春秋左氏伝 / 宣公十五年 才を恃む者は亡ぶ
晉侯將伐之,諸大夫皆曰:「不可,酆舒有三雋才,不如待後之人。」伯宗曰:「必伐之。狄有五罪:雋才雖多,何補焉?不祀,一也;耆酒,二也;棄仲章而奪黎氏地,三也;虐我伯姬,四也;傷其君目,五也。怙其雋才,而不以茂德,茲益罪也。後之人,或者將敬奉德義,以事神人,而申固其命。若之何待之?不討有罪,曰:『將待後。』後有辭而討焉,毋乃不可乎?夫恃才與眾,亡之道也,商紂由之故滅。天反時為災,地反物為妖,民反德為亂,亂則妖災生,故文反正為乏,盡在狄矣。」晉侯從之。
新字:晋侯将伐之,諸大夫皆曰:「不可,酆舒有三雋才,不如待後之人。」伯宗曰:「必伐之。狄有五罪:雋才雖多,何補焉?不祀,一也;耆酒,二也;棄仲章而奪黎氏地,三也;虐我伯姫,四也;傷其君目,五也。怙其雋才,而不以茂徳,茲益罪也。後之人,或者将敬奉徳義,以事神人,而申固其命。若之何待之?不討有罪,曰:『将待後。』後有辞而討焉,毋乃不可乎?夫恃才与衆,亡之道也,商紂由之故滅。天反時為災,地反物為妖,民反徳為乱,乱則妖災生,故文反正為乏,尽在狄矣。」晋侯従之。
書き下し
晉侯將に之を伐たんとす。諸大夫皆曰く、「不可なり。酆舒に三雋才有り、後の人を待つに如かず」と。伯宗曰く、「必ず之を伐て。狄に五罪有り、雋才多しと雖も、何ぞ補はん。祀らざる、一なり。酒を耆む、二なり。仲章を棄てて黎氏の地を奪ふ、三なり。我が伯姬を虐す、四なり。其の君の目を傷つく、五なり。其の雋才を怙みて、茂德を以てせず、茲れ益ます罪なり。後の人、或いは者將に德義を敬奉し、以て神人に事へて、其の命を申固せんとす。若之何ぞ之を待たん。有罪を討たずして、『將に後を待たん』と曰ひ、後に辭有りて焉を討つは、乃ち不可なること毋からんや。夫れ才と眾とを恃むは、亡の道なり、商紂之に由る、故に滅ぶ。天時に反くを災と為し、地物に反くを妖と為し、民德に反くを亂と為す。亂るれば則ち妖災生ず。故に文に正を反するを乏と為す。盡く狄に在り」と。晉侯之に從ふ。
現代語訳
晋侯(景公)は潞を討とうとした。大夫たちはみな言った。「なりません。酆舒には人並みはずれた才能が三つあります。後継の者が立つのを待つほうがよいでしょう」。伯宗は言った。「必ず討つべきです。狄には五つの罪があります。いくら優れた才能が多くても、何の埋め合わせになりましょう。祖先を祀らないのが第一の罪、酒におぼれるのが第二、賢臣の仲章を退けて黎氏の土地を奪ったのが第三、わが国の伯姫(景公の姉、潞子の夫人)を虐げて殺したのが第四、自分の君の目を傷つけたのが第五です。その優れた才能を頼みとして、盛んな徳を積もうとしない。これはいっそう罪を重くするものです。後継の者は、もしかすると徳義を敬い奉じ、神と人とに仕えて、その国の命運をいっそう固めるかもしれません。どうしてそれを待つことがありましょう。罪ある者を討たずに『後を待とう』と言い、後になって相手に言い分がある状態で討つのは、よろしくないのではありませんか。そもそも才能と人の多さを頼みとするのは、滅亡への道です。殷の紂王はこれによって滅びました。天が時節に逆らえば災害となり、地が万物の性に逆らえば怪異となり、民が徳に逆らえば乱となります。乱が起これば怪異や災害が生じます。だから文字の上でも『正』の字を逆にしたのが『乏』なのです。これらはすべて狄に当てはまります」。晋侯はこれに従った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・郷党篇色みて斯に挙がり、翔りて後に集まる。曰く、「山梁の雌雉、時なるかな、時なるかな。」子路之を共す。三たび嗅ぎて作つ。
-
『酔古堂剣掃』集綺・桑榆に暮景を憐れむ莫かれ紅顏未だ老いざるに、早く桃李に隨ひて春風に嫁し、 黃卷將に殘せんとす、桑榆に向ひて暮景を憐れむ莫かれ。
-
説苑・說叢時至らざれば、強いて生ずべからず。事究めざれば、強いて求むべからず。貞良にして亡ぶるは、先人の餘殃なり。猖獗にして活くるは、先人の餘烈なり。權は重きを取り、澤は長きを取る。才賢にして任輕ければ則ち名有り、不肖にして任大なれば身死し名廢る。
-
説苑・說叢時なるかな、時なるかな。間謀に及ばず。時の極みに至れば、間息を容れず。勞して體せざれば、亦た將に自ら息わんとす。有りて施さざれば、亦た將に自ら得んとす。
-
『呻吟語』内篇・問學・日落ちて城門に趕る日落ちて城門に趕る。一腳遲ければ便ち關ざされたり。何處にか止宿せん。故に學は時に及ぶを貴ぶ。懸崖に孤樹を抱く。一手鬆かなれば便ち脫れたり。何處にか身を落とさん。故に學は力を著くるを貴ぶ。故に老大に傷悲するも、時を追はんと要せば除は是れ再生なり。既に將に得んとするに失ふも、仍前ならんと要せば除は是れ頭より從ふなり。
-
史記 周本紀明年、犬戎を伐つ。明年、密須を伐つ。明年、耆国を敗る。殷の祖伊之を聞き、懼れて、以て帝紂に告ぐ。紂曰く、「天命有らずや。是れ何をか能く為さん」と。明年、邘を伐つ。明年、崇侯虎を伐つ。而して豊邑を作り、岐下より徙りて豊に都す。明年、西伯崩じ、太子発立つ。是を武王と為す。西伯蓋し即位五十年。其の羑里に囚はるるや、蓋し易の八卦を益して六十四卦と為す。詩人西伯を道ふに、蓋し命を受けし年に王を称して虞・芮の訟を断ずと。後十年にして崩じ、謚して文王と為す。法度を改め、正朔を制す。古公を追尊して太王と為し、公季を王季と為す。蓋し王の瑞は太王より興る。武王即位し、太公望を師と為し、周公旦を輔と為し、召公・畢公の徒王を左右し、師として文王の緒業を修む。九年、武王上りて畢に祭る。東のかた兵を観し、盟津に至る。文王の木主を為り、載するに車を以てし、中軍とす。武王自ら太子発と称し、文王を奉じて以て伐つと言ひ、敢へて自ら専らにせず。乃ち司馬・司徒・司空・諸節に告ぐ、「斉栗せよ、信なるかな。予無知なれども、先祖に徳臣有るを以て、小子先功を受け、畢く賞罰を立て、以て其の功を定めん」と。遂に師を興す。師尚父号して曰く、「爾の衆庶を総べ、爾の舟楫を与にせよ。後れて至る者は斬らん」と。武王河を渡り、中流にして、白魚躍りて王の舟中に入る。武王俯して取りて以て祭る。既に渡るに、火有りて上より下に復り、王屋に至りて、流れて烏と為る。其の色赤く、其の声魄なりと云ふ。是の時、諸侯期せずして盟津に会する者八百諸侯。諸侯皆曰く、「紂伐つ可し」と。武王曰く、「女未だ天命を知らず、未だ可ならず」と。乃ち師を還して帰る。居ること二年、紂の昏乱暴虐滋甚だしく、王子比干を殺し、箕子を囚ふと聞く。太師疵・少師彊其の楽器を抱きて周に奔る。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る