春秋左氏伝 / 宣公十二年 挟纊の励まし
冬,楚子伐蕭,宋華椒以蔡人救蕭。蕭人囚熊相宜僚及公子丙,王曰:「勿殺,吾退。」蕭人殺之。王怒,遂圍蕭,蕭潰。申公巫臣曰:「師人多寒,王巡三軍,拊而勉之,三軍之士,皆如挾纊。」遂傅于蕭。還無社與司馬卯言,號申叔展。叔展曰:「有麥麴乎?」曰:「無。」「有山鞠窮乎?」曰:「無。」「河魚腹疾奈何?」曰:「目于眢井而拯之。」「若為茅絰,哭井則已。」明日,蕭潰,申叔視其井,則茅絰存焉,號而出之。晉原縠、宋華椒、衛孔達、曹人,同盟于清丘,曰:「恤病討貳。」於是卿不書,不實其言也。宋為盟故,伐陳,衛人救之。孔達曰:「先君有約言焉,若大國討,我則死之。」
新字:冬,楚子伐蕭,宋華椒以蔡人救蕭。蕭人囚熊相宜僚及公子丙,王曰:「勿殺,吾退。」蕭人殺之。王怒,遂囲蕭,蕭潰。申公巫臣曰:「師人多寒,王巡三軍,拊而勉之,三軍之士,皆如挟纊。」遂傅于蕭。還無社与司馬卯言,号申叔展。叔展曰:「有麦麴乎?」曰:「無。」「有山鞠窮乎?」曰:「無。」「河魚腹疾奈何?」曰:「目于眢井而拯之。」「若為茅絰,哭井則已。」明日,蕭潰,申叔視其井,則茅絰存焉,号而出之。晋原縠、宋華椒、衛孔達、曹人,同盟于清丘,曰:「恤病討貳。」於是卿不書,不実其言也。宋為盟故,伐陳,衛人救之。孔達曰:「先君有約言焉,若大国討,我則死之。」
書き下し
冬、楚子蕭を伐つ。宋の華椒蔡人を以て蕭を救ふ。蕭人熊相宜僚及び公子丙を囚ふ。王曰く、「殺すこと勿かれ、吾退かん」と。蕭人之を殺す。王怒り、遂に蕭を圍む。蕭潰えんとす。申公巫臣曰く、「師人寒ゆるもの多し」と。王三軍を巡り、拊して之を勉ます。三軍の士、皆纊を挾むが如し。遂に蕭に傅く。還無社司馬卯と言ひ、申叔展を號ぶ。叔展曰く、「麥麴有りや」と。曰く、「無し」と。「山鞠窮有りや」と。曰く、「無し」と。「河魚の腹疾は奈何せん」と。曰く、「眢井に目して之を拯へ」と。「若し茅絰を為らば、井に哭すれば則ち已めん」と。明日、蕭潰ゆ。申叔其の井を視れば、則ち茅絰存す、號びて之を出す。晉の原縠・宋の華椒・衛の孔達・曹人、清丘に同盟して、曰く、「病めるを恤れみ貳けるを討たん」と。是に於て卿書せず、其の言を實にせざればなり。宋盟の故の為に、陳を伐つ。衛人之を救ふ。孔達曰く、「先君約言有り、若し大國討たば、我則ち之に死せん」と。
現代語訳
冬、楚子(荘王)が蕭を攻めた。宋の華椒は蔡の兵を率いて蕭を救った。蕭人は楚の熊相宜僚と公子丙を捕らえた。王は言った。「殺すな。そうすれば私は兵を退こう」。しかし蕭人は二人を殺した。王は怒り、ついに蕭を包囲した。蕭は崩れかけていた。申公巫臣が言った。「兵たちの多くが寒さに凍えております」。そこで王は三軍を見回り、兵たちの体をなでて励ました。三軍の兵はみな、真綿の入った衣を着ているかのように温かく感じた。こうしてついに蕭の城壁に取りついた。蕭の大夫の還無社は、楚の司馬卯と話をして、知り合いの申叔展を呼んでもらった。叔展は言った。「麦麹はあるか」。還無社は「ない」と答えた。「山鞠窮はあるか」。「ない」。(湿気を防ぐ薬がないなら)「河の魚のように腹を病んだらどうする」。還無社は言った。「涸れ井戸に目をつけて、そこから私を救い出してください」。叔展は言った。「もし茅で編んだ縄の目印を置いておいてくれれば、井戸のところで泣き声をあげて合図しよう」。翌日、蕭は潰えた。申叔展がその井戸を見ると、茅の縄が置いてあったので、泣き声をあげて呼びかけ、還無社を救い出した。晋の原縠(先縠)、宋の華椒、衛の孔達、曹の人が清丘で同盟を結び、「困っている国を助け、二心を抱く国を討とう」と誓った。このとき『春秋』が卿の名を記さなかったのは、彼らがその誓いを実行しなかったからである。宋はこの盟いを理由に陳を攻めた。衛人は陳を救った。孔達は言った。「先君は陳と約束を交わしている。もし大国(晋)がこれを咎めて攻めてくるなら、私が死んで責めを負おう」。
解説
この章句が説くこと
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李衛公問対・卷下故に用兵の法は、必ず先ず吾が士衆を察し、吾が勝氣を激して、乃ち以て敵を擊つべし。吳起の『四機』は、氣機を以て上と爲す。他の道無きなり。能く人人をして自ら鬬わしむれば、則ち其の銳當たる莫し。
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史記 高祖本紀約に負き、更めて沛公を立てて漢王と為し、巴・蜀・漢中に王とし、南鄭に都せしむ。関中を三分し、秦の三将を立つ。章邯を雍王と為し、廃丘に都せしむ。司馬欣を塞王と為し、櫟陽に都せしむ。董翳を翟王と為し、高奴に都せしむ。楚の将瑕丘の申陽を河南王と為し、洛陽に都せしむ。趙の将司馬卬を殷王と為し、朝歌に都せしむ。趙王歇徙りて代に王たり。趙の相張耳を常山王と為し、襄国に都せしむ。当陽君黥布を九江王と為し、六に都せしむ。懐王の柱国共敖を臨江王と為し、江陵に都せしむ。番君呉芮を衡山王と為し、邾に都せしむ。燕の将臧荼を燕王と為し、薊に都せしむ。故の燕王韓広徙りて遼東に王たり。広聴かず、臧荼攻めて之を無終に殺す。成安君陳余を河間の三県に封じ、南皮に居らしむ。梅鋗を十万戸に封ず。四月、兵戯下に罷み、諸侯各々国に就く。漢王国に之く、項王卒三万人をして従はしむ、楚と諸侯の慕ひて従ふ者数万人、杜の南より蝕中に入る。去れば輒ち棧道を焼き絶ち、以て諸侯の盗兵の之を襲ふに備へ、亦項羽に東する意無きを示す。南鄭に至る、諸将及び士卒多く道に亡げ帰る、士卒皆歌ひて東帰を思ふ。韓信漢王に説きて曰く、「項羽諸将の功有る者を王とし、而して王独り南鄭に居る、是れ遷なり。軍吏士卒は皆山東の人なり、日夜跂ちて帰らんことを望む、其の鋒に及びて之を用ゐば、以て大功有るべし。天下已に定まらば、人皆自ら寧んじ、復た用ゐるべからず。策を決して東に郷ひ、天下に権を争ふに如かず。」と。項羽関を出で、人をして義帝を徙さしむ。曰く、「古の帝者は地方千里、必ず上游に居る。」と。乃ち使をして義帝を長沙の郴県に徙さしめ、義帝の行を趣す、群臣稍々之に倍叛す、乃ち陰かに衡山王・臨江王をして之を撃たしめ、義帝を江南に殺す。項羽田栄を怨み、斉の将田都を立てて斉王と為す。
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孫子・作戦篇故に智将は敵に食するを務む。敵に食する一鍾は、吾が二十鍾に当たり、萁稈一石は、吾が二十石に当たる。
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