師導古典を学びたいすべての人に

武士道 / 第四章 勇・敢爲堅忍の精神・大勇の士は沈着重厚なり

されど武士道の勇に於ける觀念は、啻に斯の如きに止まらず。勇の人の精神に宿るや、現はれて沈毅となり、不動となる。平靜なるは勇の休息せる形にして、又た勇の平衡を得て靜止せる現象なり。之に反して大膽なる行爲は、其の動勢に表はれたる形なり。大勇の士は、沈着重厚なり。事に處して、其常を失はず、矢石を冒して怖れず、災危に臨んで動かず、雷霆の威に屈ぜず、風波の烈に驚かず、泰山前に崩るとも變ぜず、鼎錢の中にありて自から安じ、死生の巷に立ちて自から樂めり。眞の勇者は危を踏み、死に瀕して從容詩歌を詠じ、聲音筆蹟毫も平生に異ならず人、皆之を歎稱せり。蓋し悠々逼らざること、斯の如きは、其心に多大の餘裕あるに因らずんばあらず。

新字:されど武士道の勇に於ける観念は、啻に斯の如きに止まらず。勇の人の精神に宿るや、現はれて沈毅となり、不動となる。平静なるは勇の休息せる形にして、又た勇の平衡を得て静止せる現象なり。之に反して大胆なる行為は、其の動勢に表はれたる形なり。大勇の士は、沈着重厚なり。事に処して、其常を失はず、矢石を冒して怖れず、災危に臨んで動かず、雷霆の威に屈ぜず、風波の烈に驚かず、泰山前に崩るとも変ぜず、鼎銭の中にありて自から安じ、死生の巷に立ちて自から楽めり。真の勇者は危を踏み、死に瀕して従容詩歌を詠じ、声音筆跡毫も平生に異ならず人、皆之を嘆称せり。蓋し悠々逼らざること、斯の如きは、其心に多大の余裕あるに因らずんばあらず。

書き下し

されど武士道の勇に於ける観念は、ただにかくの如きに止まらず。勇の人の精神に宿るや、現はれて沈毅となり、不動となる。平静なるは勇の休息せる形にして、又た勇の平衡を得て静止せる現象なり。之に反して大胆なる行為は、其の動勢に表はれたる形なり。大勇の士は、沈着重厚なり。事に処して、其常を失はず、矢石を冒して怖れず、災危に臨んで動かず、雷霆の威に屈せず、風波の烈に驚かず、泰山前に崩るとも変ぜず、鼎釼の中にありて自から安んじ、死生の巷に立ちて自から楽めり。真の勇者は、危を踏み、死に瀕して従容詩歌を詠じ、声音筆蹟毫も平生に異ならず。人、皆之を歎称せり。けだし悠々逼らざること、かくの如きは、其心に多大の余裕あるに因らずんばあらず。

現代語訳

しかし武士道の勇についての観念は、これだけにとどまりません。勇が人の精神に宿ると、それは沈んだ強さとなり、動じないものとなって現れます。平静であることは勇が休んでいる形であり、また勇が釣り合いを得て静止した現象です。これに反して大胆な行いは、その動いている形です。大いなる勇の人は沈着で重厚です。事に当たって普段を失わず、矢や石を冒しても怖れず、災いや危険に臨んで動かず、雷の威に屈せず、風波の激しさに驚かず、泰山が前に崩れても変わらず、釜と剣の中にあっても自ら安らかで、死生の巷に立って自ら楽しみます。真の勇者は危険を踏み、死に臨んでゆったりと詩歌を詠み、声も筆跡も少しも普段と変わりません。人はみなこれを讃えました。思うに、これほど悠々として追い詰められないのは、その心に多くのゆとりがあるからに違いありません。

解説

勇の本体が沈着として定義されます。大胆な行為は勇が動いている形にすぎず、平静はそれが釣り合って静止した形。つまり騒がないことこそ勇の完成形だという見方です。そして死に臨んで詩を詠み、筆跡が普段と変わらないという基準が示されます。ゆとりがあるからそうできる、という理由づけも大事で、余裕は結果ではなく原因として置かれています。第三章で退けた匹夫の勇との差が、ここで最も明確になります。

この章句が説くこと

沈着平静余裕大勇

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる