春秋左氏伝 / 成公元年 劉康公、茅戎に敗る
元年春。晉侯使瑕嘉平戎于王。單襄公如晉拜成。劉康公徼戎。將遂伐之。叔服曰。背盟而欺大國。此必敗。背盟不祥。欺大國不義。神人弗助。將何以勝。不聽。遂伐茅戎。三月。癸未。敗績于徐吾氏。為齊難故。作丘甲。聞齊將出楚師。夏。盟于赤棘。秋。王人來告敗。冬。臧宣叔令脩賦繕完。具守備。曰。齊楚結好。我新與晉盟。晉楚爭盟。齊師必至。雖晉人伐齊。楚必救之。是齊楚同我也。知難而有備。乃可以逞。
新字:元年春。晋侯使瑕嘉平戎于王。単襄公如晋拝成。劉康公徼戎。将遂伐之。叔服曰。背盟而欺大国。此必敗。背盟不祥。欺大国不義。神人弗助。将何以勝。不聴。遂伐茅戎。三月。癸未。敗績于徐吾氏。為斉難故。作丘甲。聞斉将出楚師。夏。盟于赤棘。秋。王人来告敗。冬。臧宣叔令脩賦繕完。具守備。曰。斉楚結好。我新与晋盟。晋楚争盟。斉師必至。雖晋人伐斉。楚必救之。是斉楚同我也。知難而有備。乃可以逞。
書き下し
元年春、晉侯瑕嘉をして戎を王に平がしむ。單襄公晉に如きて成を拜す。劉康公戎を徼へ、將に遂に之を伐たんとす。叔服曰く、「盟に背きて大國を欺く、此れ必ず敗れん。盟に背くは不祥なり。大國を欺くは不義なり。神人助けず、將に何を以てか勝たん」と。聽かず。遂に茅戎を伐つ。三月、癸未、徐吾氏に敗績す。齊の難の為の故に、丘甲を作る。齊の將に楚の師を出ださんとするを聞き、夏、赤棘に盟ふ。秋、王人來りて敗を告ぐ。冬、臧宣叔賦を脩め完を繕ひ、守備を具へしめて、曰く、「齊・楚好を結ぶ。我新たに晉と盟ふ。晉・楚盟を爭ふ、齊の師必ず至らん。晉人齊を伐つと雖も、楚必ず之を救はん。是れ齊・楚我を同じくするなり。難を知りて備へ有らば、乃ち以て逞くすべし」と。
現代語訳
成公元年の春、晋侯(景公)は瑕嘉を遣わして、戎と周王との和睦を取り持たせた。周の単襄公が晋に赴いて、和睦の仲介に礼を述べた。ところが周の劉康公は、和睦で油断している戎の不意を突き、そのまま攻めようとした。叔服(周の内史)が言った。「盟いに背いて大国(晋)を欺けば、必ず敗れます。盟いに背くのは不吉であり、大国を欺くのは不義です。神も人も助けないでしょう。何によって勝てましょうか」。劉康公は聞き入れず、ついに茅戎を攻めた。三月癸未の日、徐吾氏の地で大敗した。魯は斉との紛争に備えるため、「丘甲」の制度を作り、丘の単位ごとに甲冑と兵を出させることにした。斉が楚の軍を引き出そうとしていると聞き、夏、晋と赤棘で盟いを結んだ。秋、周の王室の使者が来て、戎に敗れたことを告げた。冬、臧宣叔(臧孫許)は軍賦を整え、城郭を修理し、守備を固めさせて言った。「斉と楚は友好を結んでいる。わが国は新たに晋と盟いを結んだ。晋と楚は盟主の座を争っているから、斉の軍は必ずやって来る。晋が斉を討ったとしても、楚は必ず斉を救うだろう。つまり斉と楚がそろってわが国に向かってくるのだ。危難を知って備えがあってこそ、事を乗り切ることができる」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
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『墨子』公孟子墨子、公孟子に謂いて曰く、「喪禮は、君と父母と妻と後子と死すれば、三年の喪服、伯父・叔父・兄弟は期、族人は五月、姑・姊・甥は皆な數月の喪有り。或いは喪せざるの間を以て、詩三百を誦し、詩三百を歌い、詩三百を舞う。若し子の言を用いば、則ち君子は何れの日を以て聴治せん。庶人は何れの日を以て事に従わん」と。公孟子曰く、「國亂るれば則ち之を治め、治まれば則ち禮樂を為す。國治まれば則ち事に従い、國富めば則ち禮樂を為す」と。子墨子曰く、「國の治まるは、之を治むればなり。治むること廢すれば、則ち國の治まるも亦た廢す。國の富むや、事に従えばなり。事に従うこと廢すれば、則ち國の富むも亦た廢す。故に國を治むと雖も、之を勸めて饜くこと無く、然る後に可なり。今、子曰く、『國治まれば則ち禮樂を為し、亂るれば則ち之を治む』と。是れ譬うれば猶お噎して井を穿ち、死して醫を求むるがごときなり。古者、三代の暴王、桀・紂・幽・厲は、薾に聲樂を為して、其の民を顧みず。是を以て身は刑僇と為り、國は戾虚と為る者は、皆な此の道に従えばなり」と。
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尚書・說命中惟れ事を事とするに、乃ち其れ備え有り、備え有れば患い無し。
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孫子・虚実篇故に前に備うれば則ち後寡なく、後に備うれば則ち前寡なし。左に備うれば則ち右寡なく、右に備うれば則ち左寡なし。備えざる所無ければ、則ち寡なからざる所無し。寡なき者は人に備うる者なり、衆き者は人をして己に備えしむる者なり。
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葉隠・聞書第一覺りの士というのは、事に逢って仕(し)たるように、前方に、それぞれの仕様(しよう)を吟味し置いて、その時に出合い、仕果(しはた)す者である。不覺の士というのは、その時に至って前方に穿鑿せぬのは、不覺の士と申す。
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『墨子』備城門城下の里中の家人、各おの葆すること亦た左右前後、城上の如くす。城小さく人衆ければ、鄉の老弱を葆離し、國中及び大城に也す。㓂至らば、必ず攻めんことを度り、主人、先ず城編を削る。唯だ燒くこと勿かれ。冦、城下に在らば、時に吏卒の署を換え、而も亦た養を換うる毋かれ。養は城に上るを得る毋かれ。宼、城下に在らば、諸盆罋を牧め、城下に耕積す。百步に一積、積は五百。城門の内、室有るを得ず。周官・桓吏を為り、四尺を倪と為す。行棧の内閈、二關一堞。城場の外を除き、池を去ること百步、墻垣樹木の小大、盡く壊し代え除去す。寇の從りて來たる所、若しくは昵道・傒近、若しくは城塲は、皆な扈樓を為る。竹箭を天中に立つ。守堂の下に大樓を為り、髙く城に臨む。堂下、周く散じ、道中、客に應ず。客、見ゆるを待つ。時に三老・左葆・官中の者を召し、與に事を計る。之を為すこと奈何と。子墨子曰く、穴士の守を問う。邪びに穴を備うる者は、城内に髙樓を為りて以て此の十四者を謹み具うれば、則ち民も亦た上を疑わず。然る後に城、守る可し。十四者、一も無くんば、則ち善き者と雖も守る能わざるなり。
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