春秋左氏伝 / 成公十六年 晋の政、門多し
七月。公會尹武公。及諸侯伐鄭。將行。姜又命公如初。公又申守而行。諸侯之師。次于鄭西。我師次于督揚。不敢過鄭。子叔聲伯使叔孫豹請逆于晉師。為食於鄭郊。師逆以至。聲伯四日不食以待之。食使者。而後食。諸侯遷于制田。知武子佐下軍。以諸侯之師侵陳。至于鳴鹿。遂侵蔡未反。諸侯遷于潁上。戊午。鄭子罕宵軍之。宋齊衛皆失軍。曹人復請于晉。晉侯謂子臧。反。吾歸而君。子臧反。曹伯歸。子臧盡致其邑與卿。而不出。宣伯使告郤犨曰。魯之有季孟。猶晉之有欒范也。政令於是乎成。今其謀曰。晉政多門。不可從也。寧事齊楚。有亡而已。蔑從晉矣。若欲得志於魯。請止行父而殺之。我斃蔑也。而事晉。蔑有貳矣。魯不貳。小國必睦。不然。歸必叛矣。
新字:七月。公会尹武公。及諸侯伐鄭。将行。姜又命公如初。公又申守而行。諸侯之師。次于鄭西。我師次于督揚。不敢過鄭。子叔声伯使叔孫豹請逆于晋師。為食於鄭郊。師逆以至。声伯四日不食以待之。食使者。而後食。諸侯遷于制田。知武子佐下軍。以諸侯之師侵陳。至于鳴鹿。遂侵蔡未反。諸侯遷于潁上。戊午。鄭子罕宵軍之。宋斉衛皆失軍。曹人復請于晋。晋侯謂子臧。反。吾帰而君。子臧反。曹伯帰。子臧尽致其邑与卿。而不出。宣伯使告郤犨曰。魯之有季孟。猶晋之有欒范也。政令於是乎成。今其謀曰。晋政多門。不可従也。寧事斉楚。有亡而已。蔑従晋矣。若欲得志於魯。請止行父而殺之。我斃蔑也。而事晋。蔑有貳矣。魯不貳。小国必睦。不然。帰必叛矣。
書き下し
七月、公尹武公及び諸侯に會して鄭を伐つ。將に行かんとす。姜又公に命ずること初めの如し。公又守を申ねて行く。諸侯の師、鄭の西に次る。我が師督揚に次り、敢へて鄭を過ぎず。子叔聲伯叔孫豹をして逆を晉の師に請はしめ、食を鄭の郊に為る。師逆へて以って至る。聲伯四日食はずして以って之を待ち、使者に食はしめて、而る後に食ふ。諸侯制田に遷る。知武子下軍に佐たり、諸侯の師を以って陳を侵し、鳴鹿に至る。遂に蔡を侵して未だ反らず。諸侯潁上に遷る。戊午、鄭の子罕宵に之に軍し、宋・齊・衞皆軍を失ふ。曹人復た晉に請ふ。晉侯子臧に謂ふ、「反れ。吾而の君を歸さん」と。子臧反り、曹伯歸る。子臧盡く其の邑と卿とを致して、出でず。宣伯郤犨に告げしめて曰く、「魯の季・孟有るは、猶ほ晉の欒・范有るがごときなり。政令是に於いてか成る。今其の謀りて曰く、『晉の政は門多し、從ふ可からざるなり。寧ろ齊・楚に事へん。亡ぶる有るのみ。晉に從ふこと蔑からん』と。若し志を魯に得んと欲せば、請ふ行父を止めて之を殺せ。我蔑を斃して晉に事へん。貳有ること蔑からん。魯貳せずんば、小國必ず睦まじ。然らずんば、歸りて必ず叛かん」と。
現代語訳
七月、成公は周の尹武公や諸侯と会して鄭を討った。出発しようとすると、穆姜はまた前と同じように季孫・孟孫の追放を成公に命じた。成公はまた守りを重ねて固めてから出発した。諸侯の軍は鄭の西に宿営した。魯の軍は督揚に宿営し、鄭の地を越えて進もうとはしなかった。子叔声伯(公孫嬰斉、魯の大夫)は叔孫豹(宣伯の弟)を遣わして晋軍に迎えを求め、鄭の郊外に食事を用意して待った。晋軍が迎えに来て、魯軍は諸侯の軍に合流した。声伯は四日間食事をとらずに待ち、まず使者に食べさせてから自分も食べた。諸侯は制田に陣を移した。知武子(荀罃)は下軍の佐として、諸侯の軍を率いて陳に侵攻し、鳴鹿に至った。そのまま蔡に侵攻してまだ戻らないうちに、諸侯は潁水のほとりに陣を移した。戊午の日、鄭の子罕が夜襲をかけ、宋・斉・衛の軍はみな崩れた。曹の人々が再び晋に曹伯の釈放を願い出た。晋侯は子臧に言った。「国に戻れ。そうすればおまえの君を帰そう」。子臧が戻り、曹伯(成公)も帰国した。子臧は自分の邑と卿の位をすべて返上し、二度と出仕しなかった。宣伯は郤犨に人をやって告げさせた。「魯に季氏・孟氏があるのは、晋に欒氏・范氏があるのと同じです。政令はこの二家によって成り立っています。いま彼らはこう謀っています。『晋の政治は出どころが多く、従うことはできない。いっそ斉か楚に仕えよう。滅びるならそれまでだ。晋に従うことはない』。もし魯で思いどおりにしたいのなら、どうか行父(季文子)を引き留めて殺してください。私は蔑(孟献子)を倒して晋に仕えます。そうすれば二心を抱く者はいなくなります。魯が二心を抱かなければ、小国も必ず晋に親しみます。そうしなければ、季文子は帰国したら必ず晋に背くでしょう」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』成公十六年 穆姜、二子を逐わしむ宣伯穆姜に通じ、季・孟を去りて、其の室を取らんと欲す。將に行かんとす。穆姜公を送りて、二子を逐はしめんとす。公晉の難を以って告げて曰く、「請ふ反りて命を聽かん」と。姜怒る。公子偃・公子鉏、趨り過ぐ。之を指して曰く、「女可かずんば、是れ皆君なり」と。公壞隤に待ち、宮を申ね儆備し、守を設けて而る後に行く。是を以って後る。孟獻子をして公宮を守らしむ。秋、沙隨に會す。鄭を伐たんことを謀るなり。宣伯郤犨に告げしめて曰く、「魯侯壞隤に待つ、以って勝者を待つなり」と。郤犨新軍に將たり、且つ公族大夫為り、以って東諸侯を主る。貨を宣伯に取りて、公を晉侯に訴ふ。晉侯公に見えず。曹人晉に請ひて曰く、「我が先君宣公即世してより、國人曰く、『之を若何せん』と。憂ひ猶ほ未だ弭まず。而るに又我が寡君を討ち、以って曹國の社稷の鎮たる公子を亡はしむ。是れ大いに曹を泯ぼすなり。先君乃ち罪有る無からんや。若し罪有らば、則ち君諸を會に列せり。君唯だ德刑を遺れずして、以って諸侯に伯たり。豈に獨り諸を敝邑に遺れんや。敢へて私かに之を布く」と。
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『春秋左氏伝』成公十七年 晋の厲公、三郤を疑う十二月、盧降る。國勝をして難を晉に告げしめ、命を清に待たしむ。晉の厲公侈(おご)りて、外嬖多し。鄢陵より反(かへ)り、盡く群大夫を去りて其の左右を立てんと欲す。胥童、胥克の廢せらるるを以て、郤氏を怨み、而して厲公に嬖せらる。郤錡、夷陽五の田を奪ふ。五も亦た厲公に嬖せらる。郤犨、長魚矯と田を爭ひ、執へて之を梏(こく)し、其の父母妻子と轅(ながえ)を同一にす。既にして矯も亦た厲公に嬖せらる。欒書、郤至を怨む、其の己に從はずして楚師を敗りしを以てなり。之を廢せんと欲す。楚の公子茷をして公に告げしめて曰く、「此の戰ひや、郤至實に寡君を召けり。東師の未だ至らざると、軍帥の具はらざるとを以て、曰く、『此れ必ず敗れん。吾因りて孫周を奉じて以て君に事へん』と」と。公、欒書に告ぐ。書曰く、「其れ有らん。然らずんば、豈に其の死を之れ恤(うれ)へずして、敵の使を受けんや。君盍(なん)ぞ嘗みに諸を周に使はして之を察せざる」と。郤至、周に聘す。欒書、孫周をして之に見えしむ。公、之を覘(うかが)はしむるに信なり。遂に郤至を怨む。厲公田(かり)す。婦人と先づ殺して酒を飲み、後に大夫をして殺さしむ。郤至、豕を奉ず。寺人孟張、之を奪ふ。郤至、射て之を殺す。公曰く、
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史記 孟嘗君列伝居ること数年、人或ひと孟嘗君を斉の湣王に毀りて曰く、「孟嘗君将に乱を為さんとす」と。田甲の湣王を劫かすに及び、湣王意に孟嘗君を疑ふ、孟嘗君乃ち奔る。魏子の粟を与へし所の賢者これを聞き、乃ち上書して孟嘗君の乱を作さざるを言ひ、身を以て盟と為さんことを請ひ、遂に宮門に自剄して以て孟嘗君を明らかにす。湣王乃ち驚き、而して蹤跡験問す、孟嘗君果たして反謀無し、乃ちまた孟嘗君を召す。孟嘗君因りて病を謝し、帰りて薛に老せんとす。湣王これを許す。その後、秦の亡将呂礼斉に相たり、蘇代を困しめんと欲す。代乃ち孟嘗君に謂ひて曰く、「周最の斉に於けるや、至って厚し、而るに斉王これを逐ひ、而して親弗の呂礼を相とするを聴くは、秦を取らんと欲すればなり。斉・秦合せば、則ち親弗と呂礼と重からん。用ひらるる有らば、斉・秦必ず君を軽んぜん。君は急ぎ兵を北し、趙に趨きて以て秦・魏と和し、周最を収めて以て行ひを厚くし、且つ斉王の信を反し、また天下の変を禁ずるに如かず。斉に秦無くんば、則ち天下斉に集まり、親弗必ず走らん、則ち斉王孰と与にその国を為めん」と。是に於いて孟嘗君その計に従ふ、而して呂礼孟嘗君を嫉み害せんとす。孟嘗君懼れ、乃ち秦の相穣侯魏冉に書を遺りて曰く、「吾聞く、秦は呂礼を以て斉を収めんと欲すと。斉は天下の彊国なり、子必ず軽んぜられん。斉・秦相取りて以て三晋に臨まば、呂礼必ず并せて相たらん、是れ子は斉に通じて以て呂礼を重くするなり。若し斉天下の兵を免れば、その子を讎とすること必ず深からん。子は秦王に勧めて斉を伐たしむるに如かず。斉破れなば、吾請ふ得る所を以て子を封ぜん。斉破れなば、秦は晋の彊きを畏れ、秦必ず子を重んじて以て晋を取らん。晋国は斉に敝れて秦を畏れ、晋必ず子を重んじて以て秦を取らん。是れ子は斉を破りて以て功と為し、晋を挟みて以て重きを為すなり。是れ子は斉を破りて封を定め、秦・晋交々子を重んずるなり。若し斉破れずして、呂礼また用ひらるれば、子必ず大いに窮せん」と。
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史記 老子韓非列伝人或いは其の書を伝へて秦に至る。秦王、孤憤・五蠹の書を見て曰く、「嗟乎、寡人此の人を見、之と游ぶを得ば、死すとも恨みじ」と。李斯曰く、「此れ韓非の著す所の書なり」と。秦因りて急に韓を攻む。韓王、始め非を用ゐず、急なるに及び、乃ち非を遣り秦に使ひせしむ。秦王之を悦ぶも、未だ信用せず。李斯・姚賈之を害み、之を毀りて曰く、「韓非は韓の諸公子なり。今王、諸侯を并せんと欲するに、非は終に韓の為にして秦の為にせず、此れ人の情なり。今王用ゐずして久しく留めて之を帰すは、此れ自ら患ひを遺すなり。過法を以て之を誅するに如かず」と。秦王、以て然りと為し、吏に下して非を治む。李斯、人をして非に薬を遺らしめ、自殺せしむ。韓非、自ら陳べんと欲するも、見ゆるを得ず。秦王後に之を悔い、人をして之を赦さしむるに、非已に死せり。申子・韓子皆書を著し、後世に伝はり、学ぶ者多く有り。余独り韓子の説難を為りて自ら脱する能はざりしを悲しむのみ。
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戦国策・或謂建信君之所以事王者或るひと建信に謂いて曰く、「君の王に事うる所以の者は、色なり。葺の王に事うる所以の者は、知なり。色は老いて衰え、知は老いて多し。日に多きの知を以て、衰悪の色を逐わば、君必ず困しまん」と。建信君曰く、「奈何」と。曰く、「驥に並びて走る者は、五里にして罷る。驥に乗じて之を御すれば、倦まずして道を取ること多し。君葺をして独断の車に乗り、独断の勢いを御して、以て邯鄲に居らしめよ。之をして内は国事を治め、外は諸侯を刺さしめば、則ち葺の事言わざる者有らん。君因りて王に言いて之を重責せよ、葺の軸今折れん」と。建信君再拝して命を受け、入りて王に言い、厚く葺に任ずるに事の能を以てし、之を重責す。未だ期年ならずして葺亡走せり。
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論語・顔淵篇子張、明を問う。子曰く、「浸潤の譖、膚受の愬、行われざれば、明と謂う可きのみ。浸潤の譖、膚受の愬、行われざれば、遠しと謂う可きのみ。」
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