葉隠 / 聞書第一
覺の士といふは、事に逢うて仕たる樣に、前方に、それぐの仕樣を吟味し置きて、その時に出合ひ、仕果する者なり。不覺の士といふは、その時に至つて前方穿鑿せぬは、不覺の士と申し候。
新字:覚の士といふは、事に逢うて仕たる様に、前方に、それぐの仕様を吟味し置きて、その時に出合ひ、仕果する者なり。不覚の士といふは、その時に至つて前方穿鑿せぬは、不覚の士と申し候。
書き下し
覺りの士というのは、事に逢って仕(し)たるように、前方に、それぞれの仕様(しよう)を吟味し置いて、その時に出合い、仕果(しはた)す者である。不覺の士というのは、その時に至って前方に穿鑿せぬのは、不覺の士と申す。
現代語訳
あらかじめ心づもりを決めておくのが賢い武士であり、前もって考えておかないのが心得の足りない武士である。賢い武士とは、実際に事が起きたときにすぐ実行できるよう、前もってあれこれの対処の仕方を吟味して準備しておき、いざその場面に出合ったときに見事にやり遂げる者のことだ。心得の足りない武士とは、その時になって初めて慌て、前もって何も調べ考えておかない者のことをいう。
解説
武士の力量は、事が起きる前の準備で決まる、と説く一条です。「覚の士」は、起こりうる場面を想定し、対処の手順をあらかじめ吟味しておくので、いざというとき迷わず動けます。逆に「不覚の士」は、その場になって初めて考え始め、後手に回ります。葉隠は死の覚悟を平生から繰り返し説きますが、それも同じ発想で、心づもりは事前にこそ固めておくべきだという思想です。現代でも、優れた仕事は本番前の段取りやシミュレーションで大半が決まります。トラブルや交渉、面談の前に「こう来たらこう返す」と筋書きを用意しておく人は、動じずに成果を出せる。備えが心の余裕と実力を生むという、普遍的な教えです。
この章句が説くこと
備え段取り事前の想定覚悟先手不覚
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