春秋左氏伝 / 成公三年 上卿の序列
秋。叔孫僑如圍棘。取汶陽之田。棘不服。故圍之。晉郤克。衛孫良夫。伐廧咎如。討赤狄之餘焉。廧咎如潰。上失民也。冬。十一月。晉侯使荀庚來聘。且尋盟。衛侯使孫良夫來聘。且尋盟。公問諸臧宣叔曰。中行伯之於晉也。其位在三。孫子之於衛也。位為上卿。將誰先。對曰。次國之上卿。當大國之中。中當其下。下當其上大夫。小國之上卿。當大國之下卿。中當其上大夫。下當其下大夫。上下如是。古之制也。衛在晉。不得為次國。晉為盟主。其將先之。丙午。盟晉。丁未。盟衛。禮也。
新字:秋。叔孫僑如囲棘。取汶陽之田。棘不服。故囲之。晋郤克。衛孫良夫。伐廧咎如。討赤狄之余焉。廧咎如潰。上失民也。冬。十一月。晋侯使荀庚来聘。且尋盟。衛侯使孫良夫来聘。且尋盟。公問諸臧宣叔曰。中行伯之於晋也。其位在三。孫子之於衛也。位為上卿。将誰先。対曰。次国之上卿。当大国之中。中当其下。下当其上大夫。小国之上卿。当大国之下卿。中当其上大夫。下当其下大夫。上下如是。古之制也。衛在晋。不得為次国。晋為盟主。其将先之。丙午。盟晋。丁未。盟衛。礼也。
書き下し
秋、叔孫僑如棘を圍み、汶陽の田を取る。棘服せず、故に之を圍む。晉の郤克・衛の孫良夫、廧咎如を伐つ。赤狄の餘を討つなり。廧咎如潰ゆ。上民を失へばなり。冬十一月、晉侯荀庚をして來聘し、且つ盟を尋(あたた)めしむ。衛侯孫良夫をして來聘し、且つ盟を尋めしむ。公諸を臧宣叔に問ひて曰く、「中行伯の晉に於けるや、其の位三に在り。孫子の衛に於けるや、位上卿為り。將に誰をか先にせん」と。對へて曰く、「次國の上卿は、大國の中に當たり、中は其の下に當たり、下は其の上大夫に當たる。小國の上卿は、大國の下卿に當たり、中は其の上大夫に當たり、下は其の下大夫に當たる。上下是くの如きは、古の制なり。衛の晉に在るや、次國と為すを得ず。晉は盟主為り、其れ將に之を先にせん」と。丙午、晉に盟ひ、丁未、衛に盟ふ。禮なり。
現代語訳
秋、叔孫僑如(しゅくそんきょうじょ、宣伯)が棘の邑を包囲し、汶陽の田を収めた。棘が服従しなかったので包囲したのである。晋の郤克と衛の孫良夫が廧咎如(しょうこうじょ)を伐った。赤狄の残党を討つためである。廧咎如は潰走した。上に立つ者が民の心を失っていたからである。冬十一月、晋侯は荀庚を魯に遣わして聘問させ、あわせて盟約を再確認させた。衛侯も孫良夫を遣わして聘問させ、あわせて盟約を再確認させた。成公は臧宣叔に尋ねた。「中行伯(荀庚)は晋では第三位の地位にあり、孫子(孫良夫)は衛で上卿の位にある。どちらを先にすべきか」。臧宣叔は答えた。「次の格の国の上卿は大国の中卿にあたり、中卿は大国の下卿にあたり、下卿は大国の上大夫にあたります。小国の上卿は大国の下卿にあたり、中卿は大国の上大夫にあたり、下卿は大国の下大夫にあたります。上下の対応がこのようであるのが、古来の制度です。衛は晋に比べれば、次の格の国とさえ言えません。まして晋は盟主ですから、晋を先にすべきでしょう」。丙午の日に晋と盟を結び、丁未の日に衛と盟を結んだ。これは礼にかなっていた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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易経・序卦儀、錯(お)く所有り。
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『春秋左氏伝』昭公二十六年 礼の以て国を為むべきや久し式(もっ)て謌(うた)ひ且つ舞へ』と。陳氏の施し、民之を謌舞す。後世若し少しく惰りて陳氏にして亡びずんば、則ち國は其の國ならんのみ」と。公曰く、「善いかな。是れ若何す可き」と。對へて曰く、「唯だ禮以って之を已む可し。禮に在りては、家の施しは國に及ばず、民は遷らず、農は移らず、工・賈は變ぜず、士は濫せず、官は滔(おご)らず、大夫は公利を收めず」と。公曰く、「善いかな。我能はざるなり。吾今にして後に禮の以って國を為む可きを知る」と。對へて曰く、「禮の以って國を為む可きや久し。天地と並ぶ。君令し臣共し、父慈に子孝に、兄愛し弟敬し、夫和し妻柔に、姑慈に婦聽く、禮なり。君令して違はず、臣共して貳(ふたごころ)あらず、父慈にして教へ、子孝にして箴(いさ)め、兄愛して友に、弟敬して順ひ、夫和して義あり、妻柔にして正しく、姑慈にして從ひ、婦聽きて婉(ゑん)なるは、禮の善物なり」と。公曰く、「善いかな。寡人今にして後に此の禮の上を聞く」と。對へて曰く、「先王の天地に稟くる所にして、以って其の民を為むるなり。是を以って先王之を上ぶ」と。
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史記 劉敬叔孫通列伝遂に徵す所の三十人と西し、及び上の左右の學を為す者と其の弟子百餘人と、綿蕞(めんぜつ)を野外に為す。之を習ふこと月餘、叔孫通曰く、「上試みに觀るべし」と。上既に觀て、禮を行はしめて曰く、「吾能く此を為さん」と。乃ち群臣をして習肄せしめ、十月に會す。漢の七年、長樂宮成り、諸侯群臣皆十月に朝す。儀は、平明に先だち、謁者禮を治め、引きて次を以て殿門に入らしむ。廷中には車騎步卒を陳ねて宮を衛らしめ、兵を設け旗志を張る。傳へて「趨れ」と言ふ。殿下には郎中陛を俠み、陛ごとに數百人。功臣・列侯・諸將軍・軍吏は次を以て西方に陳なりて東鄉し、文官は丞相以下東方に陳なりて西鄉す。大行九賓を設け、臚傳す。是に於いて皇帝輦にて房を出づ。百官職を執りて警を傳へ、諸侯王以下吏六百石に至るまでを引きて次を以て賀を奉ぜしむ。諸侯王より以下、振恐して肅敬せざる莫し。禮畢はるに至りて、復た法酒を置く。諸々の殿上に侍坐する者、皆伏して首を抑へ、尊卑の次を以て起ちて壽を上る。觴九たび行き、謁者「酒を罷めよ」と言ふ。御史法を執り、儀の如くならざる者を舉げて輒ち引き去る。朝を竟へて酒を置くに、敢へて讙譁して禮を失ふ者無し。是に於いて高帝曰く、「吾乃ち今日皇帝為るの貴きを知れり」と。乃ち叔孫通を拜して太常と為し、金五百斤を賜ふ。叔孫通因りて進みて曰く、「諸弟子儒生、臣に隨ふこと久し。臣と共に儀を為す。願はくは陛下之を官とせよ」と。高帝悉く以て郎と為す。叔孫通出でて、皆五百斤の金を以て諸生に賜ふ。諸生乃ち皆喜びて曰く、「叔孫生は誠に聖人なり。當世の要務を知る」と。漢の九年、高帝叔孫通を徙して太子太傅と為す。漢の十二年、高祖趙王如意を以て太子に易へんと欲す。叔孫通上を諫めて曰く、「昔者晉の獻公、驪姬の故を以て太子を廢し、奚齊を立つ。晉國亂るること數十年、天下の笑ひと為る。
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