春秋左氏伝 / 成公十六年 整と暇を好む
楚師薄於險。叔山冉謂養由基曰。雖君有命。為國故。子必射。乃射。再發盡殪。叔山冉搏人以役。中車折軾。晉師乃止。囚楚公子茷。欒鍼見子重之旌。請曰。楚人謂夫旌。子重之麾也。彼其子重也。日臣之使於楚也。子重問晉國之勇。臣對曰。好以眾整。曰。又何如。臣對曰。好以暇。今兩國治戎。行人不使。不可謂整。臨事而食言。不可謂暇。請攝飲焉。公許之。使行人執榼承飲。造于子重曰。寡君乏使。使鍼御持矛。是以不得犒從者。使某攝飲。子重曰。夫子嘗與吾言於楚。必是故也。不亦識乎。受而飲之。免使者而復鼓。
新字:楚師薄於険。叔山冉謂養由基曰。雖君有命。為国故。子必射。乃射。再発尽殪。叔山冉搏人以役。中車折軾。晋師乃止。囚楚公子茷。欒鍼見子重之旌。請曰。楚人謂夫旌。子重之麾也。彼其子重也。日臣之使於楚也。子重問晋国之勇。臣対曰。好以衆整。曰。又何如。臣対曰。好以暇。今両国治戎。行人不使。不可謂整。臨事而食言。不可謂暇。請摂飲焉。公許之。使行人執榼承飲。造于子重曰。寡君乏使。使鍼御持矛。是以不得犒従者。使某摂飲。子重曰。夫子嘗与吾言於楚。必是故也。不亦識乎。受而飲之。免使者而復鼓。
書き下し
楚の師險に薄る。叔山冉養由基に謂ひて曰く、「君命有りと雖も、國の為の故に、子必ず射よ」と。乃ち射る。再發して盡く殪す。叔山冉人を搏ちて以って役げ、車に中てて軾を折る。晉の師乃ち止む。楚の公子茷を囚ふ。欒鍼子重の旌を見て、請ひて曰く、「楚人夫の旌を子重の麾なりと謂ふ。彼は其れ子重なり。日者臣の楚に使ひするや、子重晉國の勇を問ふ。臣對へて曰く、『眾を以って整ふるを好む』と。曰く、『又何如』と。臣對へて曰く、『暇を以ってするを好む』と。今兩國戎を治むるに、行人使ひせず、整ふと謂ふ可からず。事に臨みて言を食む、暇ありと謂ふ可からず。請ふ飲を攝せしめん」と。公之を許す。行人をして榼を執り飲を承けしめ、子重に造りて曰く、「寡君使ひに乏しく、鍼をして御して矛を持たしむ。是を以って從者を犒ふを得ず。某をして飲を攝せしむ」と。子重曰く、「夫子嘗て吾と楚に言へり。必ず是の故ならん。亦た識らずや」と。受けて之を飲み、使者を免して復た鼓す。
現代語訳
楚軍は険しい地形に追い詰められた。叔山冉(楚の勇士)が養由基に言った。「王からは射るなとの命令があるとはいえ、国のためだ。あなたはどうしても射なければならない」。そこで養由基は射た。二度矢を放つと、射られた者はみな倒れた。叔山冉は敵兵をつかんで投げつけ、それが晋の戦車に当たって車の横木が折れた。晋軍はそこで追撃を止めた。晋は楚の公子茷を捕らえた。欒鍼(厲公の車右)は子重(楚の令尹)の旗を見て、厲公に願い出た。「楚の人は、あの旗を子重の指揮旗だと言っています。あれは子重でしょう。以前、私が楚に使いしたとき、子重が晋国の勇とは何かと尋ねました。私は『大勢でも整然としていることを好みます』と答えました。子重が『ほかには』と尋ねるので、私は『ゆとりを持って事にあたることを好みます』と答えました。いま両国が戦っているのに使者を送らないのでは、整然としているとは言えません。事に臨んで以前の言葉を違えては、ゆとりがあるとは言えません。どうか私の代わりの者に酒を届けさせてください」。厲公は許した。欒鍼は使者に酒樽を持たせて酒を注がせ、子重のもとへ行かせてこう言わせた。「わが君は使いの者に事欠き、鍼に車右として矛を持たせております。それで御従者をねぎらいに参ることができず、私めに代わりに酒を差し上げさせました」。子重は言った。「あの方はかつて楚で私とそのような話をした。きっとそのためだろう。よく覚えておられることではないか」。酒を受けて飲み、使者を帰らせてから、再び太鼓を打って戦った。
解説
この章句が説くこと
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『武士道』第十一章 克己・仮現のストイック主義勇の鍛錬は、事に耐へて呟かざるの精神を与へ、礼の教訓は、我が悲哀苦痛を露はして、他人の快楽安静を害ふこと勿からしむるにあり。この二は相合して、人の心に生ずるにストイック流の克己性を以てして、遂には仮現のストイック主義を表せる一種の国民的性格を形成するに至りたり。予の之を仮現のストイック主義と謂ふものは、真のストイック主義の、決して一国民全般の特性を成し得べきものに非らざるを信ずるが故にして、又た我国民の態度習慣の、外人の目に映じて或は無情冷酷なるの観を呈すべきが故なり。されど吾人とても亦た、実にこの蒼穹の下に住める、凡ての人類と共に哀楽の優しき情(緒)に感ずるの民なり。一理より推すに、けだし我が日本人は、自然の発情を敢て制遏せんとして、却て苦痛を増加するものなるが故に、他国の人に倍蓰して纏綿多感ならずんばあらず。
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論語・公冶長篇子曰く、「道行われず、桴に乗りて海に浮かばん。我に従わん者は、其れ由か。」子路之を聞きて喜ぶ。子曰く、「由や、勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所無し。」
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・生くべき時に生き死すべき時に死すされど生くべき時に生き、死すべき時に死するは真の勇なり』と。又た泰西の識者の、肉体の勇と道徳の勇とを区別するが如きは、我国人も亦たつとに之を為す。いやしくも士林に在る者は、小少より既に大勇と匹夫の勇とを弁知せざるものなかりしならん。剛毅、大胆、自若、勇猛の徳性は、青年武士の嚮往する所にして、彼等は実例に則り、実行に由り、世の最も尊尚する此徳を磨厲して、敢て人後に落ちざらんことを努めたり。孩提の児童と雖、なお母の懐に在りて、武功譚、英雄物語に耳を傾け、もし苦痛を哀訴することあらんか、母は『些少の苦痛に泣くは卑怯者』と呵し、継ぐに『戦場に出でて、腕を断たれなば何如。切腹を命ぜられなば何如』等の属語を以てしたり。
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・義を為すは勇なり勇もし義に由らずんば、即ち徳たるに値ひせず。孔子は論語にて、其常とする、消極よりして勇の定義を下し、『義を見て為さざるは勇無きなり』と説きしが、之を積極に換言すれば、則ち『義を為すは勇なり』となる。危を求め、命を殆くし、死の口に馳する事、人の或は之を以て勇に擬するあり。武人の如きは、誤つてシェイクスピアの所謂『庶出の勇』たる、暴虎憑河、死して悔いざる者を賛すと雖、ひとり武士道は然らず、死すべからずして死するを犬死と賤めたり。水戸の義公はプラトーの名さへ耳にせざりき。されば此哲人が勇を称して、『恐るべきものと、恐るべからざるものとを弁識することなり』と云へるが如きは、固より之を学びたること無し。然るに義公は曰へり、『戦に臨んで身を捨つること難からず、田夫野人と雖、之を能くす。
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