呻吟語 / 外篇・品藻・士氣と傲氣
土氣不可無,傲氣不可有。士氣者,明於人己之分,守正而不詭隨。傲氣者,昧於上下之等,好高而不素位。自處者每以傲人為士氣,觀人者每以士氣為傲人。悲夫!故惟有士氣者能謙己下人。彼做人者昏夜乞哀,或不可知矣。
新字:土気不可無,傲気不可有。士気者,明於人己之分,守正而不詭随。傲気者,昧於上下之等,好高而不素位。自処者毎以傲人為士気,観人者毎以士気為傲人。悲夫!故惟有士気者能謙己下人。彼做人者昏夜乞哀,或不可知矣。
書き下し
士氣は無かる可からず、傲氣は有る可からず。士氣なる者は、人己の分に明らかにして、正を守りて詭隨せず。傲氣なる者は、上下の等に昧くして、高きを好みて位に素せず。自ら處する者は每に人に傲るを以て士氣と為し、人を觀る者は每に士氣を以て人に傲ると為す。悲しいかな。故に惟だ士氣有る者のみ能く己を謙りて人に下る。
現代語訳
士としての気は無くてはならず、驕りの気はあってはなりません。士の気とは、自分と他人の分をはっきり知り、正しさを守って言いなりにならないことです。驕りの気とは、上下の等級に暗く、高いところを好んで今の位に安んじないことです。自分を処す者はいつも人に驕ることを士の気だと思い、人を観る者はいつも士の気を人への驕りだと思います。悲しいことです。だから本当に士の気がある者だけが、自分を謙って人に下れます。
解説
よく似た二つの気を、分の自覚で分けます。士の気は分を知り正しさを守ること、驕りの気は等級に暗く上を好むこと。そして二重の取り違えが描かれます。本人は驕りを士気だと思い、周りは士気を驕りだと思う。最後の一句が結論で、本物の士気がある者ほど謙ることになります。本物の士気がある者ほど謙る、という結論になっています。
この章句が説くこと
士気驕り分取り違え謙る
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