尚書 / 說命中
惟事事乃其有備,有備無患
書き下し
惟れ事を事とするに、乃ち其れ備え有り、備え有れば患い無し。
現代語訳
物事に取り組むにあたっては、あらかじめ備えをしておくべきであり、備えがあれば憂いはない。
解説
何か事が起きてから慌てて対応するのと、あらかじめ想定して備えておくのとでは、結果も心の余裕もまるで違う。日々の仕事でも家庭の暮らしでも、突発的な出来事は必ずやってくるが、そのときに慌てずに動けるかどうかは、事前にどれだけ準備してきたかにかかっている。備えるという地味な行為は目立たないが、いざというときの安心を支える最も確かな土台になる。なお、本篇は東晋期に伝わった古文尚書に属し、後世の編纂とみる説が有力である。
この章句が説くこと
備え準備安心
関連する章句
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孟子・公孫丑章句上孟子曰く、「仁なれば則ち榮え、不仁なれば則ち辱めらる。今辱めらるるを惡んで不仁に居るは、是れ猶ほ濕を惡んで下きに居るがごときなり。如し之を惡まば、徳を貴びて士を尊ぶに如くは莫し。賢者位に在り、能者職に在り、國家閒暇なりとせん。是の時に及びて其の政刑を明らかにせば、大國と雖も、必ず之を畏れん。詩に云う、『天の未だ陰雨せざるに迨(およぶ)んで、彼の桑土を徹(とる)り、牖(ユウ)戶を綢繆す。今此の下民、敢て予を侮どること或らんや。』孔子曰く、『此の詩を為りし者は、其れ道を知れるか。』能く其の國家を治めば、誰か敢て之を侮らん。今國家閒暇なりとせん。是の時に及んで般樂怠敖せば、是れ自ら禍を求むるなり。禍ᐻは己自り之を求めざる者無し。詩に云う『永く言、命を配し、自ら多ᐻを求む。』太甲に曰く、『天の作せる孼は猶ほ違く可し。自ら作せる孼は活く可からず。』此を之れ謂うなり。」
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葉隠・聞書第一前方(ぜんぽう)に極め置くのが覺(さと)りの士、穿鑿(せんさく)せぬのは不覺(ふかく)の士である。覺りの士というのは、事に逢って仕(し)たるように、前方に、それぞれの仕様(しよう)を吟味し置いて、その時に出合い、仕果(しはた)す者である。不覺の士というのは、その時に至って前方に穿鑿せぬのは、不覺の士と申す。
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孫子・始計篇その備えなき所を攻め、その意に出でざる所に出づ。
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孫子・虚実篇その趨かざる所に出で、その意わざる所に趨く。
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葉隠・聞書第二武士は草鞋(わらじ)を作り習え、一里外(いちりそと)へは一人一升の兵糧(ひょうろう)を持て。前神右衛門(さきがみうえもん)は沓(くつ)草鞋作り候事上手にて候。組被官(くみひかん)抱え候時も、「草鞋作り候や、この細工成らざる者は足もたずなり。」と申し候。又一里外へは、一人一升の兵糧を袋に入れ、附けさせ候。それ故、浅黄木綿(あさぎもめん)の袋数多(あまた)作り置き候。まず、一升ずつさえあれば、その内に才覚(さいかく)成り申し候。太閤様(たいこうさま)名護屋(なごや)御下向(ごげこう)の時、朱鞘(しゅざや)の御大小に、又家康公の御家中の騎馬を太閤様へ御目に懸けられ候由。軍中にて第一の用意なり。今にても第一の用意なり。足半(あしなか)を御懸け候て、成瀬小吉(なるせこきち)紅(くれない)の沓を鞘にかけ候時、上下の数万人の用に立ち候に付て、咎草鞋(とがわらじ)一束もあるまじく候。されば、兼ねて心にかけ用意ある人の用に立ち候。尤(もっと)も作り習い候わで叶わざる儀なり。芝原(しばはら)、山道、川中などにて、草鞋はすべき事なり。足半よく候となり。
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葉隠・聞書第二湛然(たんねん)和尚曰く「風鈴を懸けるのは風を知って火の用心する為」。湛然和尚風鈴を懸け置かれ、「音を愛するにてはなし、風を知りて火の用心すべき為なり。大寺を持つ気遣いは火の用心ばかりなり。」と御申し候。風吹きには自身夜廻りなされ、一生火鉢の火を消されず、枕元に行燈(あんどん)、附木(つけぎ)取揃え置き、「俄(にわか)の時ろたえて、火を早く立つる者なきものなり。」と御申し候。