孫子 / 虚実篇
故備前則後寡,備後則前寡,備左則右寡,備右則左寡,無所不備,則無所不寡。寡者,備人者也;衆者,使人備己者也。
書き下し
故に前に備うれば則ち後寡なく、後に備うれば則ち前寡なし。左に備うれば則ち右寡なく、右に備うれば則ち左寡なし。備えざる所無ければ、則ち寡なからざる所無し。寡なき者は人に備うる者なり、衆き者は人をして己に備えしむる者なり。
現代語訳
前に備えれば後ろが手薄になり、後ろに備えれば前が手薄になる。左に備えれば右が、右に備えれば左が手薄になる。備えない場所がないということは、手薄でない場所がないということだ。手薄になるのは相手に備えている側であり、厚くできるのは相手に備えさせている側である。
解説
全方位の備えは、全方位の手薄と同じだという指摘である。守る側は常に後手に回り、力を薄く配らざるを得ない。最後の一句が要で、優位は兵力の多さではなく、備える側か備えさせる側かという立場の違いから生まれる。事業でも、競合の動きに反応し続けている限り資源は薄く分散する。相手に反応させる側に回った瞬間、同じ資源でも厚みが変わる。守りを固める前に、立場を入れ替えられないかを考えたい。
この章句が説くこと
備え分散主導権後手立場
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