春秋左氏伝 / 成公十六年 官を侵すは冒なり
有淖於前。乃皆左右。相違於淖。步毅御晉厲公。欒鍼為右。彭名御楚共王。潘黨為右。石首御鄭成公。唐苟為右。欒范以其族夾公行。陷於淖。欒書將載晉侯。鍼曰。書退。國有大任。焉得專之。且侵官。冒也。失官。慢也。離局。姦也。有三罪焉。不可犯也。乃掀公以出於淖。癸巳。潘尪之黨。與養由基。蹲甲而射之。徹七札焉。以示王。曰。君有二臣如此。何憂於戰。王怒曰。大辱國。詰朝。爾射死藝。呂錡夢射月。中之。退入於泥。占之曰。姬姓。日也。異姓。月也。必楚王也。射而中之。退入於泥。亦必死矣。及戰。射共王中目。王召養由基。與之兩矢。使射呂錡。中項伏弢。以一矢復命。
新字:有淖於前。乃皆左右。相違於淖。歩毅御晋厲公。欒鍼為右。彭名御楚共王。潘党為右。石首御鄭成公。唐苟為右。欒范以其族夾公行。陥於淖。欒書将載晋侯。鍼曰。書退。国有大任。焉得専之。且侵官。冒也。失官。慢也。離局。姦也。有三罪焉。不可犯也。乃掀公以出於淖。癸巳。潘尪之党。与養由基。蹲甲而射之。徹七札焉。以示王。曰。君有二臣如此。何憂於戦。王怒曰。大辱国。詰朝。爾射死芸。呂錡夢射月。中之。退入於泥。占之曰。姫姓。日也。異姓。月也。必楚王也。射而中之。退入於泥。亦必死矣。及戦。射共王中目。王召養由基。与之両矢。使射呂錡。中項伏弢。以一矢復命。
書き下し
淖前に有り。乃ち皆左右し、淖を相違く。步毅晉の厲公に御し、欒鍼右為り。彭名楚の共王に御し、潘黨右為り。石首鄭の成公に御し、唐苟右為り。欒・范其の族を以って公を夾みて行く。淖に陷る。欒書將に晉侯を載せんとす。鍼曰く、「書退け。國に大任有り、焉んぞ之を專らにするを得ん。且つ官を侵すは、冒なり。官を失ふは、慢なり。局を離るるは、姦なり。三罪有り、犯す可からざるなり」と。乃ち公を掀げて以って淖より出だす。癸巳、潘尪の黨、養由基と、甲を蹲めて之を射、七札を徹す。以って王に示して曰く、「君に二臣有ること此の如し、何ぞ戰を憂へん」と。王怒りて曰く、「大いに國を辱しむ。詰朝、爾射て藝に死せん」と。呂錡月を射て之に中て、退きて泥に入るを夢む。之を占ひて曰く、「姬姓は日なり。異姓は月なり。必ず楚王ならん。射て之に中て、退きて泥に入る、亦た必ず死せん」と。戰ふに及び、共王を射て目に中つ。王養由基を召し、之に兩矢を與へ、呂錡を射しむ。項に中て弢に伏す。一矢を以って命を復す。
現代語訳
晋の陣の前にぬかるみがあった。そこで軍はみな左右に分かれ、ぬかるみを避けて進んだ。歩毅が晋の厲公の戦車の御者を務め、欒鍼(らんけん、欒書の子)が車右となった。彭名が楚の共王の御者、潘党が車右。石首が鄭の成公の御者、唐苟が車右であった。欒氏と范氏はそれぞれ一族の兵を率いて厲公の車を両側から挟んで進んだ。厲公の車がぬかるみにはまった。欒書は晋侯を自分の車に乗せようとした。欒鍼が言った。「書よ、退きなさい。あなたには国家の大任(中軍の指揮)がある。どうして君を守る役まで独り占めできようか。そのうえ他人の職分を侵すのは冒(おかし)であり、自分の職分を捨てるのは慢(おこたり)であり、持ち場を離れるのは姦(よこしま)である。三つの罪になる。犯してはならない」。そこで欒鍼は厲公の車を持ち上げてぬかるみから出した。これより前の癸巳の日、潘尪の子の党(潘党)は養由基とともに、鎧を重ねて置いて射たところ、七枚の札を射抜いた。それを王に見せて言った。「君にはこのような二人の臣がいるのです。戦いを心配することなどありましょうか」。王は怒って言った。「国に大恥をかかせるものだ。明朝戦場に出れば、おまえたちはその弓の技のせいで死ぬであろう」。晋の呂錡(りょき、魏錡)は、月を射てそれに当て、自分は退いて泥の中に入る夢を見た。これを占った者は言った。「周と同じ姫姓は日、異姓は月です。月とは必ず楚王でしょう。射て当てたが、退いて泥に入るのは、あなたもまた必ず死ぬということです」。戦いが始まると、呂錡は共王を射て目に当てた。王は養由基を呼び、二本の矢を与えて呂錡を射させた。養由基は呂錡の首筋を射抜き、呂錡は弓袋の上に突っ伏して死んだ。養由基は残った一本の矢を王に返して復命した。
解説
この章句が説くこと
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論語・憲問篇子曰く、「我を知ること莫きかな。」子貢曰く、「何為れぞ其れ子を知ること莫からんや。」子曰く、「天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す。我を知る者は、其れ天か。」
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