春秋左氏伝 / 成公十六年 郤至、功を誇る
十二月。季孫及郤犨盟于扈。歸刺公子偃。召叔孫豹于齊而立之。齊聲孟子通僑如。使立於高國之閒。僑如曰。不可以再罪。奔衛。亦閒於卿。晉侯使郤至獻楚捷于周。與單襄公語。驟稱其伐。單子語諸大夫曰。溫季其亡乎。位於七人之下。而求掩其上。怨之所聚。亂之本也。多怨而階亂。何以在位。夏書曰。怨豈在明。不見是圖。將慎其細也。今而明之。其可乎。
新字:十二月。季孫及郤犨盟于扈。帰刺公子偃。召叔孫豹于斉而立之。斉声孟子通僑如。使立於高国之閒。僑如曰。不可以再罪。奔衛。亦閒於卿。晋侯使郤至献楚捷于周。与単襄公語。驟称其伐。単子語諸大夫曰。温季其亡乎。位於七人之下。而求掩其上。怨之所聚。乱之本也。多怨而階乱。何以在位。夏書曰。怨豈在明。不見是図。将慎其細也。今而明之。其可乎。
書き下し
十二月、季孫郤犨と扈に盟ふ。歸りて公子偃を刺し、叔孫豹を齊に召して之を立つ。齊の聲孟子僑如に通じ、高・國の閒に立たしめんとす。僑如曰く、「以って再び罪す可からず」と。衞に奔り、亦た卿に閒す。晉侯郤至をして楚の捷を周に獻ぜしむ。單襄公と語り、驟しば其の伐を稱す。單子諸大夫に語りて曰く、「溫季其れ亡びんか。七人の下に位して、其の上を掩はんことを求む。怨みの聚まる所は、亂の本なり。怨み多くして亂に階す、何を以ってか位に在らん。夏書に曰く、『怨み豈に明らかなるに在らんや、見えざるを是れ圖れ』と。將に其の細を慎まんとするなり。今にして之を明らかにす、其れ可ならんや」と。
現代語訳
十二月、季孫(季文子)は郤犨と扈で盟約した。帰国すると公子偃(穆姜が君に立てると言った成公の異母弟)を殺し、叔孫豹を斉から呼び戻して叔孫氏の後継ぎに立てた。斉の声孟子(斉の霊公の母)は僑如と密通し、斉の二大家である高氏・国氏と並ぶ地位に就けようとした。僑如は言った。「二度も同じ罪を犯すわけにはいかない」。そして衛に奔ったが、衛でもやはり卿と並ぶ地位を得た。晋侯(厲公)は郤至を遣わして、楚に勝った戦利品を周に献上させた。郤至は周の単襄公と語り合い、しきりに自分の手柄を誇った。単子(単襄公)は周の大夫たちに語って言った。「温季(郤至)は滅びるであろう。七人の卿の下の位にありながら、上の者を覆い隠そうとしている。怨みの集まるところは乱のもとである。怨みを多く招いて乱への階段を上っているのに、どうして位を保てようか。『夏書』に『怨みはどうして目に見えるところにだけあろうか。見えないところをこそ図れ』とある。細かいことまで慎もうということである。いま彼は怨みをはっきり目に見える形にしている。それでよいはずがあろうか」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 魏公子列伝魏の公子無忌は、魏の昭王の少子にして魏の安釐王の異母弟なり。昭王薨じ、安釐王即位し、公子を封じて信陵君と為す。是の時、范睢魏を亡げて秦に相たり、魏斉を怨むの故を以て、秦の兵大梁を囲み、魏の華陽の下の軍を破り、芒卯を走らす。魏王及び公子これを患ふ。公子は人と為り仁にして士に下り、士は賢不肖と無く皆謙りて礼もてこれに交はり、敢へてその富貴を以て士に驕らず。士は此を以て方数千里争ひ往きてこれに帰し、食客三千人を致す。是の時に当たりて、諸侯は公子の賢にして客多きを以て、敢へて兵を加へて魏を謀らざること十余年。
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史記 魏公子列伝魏に隠士有り、侯嬴と曰ふ、年七十、家貧しく、大梁の夷門の監者為り。公子これを聞き、往きて請ひ、厚くこれに遺らんと欲す。受くるを肯んぜずして曰く、「臣、身を脩め行ひを絜くすること数十年、終に監門の困しみの故を以て公子の財を受けず」と。公子是に於いて乃ち酒を置きて大いに賓客を会す。坐定まり、公子車騎を従へ、左を虚しくして、自ら夷門の侯生を迎ふ。侯生、敝れたる衣冠を摂め、直ちに上りて公子の上坐に載り、譲らず、以て公子を観んと欲す。公子轡を執ること愈々恭し。侯生また公子に謂ひて曰く、「臣に客の市の屠中に在る有り、願はくは車騎を枉げてこれに過れ」と。公子車を引きて市に入る。侯生下りてその客朱亥に見え、俾倪して故らに久しく立ち、その客と語り、微かに公子を察す。公子の顔色愈々和らぐ。是の時に当たり、魏の将相・宗室・賓客堂に満ち、公子の酒を挙ぐるを待つ。市人皆公子の轡を執るを観る。従騎皆竊かに侯生を罵る。侯生、公子の色の終に変ぜざるを視て、乃ち客に謝して車に就く。家に至り、公子、侯生を引きて上坐に坐せしめ、遍く賓客に賛す、賓客皆驚く。酒酣にして、公子起ち、寿を侯生の前に為す。侯生因りて公子に謂ひて曰く、「今日、嬴の公子の為にするもまた足れり。嬴は乃ち夷門の抱関者なり、而るに公子親ら車騎を枉げ、自ら嬴を衆人広坐の中に迎ふ、宜しく過る所有るべからざるに、今公子故らにこれに過る。然れども嬴は公子の名を就さんと欲す、故に久しく公子の車騎を市中に立たしめ、客に過りて以て公子を観る、公子愈々恭し。市人皆嬴を以て小人と為し、而して公子を以て長者にして能く士に下ると為すなり」と。是に於いて酒を罷め、侯生遂に上客と為る。
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老子・第8章上善は水の若し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る。故に道に幾し。居は地を善しとし、心は淵を善しとし、与は仁を善しとし、言は信を善しとし、正は治を善しとし、事は能を善しとし、動は時を善しとす。夫れ唯だ争わず、故に尤め無し。
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史記 老子韓非列伝老子は、楚の苦県厲郷曲仁里の人なり。姓は李氏、名は耳、字は耼、周の守藏室の史なり。孔子、周に適き、将に礼を老子に問はんとす。老子曰く、「子の言ふ所の者は、其の人と骨と皆已に朽つ。独り其の言在るのみ。且つ君子は其の時を得ば則ち駕し、其の時を得ざれば則ち蓬累して行く。吾之を聞く、良賈は深く藏して虚しきが若く、君子は盛徳あるも容貌は愚なるが若し、と。子の驕気と多欲、態色と淫志を去れ。是れ皆子の身に益無し。吾が以て子に告ぐる所は、是くの若きのみ」と。孔子去り、弟子に謂ひて曰く、「鳥は、吾其の能く飛ぶを知る。魚は、吾其の能く游ぐを知る。獣は、吾其の能く走るを知る。走る者には以て罔を為す可く、游ぐ者には以て綸を為す可く、飛ぶ者には以て矰を為す可し。龍に至りては、吾其の風雲に乗りて天に上るを知る能はず。吾今日老子を見るに、其れ猶ほ龍のごときか」と。
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葉隠・聞書第一何某(なにがし)は気性者(きしょうもの)なり、何某の前にてかような儀を申し候(そうろう)」と話す人あり。それが面(つら)に似合わぬ言い分なり。曲者(くせもの)と言われたきまでなり。卑(いや)しき位なり。青き所がある人と見えたり。そのように、人の前にて物を言うは槍持(やりもち)中間(ちゅうげん)の出会い同然にて賤(いや)しき事なり。「侍たる者は、まず礼儀正しきとこそ美しけれ」と。扇・鼻紙・料紙・臥具(がぐ)などは、少しよき物にても苦しからざるなり。居宅・衣裳・諸道具など面(つら)に似合わぬ事する人多し。
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