論語 / 郷党篇
色斯擧矣,翔而後集。曰:「山梁雌雉,時哉時哉!」子路共之,三嗅而作。
新字:色斯挙矣,翔而後集。曰:「山梁雌雉,時哉時哉!」子路共之,三嗅而作。
書き下し
色みて斯に挙がり、翔りて後に集まる。曰く、「山梁の雌雉、時なるかな、時なるかな。」子路之を共す。三たび嗅ぎて作つ。
現代語訳
(鳥は人の)気配を見るとすぐに飛び立ち、空を舞ってから(安全を見定めて)降りて止まる。(先生が)おっしゃった。「山の橋のたもとにいる雌のキジは、時をわきまえているなあ、時をわきまえているなあ。」子路がキジのほうへ手を組んで敬うしぐさをすると、(キジは)三度においをかいで飛び立っていった。
解説
解釈の分かれる難解な章である。確かなのは、鳥の身の処し方に孔子が感嘆したという点だ。気配を察して飛び立ち、旋回して安全を確かめてから降りる。危険を察知する速さと、着地する前の慎重さ。この二つを備えているから、雉は時を得ている。孔子が求めても得られなかったのが、まさにこの時であった。用いられる時機に恵まれなかった人が、鳥の身のこなしに理想を見た場面と読める。組織や事業の進退にも、この二つの動作は要る。危ういと感じたら、まず離れる。戻るときは、旋回して確かめてから降りる。飛び立つ判断は速く、降りる判断は遅く。順序を逆にすると、逃げ遅れて、飛びつくのは早い、という最悪の形になる。
この章句が説くこと
時機進退雉察知慎重
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