春秋左氏伝 / 成公三年・四年 兩君の此の堂に在る
十二月。甲戌。晉作六軍。韓厥。趙括。鞏朔。韓穿。荀騅。趙旃。皆為卿。賞鞍之功也。齊侯朝于晉。將授玉。郤克趨進曰。此行也。君為婦人之笑辱也。寡君未之敢任。晉侯享齊侯。齊侯視韓厥。韓厥曰。君知厥也乎。齊侯曰。服改矣。韓厥登舉爵曰。臣之不敢愛死。為兩君之在此堂也。荀罃之在楚也。鄭賈人有將窴諸褚中以出。既謀之。未行。而楚人歸之。賈人如晉。荀罃善視之。如實出己。賈人曰。吾無其功。敢有其實乎。吾小人。不可以厚誣君子。遂適齊。四年春。宋華元來聘。通嗣君也。杞伯來朝。歸叔姬故也。夏。公如晉。晉侯見公不敬。季文子曰。晉侯必不免。詩曰。敬之敬之。天惟顯思。命不易哉。夫晉侯之命。在諸侯矣。可不敬乎。
新字:十二月。甲戌。晋作六軍。韓厥。趙括。鞏朔。韓穿。荀騅。趙旃。皆為卿。賞鞍之功也。斉侯朝于晋。将授玉。郤克趨進曰。此行也。君為婦人之笑辱也。寡君未之敢任。晋侯享斉侯。斉侯視韓厥。韓厥曰。君知厥也乎。斉侯曰。服改矣。韓厥登舉爵曰。臣之不敢愛死。為両君之在此堂也。荀罃之在楚也。鄭賈人有将窴諸褚中以出。既謀之。未行。而楚人帰之。賈人如晋。荀罃善視之。如実出己。賈人曰。吾無其功。敢有其実乎。吾小人。不可以厚誣君子。遂適斉。四年春。宋華元来聘。通嗣君也。杞伯来朝。帰叔姫故也。夏。公如晋。晋侯見公不敬。季文子曰。晋侯必不免。詩曰。敬之敬之。天惟顕思。命不易哉。夫晋侯之命。在諸侯矣。可不敬乎。
書き下し
十二月甲戌、晉六軍を作る。韓厥・趙括・鞏朔・韓穿・荀騅・趙旃、皆卿と為る。鞍の功を賞するなり。齊侯晉に朝す。將に玉を授けんとす。郤克趨り進みて曰く、「此の行や、君婦人の笑辱の為なり。寡君未だ之を敢へて任ぜず」と。晉侯齊侯を享す。齊侯韓厥を視る。韓厥曰く、「君厥を知るか」と。齊侯曰く、「服改まれり」と。韓厥登りて爵を舉げて曰く、「臣の敢へて死を愛まざりしは、兩君の此の堂に在るが為なり」と。荀罃の楚に在るや、鄭の賈人將に諸を褚中に窴(い)れて以て出ださんとする有り。既に之を謀りて、未だ行はず。而して楚人之を歸す。賈人晉に如く。荀罃善く之を視ること、實に己を出だせしが如し。賈人曰く、「吾其の功無し、敢へて其の實を有たんや。吾は小人なり、以て厚く君子を誣ふべからず」と。遂に齊に適く。四年春、宋の華元來聘す。嗣君を通ずるなり。杞伯來朝す。叔姬を歸すが故なり。夏、公晉に如く。晉侯公を見ること敬ならず。季文子曰く、「晉侯必ず免れず。詩に曰く、『之を敬せよ、之を敬せよ。天惟れ顯かなり。命易からざるかな』と。夫れ晉侯の命は、諸侯に在り。敬せざるべけんや」と。
現代語訳
十二月甲戌の日、晋は六軍を編成した。韓厥・趙括・鞏朔・韓穿・荀騅・趙旃がみな卿となった。鞍の戦いの功を賞したのである。斉侯(頃公)が晋に来朝し、朝見の礼として玉を授けようとした。郤克が小走りに進み出て言った。「このたびのご来朝は、あなたの国の婦人がかつて私を笑い辱めたことが招いたものです。わが君はとても玉をお受けできません」。晋侯は斉侯を饗応した。斉侯は韓厥をじっと見た。韓厥は言った。「君は私をご存じですか」。斉侯は言った。「服が変わったな」。韓厥は堂に上がり、杯を挙げて言った。「私が(鞍の戦場で)死を惜しまなかったのは、両君がこうしてこの堂に並ばれる日のためでした」。荀罃(知罃)が楚に捕らわれていたとき、鄭の商人が彼を衣類の袋の中に隠して連れ出そうとしたことがあった。計画はしたが、まだ実行しないうちに、楚が荀罃を帰した。その商人が晋に行くと、荀罃は、実際に自分を救い出してくれたかのように手厚くもてなした。商人は言った。「私にはその功がないのに、どうしてその報いを受けられましょう。私はつまらぬ者ですが、君子をひどく欺くようなことはできません」。そして斉に去った。四年の春、宋の華元が来て聘問した。新しく立った君(共公)のことを通知するためである。杞伯が来朝した。叔姫を離縁して帰すためである。夏、成公が晋に行った。晋侯は成公に会うとき敬意を欠いた。季文子は言った。「晋侯はきっと禍を免れないだろう。詩に『敬え、敬え。天の道は明らかであり、天命を保つのはたやすくない』とある。晋侯の命運は諸侯の支持にかかっている。敬わないでよかろうか」。
解説
この章句が説くこと
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