春秋左氏伝 / 成公十六年 妾は帛を衣ず
九月。晉人執季文子于苕丘。公還。待于鄆。使子叔聲伯請季孫于晉。郤犨曰。苟去仲孫蔑而止季孫行父。吾與子國。親於公室。對曰。僑如之情。子必聞之矣。若去蔑與行父。是大棄魯國。而罪寡君也。若猶不棄。而惠徼周公之福。使寡君得事晉君。則夫二人者。魯國社稷之臣也。若朝亡之。魯必夕亡。以魯之密邇仇讎。亡而為讎。治之何及。郤犨曰。吾為子請邑。對曰。嬰齊。魯之常隸也。敢介大國。以求厚焉。承寡君之命以請。若得所請。吾子之賜多矣。又何求。范文子謂欒武子曰。季孫於魯。相二君矣。妾不衣帛。馬不食粟。可不謂忠乎。信讒慝而棄忠良。若諸侯何。子叔嬰齊奉君命無私。謀國家不貳。圖其身不忘其君。若虛其請。是棄善人也。子其圖之。乃許魯平。赦季孫。冬。十月。出叔孫僑如而盟之。僑如奔齊。
新字:九月。晋人執季文子于苕丘。公還。待于鄆。使子叔声伯請季孫于晋。郤犨曰。苟去仲孫蔑而止季孫行父。吾与子国。親於公室。対曰。僑如之情。子必聞之矣。若去蔑与行父。是大棄魯国。而罪寡君也。若猶不棄。而恵徼周公之福。使寡君得事晋君。則夫二人者。魯国社稷之臣也。若朝亡之。魯必夕亡。以魯之密邇仇讎。亡而為讎。治之何及。郤犨曰。吾為子請邑。対曰。嬰斉。魯之常隸也。敢介大国。以求厚焉。承寡君之命以請。若得所請。吾子之賜多矣。又何求。范文子謂欒武子曰。季孫於魯。相二君矣。妾不衣帛。馬不食粟。可不謂忠乎。信讒慝而棄忠良。若諸侯何。子叔嬰斉奉君命無私。謀国家不貳。図其身不忘其君。若虚其請。是棄善人也。子其図之。乃許魯平。赦季孫。冬。十月。出叔孫僑如而盟之。僑如奔斉。
書き下し
九月、晉人季文子を苕丘に執ふ。公還りて、鄆に待つ。子叔聲伯をして季孫を晉に請はしむ。郤犨曰く、「苟も仲孫蔑を去りて季孫行父を止めば、吾子に國を與へ、公室より親しくせん」と。對へて曰く、「僑如の情は、子必ず之を聞けり。若し蔑と行父とを去らば、是れ大いに魯國を棄てて、寡君を罪するなり。若し猶ほ棄てずして、惠みて周公の福を徼め、寡君をして晉君に事ふるを得しめば、則ち夫の二人は、魯國の社稷の臣なり。若し朝に之を亡はば、魯必ず夕に亡びん。魯の仇讎に密邇するを以って、亡びて讎と為らば、之を治むるも何ぞ及ばん」と。郤犨曰く、「吾子の為に邑を請はん」と。對へて曰く、「嬰齊は、魯の常隸なり。敢へて大國に介して、以って厚きを求めんや。寡君の命を承けて以って請ふ。若し請ふ所を得ば、吾子の賜多し。又何をか求めん」と。范文子欒武子に謂ひて曰く、「季孫は魯に於いて、二君に相たり。妾は帛を衣ず、馬は粟を食まず。忠と謂はざる可けんや。讒慝を信じて忠良を棄てば、諸侯を若何せん。子叔嬰齊は君命を奉じて私無く、國家を謀りて貳あらず、其の身を圖りて其の君を忘れず。若し其の請を虛しくせば、是れ善人を棄つるなり。子其れ之を圖れ」と。乃ち魯の平を許し、季孫を赦す。冬、十月、叔孫僑如を出だして之に盟ふ。僑如齊に奔る。
現代語訳
九月、晋は季文子(季孫行父)を苕丘で捕らえた。成公は帰国の途につき、鄆に留まって待った。子叔声伯(公孫嬰斉)を晋に遣わして季孫の釈放を願わせた。郤犨が言った。「もしあなたが仲孫蔑(孟献子)を除き、季孫行父をこのまま晋に留め置かせるなら、私はあなたに魯の国政を与え、公室以上に親しくしよう」。声伯は答えた。「僑如(宣伯)の本心は、あなたもきっとお聞き及びでしょう。もし蔑と行父を除けば、それは魯国を大いに見捨て、わが君を罪に落とすことになります。もしなお魯を見捨てず、恵みによって周公の福を求め、わが君が晋君にお仕えできるようにしてくださるなら、この二人こそ魯国の社稷を支える臣です。もし朝に二人を失えば、魯は必ず夕べに滅びます。魯は晋の仇敵である斉や楚に近接しています。滅びて仇敵の側につけば、そのとき手を打っても間に合いましょうか」。郤犨は言った。「あなたのために領地を求めてやろう」。声伯は答えた。「嬰斉は魯のただの臣僕にすぎません。どうして大国を頼って厚い待遇を求めたりしましょうか。わが君の命を受けてお願いに参ったのです。もし願いがかなえば、それだけであなたからの賜り物は十分です。そのうえ何を求めましょう」。范文子は欒武子(欒書)に言った。「季孫は魯で二代の君の宰相を務めてきたが、その妾は絹を着ず、馬には穀物を食べさせない。忠と言わずにいられようか。讒言を信じて忠良な臣を捨てたら、諸侯に対してどう顔向けできよう。子叔嬰斉は君命を奉じて私心がなく、国家のために謀って二心がなく、自分の身の上を図るときにも君を忘れない。もしその願いを退ければ、善人を捨てることになる。あなたはよく考えてほしい」。そこで晋は魯との和解を認め、季孫を釈放した。冬十月、魯は叔孫僑如を国外に追放し、盟って(彼を二度と迎えないことを)誓った。僑如は斉に奔った。
解説
この章句が説くこと
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