず子をして奔命に罷れしめん」と。乃ち呉に使ひせんことを請ひ、其の子をして呉の行人と為らしめ、呉に車に乗り兵を用ふることを教ふ。呉晋始めて通じ、楚を伐たんことを約す。十七年、趙同・趙括を誅し、之を族滅す。韓厥曰く、「趙衰・趙盾の功豈に忘るべけんや。奈何ぞ祀を絶たん」と。乃ち復た趙の庶子武をして趙の後と為らしめ、復た之に邑を与ふ。十九年夏、景公病み、其の太子寿曼を立てて君と為す。是を厲公と為す。後月余にして、景公卒す。厲公の元年、初めて立ち、諸侯を和せんと欲し、秦の桓公と河を夾みて盟ふ。帰りて秦盟に倍き、翟と晋を伐たんことを謀る。三年、呂相をして秦を譲めしめ、因りて諸侯と秦を伐つ。涇に至り、秦を麻隧に敗り、其の将成差を虜にす。五年、三郤伯宗を讒して、之を殺す。伯宗直諫を好むを以て此の禍を得たり。国人是を以て厲公に附かず。六年春、鄭晋に倍きて楚と盟ふ。晋怒る。欒書曰く、「以て吾が世に当たりて諸侯を失ふべからず」と。乃ち兵を発す。厲公自ら将たり、五月河を度る。楚の兵来たり救ふと聞き、范文子公に還らんことを請ふ。郤至曰く、「兵を発して逆を誅し、彊きを見て之を辟くれば、以て諸侯に令する無し」と。
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史記 晋世家病甚だしく、乃ち荀息に謂ひて曰く、「吾奚斉を以て後と為す。年少くして、諸大臣服せず、乱の起こらんことを恐る。子能く之を立てんか」と。荀息曰く、「能くせん」と。献公曰く、「何を以て験と為す」と。対へて曰く、「死者をして復た生かしめ、生者慚ぢざる、之が験と為さん」と。是に於て遂に奚斉を荀息に属す。荀息相と為り、国政を主る。秋九月、献公卒す。里克・邳鄭重耳を内れんと欲し、三公子の徒を以て乱を作さんとし、荀息に謂ひて曰く、「三怨将に起こらんとし、秦・晋之を輔く。子将に何如せんとす」と。荀息曰く、「吾先君の言に負くべからず」と。十月、里克奚斉を喪次に殺す。献公未だ葬られざるなり。荀息将に之に死せんとす。或ひと曰く、奚斉の弟悼子を立てて之に傅たるに如かずと。荀息悼子を立てて献公を葬る。十一月、里克悼子を朝に弑す。荀息之に死す。君子曰く、「詩に所謂『白珪の玷(か)けたるは、猶ほ磨くべし。斯の言の玷けたるは、為(をさ)むべからず』とは、其れ荀息の謂ひか。其の言に負かず」と。初め、献公将に驪戎を伐たんとす。卜して曰く「歯牙禍を為す」と。驪戎を破り、驪姫を獲るに及び、之を愛し、竟に以て晋を乱す。里克等已に奚斉・悼子を殺し、人をして公子重耳を翟に迎へしめ、之を立てんと欲す。重耳謝して曰く、「父の命に負きて出奔し、父死して人子の礼を修めて喪に侍するを得ず。重耳何ぞ敢て入らん。大夫其れ更に他子を立てよ」と。還りて里克に報ず。里克をして夷吾を梁に迎へしむ。夷吾往かんと欲す。呂省・郤芮曰く、「内に猶ほ公子の立つべき者有りて外に求むるは、信じ難し。計るに秦に之き、彊国の威を輔として以て入るに非ずんば、恐らくは危ふからん」と。乃ち郤芮をして厚く秦に賂はしめ、約して曰く、「即し入るを得ば、請ふ晋の河西の地を以て秦に与へん」と。及び里克に書を遺りて曰く、「誠に立つを得ば、請ふ遂に子を汾陽の邑に封ぜん」と。秦の繆公乃ち兵を発して夷吾を晋に送る。斉の桓公晋の内乱を聞き、亦た諸侯を率ゐて晋に如く。
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史記 晋世家隨会曰く、「昔文公の楚と城濮に戦ふや、成王帰りて子玉を殺す。而して文公乃ち喜ぶ。今楚已に我が師を敗る。又其の将を誅せば、是れ楚を助けて仇を殺すなり」と。乃ち止む。四年、先縠首計を以て晋の軍を河上に敗る。誅せられんことを恐れ、乃ち翟に奔り、翟と晋を伐たんことを謀る。晋覚り、乃ち縠を族す。縠は、先軫の子なり。五年、鄭を伐つ。楚を助けしが為の故なり。是の時楚の荘王彊し。晋の兵を河上に挫きしを以てなり。六年、楚宋を伐つ。宋来たりて急を晋に告ぐ。晋之を救はんと欲す。伯宗謀りて曰く、「楚は、天方に之を開く。当たるべからず」と。乃ち解揚をして紿(あざむ)きて宋を救ふと為さしむ。鄭人執へて楚に与ふ。楚厚く賜ひ、其の言を反さしめ、宋をして急ぎ下らしめんとす。解揚紿きて之を許し、卒に晋君の言を致す。楚之を殺さんと欲す。或いは諫む。乃ち解揚を帰す。七年、晋隨会をして赤狄を滅ぼさしむ。八年、郤克をして斉に使ひせしむ。斉の頃公の母楼上より観て之を笑ふ。然る所以の者は、郤克は僂(せむし)にして、魯の使ひは蹇(あしなへ)、衛の使ひは眇(すがめ)なり。故に斉も亦た人をして之の如くならしめて以て客を導く。郤克怒り、帰りて河上に至りて曰く、「斉に報いざれば、河伯之を視よ」と。国に至り、君に請ひて、斉を伐たんと欲す。景公其の故を問ひ知りて曰く、「子の怨み、安んぞ以て国を煩はすに足らん」と。聴かず。魏文子老を請ひて休み、郤克を辟く。克政を執る。九年、楚の荘王卒す。晋斉を伐つ。斉太子彊をして晋に質たらしむ。晋の兵罷む。十一年春、斉魯を伐ち、隆を取る。魯急を衛に告ぐ。衛と魯と皆郤克に因りて急を晋に告ぐ。晋乃ち郤克・欒書・韓厥をして兵車八百乗を以て魯・衛と共に斉を伐たしむ。夏、頃公と砹に戦ひ、頃公を傷つけ困しむ。頃公乃ち其の右と位を易へ、下りて飲を取り、以て脱して去るを得たり。斉の師敗走す。晋北ぐるを追ひて斉に至る。頃公宝器を献じて以て平らがんことを求む。聴かず。郤克曰く、「必ず蕭桐姪子を得て質と為さん」と。
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史記 晋世家閏月乙卯、厲公匠驪氏に游ぶ。欒書・中行偃其の党を以て厲公を襲捕し、之を囚へ、胥童を殺し、而して人をして公子周を周に迎へしめて之を立てんとす。是を悼公と為す。悼公の元年正月庚申、欒書・中行偃厲公を弑し、之を葬るに一乗の車を以てす。厲公囚はれて六日にして死す。死して十日の庚午、智罃公子周を迎へて来たり、絳に至り、鶏を刑して大夫と盟ひて之を立つ。是を悼公と為す。辛巳、武宮に朝す。二月乙酉、即位す。悼公周は、其の大父捷、晋の襄公の少子なり。立つを得ず。号して桓叔と為す。桓叔最も愛せらる。桓叔恵伯談を生み、談悼公周を生む。周の立つや、年十四なり。悼公曰く、「大父・父皆立つを得ずして難を周に辟け、焉に客死す。寡人自ら疎遠なるを以て、君と為るを幾(ねが)ふこと毋し。今大夫文・襄の意を忘れずして恵みて桓叔の後を立つ。宗廟大夫の霊に頼り、晋の祀を奉ずるを得たり。豈に敢て戦戦たらざらんや。大夫其れ亦た寡人を佐けよ」と。是に於て臣たらざる者七人を逐ひ、旧功を修め、徳恵を施し、文公の入りし時の功臣の後を収む。秋、鄭を伐つ。鄭の師敗る。遂に陳に至る。三年、晋諸侯を会す。悼公群臣の用ふべき者を問ふ。祁傒解狐を挙ぐ。解狐は、傒の仇なり。復た問ふ。其の子祁午を挙ぐ。君子曰く、「祁傒は党せずと謂ふべし。外に挙ぐるに仇を隠さず、内に挙ぐるに子を隠さず」と。方に諸侯を会せんとするに、悼公の弟楊干行を乱す。魏絳其の僕を戮す。悼公怒る。或ひと公を諫む。公卒に絳を賢とし、之に政を任じ、戎を和せしむ。戎大いに親附す。十一年、悼公曰く、「吾魏絳を用ひしより、九たび諸侯を合し、戎・翟を和す。魏子の力なり」と。之に楽を賜ふ。三たび譲りて乃ち之を受く。冬、秦我が櫟を取る。十四年、晋六卿をして諸侯を率ゐて秦を伐たしめ、涇を度り、大いに秦の軍を敗り、棫林に至りて去る。
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