春秋左氏伝 / 宣公十二年 荀首、良矢を惜しむ
趙旃以其良馬二,濟其兄與叔父,以他馬反。遇敵不能去,棄車而走林。逢大夫與其二子乘,謂其二子無顧。顧曰:「趙傁在後。」怒之,使下,指木曰:「尸女於是。」授趙旃綏以免。明日以表尸之,皆重獲在木下。楚熊負羈囚知罃,知莊子以其族反之,廚武子御。下軍之士多從之,每射,抽矢菆,納諸廚子之房。廚子怒曰:「非子之求,而蒲之愛,董澤之蒲,可勝既乎?」知季曰:「不以人子,吾子其可得乎?吾不可以苟射故也。」射連尹襄老,獲之,遂載其尸。射公子穀臣,囚之,以二者還。及昏,楚師軍於邲,晉之餘師不能軍,宵濟,亦終夜有聲。丙辰,楚重至於邲,遂次于衡雍。
新字:趙旃以其良馬二,済其兄与叔父,以他馬反。遇敵不能去,棄車而走林。逢大夫与其二子乗,謂其二子無顧。顧曰:「趙傁在後。」怒之,使下,指木曰:「尸女於是。」授趙旃綏以免。明日以表尸之,皆重獲在木下。楚熊負羈囚知罃,知荘子以其族反之,廚武子御。下軍之士多従之,毎射,抽矢菆,納諸廚子之房。廚子怒曰:「非子之求,而蒲之愛,董沢之蒲,可勝既乎?」知季曰:「不以人子,吾子其可得乎?吾不可以苟射故也。」射連尹襄老,獲之,遂載其尸。射公子穀臣,囚之,以二者還。及昏,楚師軍於邲,晋之余師不能軍,宵済,亦終夜有声。丙辰,楚重至於邲,遂次于衡雍。
書き下し
趙旃其の良馬二を以て、其の兄と叔父とを濟し、他馬を以て反る。敵に遇ひて去ること能はず、車を棄てて林に走る。逢大夫其の二子と乘る、其の二子に謂ひて顧みること無からしむ。顧みて曰く、「趙傁後に在り」と。之を怒り、下らしめ、木を指して曰く、「女を是に尸せん」と。趙旃に綏を授けて以て免る。明日表を以て之を尸す、皆重なりて木の下に獲らる。楚の熊負羈知罃を囚ふ。知莊子其の族を以て之に反る、廚武子御す。下軍の士多く之に從ふ。射る每に、矢を抽きて菆なれば、諸を廚子の房に納む。廚子怒りて曰く、「子を之れ求めずして、蒲を之れ愛む。董澤の蒲、勝げて既すべけんや」と。知季曰く、「人の子を以てせずんば、吾が子其れ得べけんや。吾以て苟くも射るべからざる故なり」と。連尹襄老を射て、之を獲、遂に其の尸を載す。公子穀臣を射て、之を囚ふ。二者を以て還る。昏に及び、楚の師邲に軍す。晉の餘師軍すること能はず、宵に濟る、亦た終夜聲有り。丙辰、楚の重邲に至り、遂に衡雍に次す。
現代語訳
趙旃は自分の良馬二頭を使って兄と叔父を逃がし、自分は別の馬で引き返した。敵に出くわして逃げることができず、車を捨てて林に逃げ込んだ。逢大夫が二人の息子と戦車に乗って通りかかり、息子たちに振り返るなと言いつけた。ところが息子たちは振り返って言った。「趙のご老人が後ろにいます」。逢大夫は怒って二人を車から降ろし、木を指さして言った。「おまえたちの屍はここで拾ってやる」。そして趙旃に車に乗るための綱を渡し、趙旃は助かった。翌日、目印の木をたよりに屍を収めに行くと、二人の息子は木の下で折り重なって死んでいた。楚の熊負羈が知罃(荀罃、荀首の子)を捕虜にした。知荘子(荀首)は自分の一族の兵を率いて引き返し、廚武子(魏錡)が御者を務めた。下軍の兵の多くがこれに従った。荀首は矢を射るたびに、抜いた矢が良い矢であれば射ずに、廚子(魏錡)の矢筒に納めた。廚子は怒って言った。「息子を探し出そうとはせずに、矢の蒲を惜しむとは。董沢の蒲がそんなに乏しく、使い尽くせるものだとでもいうのか」。知季(荀首)は言った。「他人の子を捕らえずに、どうしてわが子を取り戻せようか。だから良い矢をむやみに射るわけにはいかないのだ」。そして連尹(楚の官名)の襄老を射てこれを討ち取り、その屍を車に載せた。公子穀臣を射て、これを捕らえた。この二人を連れて引き揚げた。日暮れになり、楚軍は邲に陣を張った。晋の残兵は陣を張ることもできず、夜のうちに河を渡ったが、一晩中騒がしい声が絶えなかった。丙辰の日、楚の輜重が邲に到着し、そのまま衡雍に駐屯した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』宣公十二年 人に先んずる趙嬰齊其の徒をして先づ舟を河に具へしむ、故に敗れて先づ濟る。潘黨既に魏錡を逐ふ。趙旃夜楚の軍に至り、軍門の外に席して、其の徒をして之に入らしむ。楚子乘廣三十乘を為り、分ちて左右と為す。右廣は、雞鳴にして駕し、日中にして說く。左則ち之を受け、日入にして說く。許偃右廣に御し、養由基右と為る。彭名左廣に御し、屈蕩右と為る。乙卯、王左廣に乘りて、以て趙旃を逐ふ。趙旃車を棄てて林に走る、屈蕩之に搏ちて、其の甲裳を得たり。晉人二子の楚の師を怒らせんことを懼るるや、軘車をして之を逆へしむ。潘黨其の塵を望み、騁せて告げしめて曰く、「晉の師至れり」と。楚人も亦た王の晉の軍に入らんことを懼るるや、遂に出でて陳す。孫叔曰く、「之を進めよ。寧ろ我人に薄るとも、人の我に薄ること無かれ。詩に云ふ、『元戎十乘、以て先づ行を啟く』と、人に先んずるなり。軍志に曰く、『人に先んずれば人の心を奪ふこと有り』と、之に薄るなり」と。遂に疾く師を進め、車馳せ卒奔りて、晉の軍に乘ず。桓子為す所を知らず、軍中に鼓して、曰く、「先づ濟る者には賞有り」と。
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『春秋左氏伝』宣公十二年 晋将、戦和に割れる子良は、鄭の良なり。師叔は、楚の崇なり。師叔入りて盟ひ、子良楚に在り、楚・鄭親しめり。來りて我に戰ひを勸む、我克たば則ち來り、克たずんば遂に往かん、我を以て卜するなり。鄭は從ふべからず、と。趙括・趙同曰く、「師を率ゐて以て來るは、唯だ敵を是れ求むるなり。敵に克ちて屬を得ん、又何をか俟たん。必ず彘子に從はん」と。知季曰く、「原・屏は、咎の徒なり」と。趙莊子曰く、「欒伯、善いかな。其の言を實にせば、必ず晉國に長たらん」と。楚の少宰晉の師に如きて、曰く、「寡君少くして閔凶に遭ひ、文なること能はず。二先君の此の行に出入せしを聞く、將に鄭を是れ訓定せんとするなり、豈に敢へて罪を晉に求めんや。二三子淹久すること無かれ」と。隨季對へて曰く、「昔平王我が先君文侯に命じて曰く、『鄭と夾みて周室を輔け、王命を廢すること毋かれ』と。今鄭率はず、寡君群臣をして諸を鄭に問はしむ、豈に敢へて候人を辱めんや。敢へて君命の辱きを拜す」と。彘子以て諂へりと為し、趙括をして從ひて之を更めしめて曰く、「行人辭を失へり。寡君群臣をして大國の跡を鄭より遷さしめて、曰く、『敵を辟くること無かれ』と。群臣命を逃るる所無し」と。
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『春秋左氏伝』成公三年 知罃、楚王に答ふ三年春、諸侯鄭を伐ち、伯牛に次る。邲の役を討つなり。遂に東のかた鄭を侵す。鄭の公子偃師を帥ゐて之を禦ぐ。東鄙をして諸を鄤に覆せしめ、諸を丘輿に敗る。皇戌楚に如きて捷を獻ず。夏、公晉に如きて汶陽の田を拜す。許楚を恃みて鄭に事へず。鄭の子良許を伐つ。晉人楚の公子穀臣と連尹襄老の尸とを楚に歸して、以て知罃を求む。是に於て荀首中軍に佐たり。故に楚人之を許す。王知罃を送りて曰く、「子其れ我を怨むか」と。對へて曰く、「二國戎を治む。臣不才にして、其の任に勝へず、以て俘馘と為る。執事以て鼓に釁らず、歸りて戮に即かしむるは、君の惠なり。臣實に不才なり、又誰をか敢へて怨みん」と。王曰く、「然らば則ち我を德とするか」と。對へて曰く、「二國其の社稷を圖りて、其の民を紓べんことを求む。各其の忿りを懲らして、以て相宥す。兩つながら纍囚を釋して、以て其の好を成す。二國好有り、臣與り及ばず。其れ誰をか敢へて德とせん」と。王曰く、「子歸らば何を以て我に報いん」と。對へて曰く、「臣怨みを受くるに任へず、君も亦た德を受くるに任へず。怨み無く德無し、報ゆる所を知らず」と。王曰く、「然りと雖も、必ず不穀に告げよ」と。對へて曰く、「君の靈を以て、纍臣骨を晉に歸すを得、寡君の以て戮と為さば、死すとも且つ朽ちず。若し君の惠に從ひて之を免さば、以て君の外臣首に賜ひ、首其れ寡君に請ひて、以て宗に戮せられんも、亦た死すとも且つ朽ちず。若し命を獲ずして、宗職を嗣がしめ、次いで事に及び、而して偏師を帥ゐて以て封疆を脩めば、執事に遇ふと雖も、其れ敢へて違はず。其れ力を竭くし死を致し、二心有ること無く、以て臣の禮を盡くさん。報ゆる所以なり」と。王曰く、「晉未だ與に爭ふべからず」と。重く之が禮を為して之を歸す。
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『春秋左氏伝』宣公十二年 釁を観て動く夏、六月、晉師鄭を救ふ。荀林父中軍に將たり、先縠之に佐たり。士會上軍に將たり、郤克之に佐たり。趙朔下軍に將たり、欒書之に佐たり。趙括・趙嬰齊中軍の大夫為り。鞏朔・韓穿上軍の大夫為り。荀首・趙同下軍の大夫為り。韓厥司馬為り。河に及び、鄭既に楚と平らぐと聞く。桓子還らんと欲して曰く、「鄭に及ぶ無くして、民を勦(つか)らす、焉んぞ之を用ゐん。楚歸りて動くも、後れず」と。隨武子曰く、「善し。會聞く、師を用ゐるには釁(きん)を觀て動く、と。德・刑・政・事・典・禮易(か)はらざれば、敵す可からざるなり。是が為に征せず。楚軍鄭を討ず、其の貳を怒りて其の卑きを哀れむ。叛けば之を伐ち、服すれば之を舍す。德刑成れり。叛くを伐つは、刑なり。服するを柔らぐるは、德なり。二者立てり。昔歲陳に入り、今茲鄭に入る。民罷勞せず、君怨讟(ゑんどく)無し。政經有り。荊尸して舉ぐ。商農工賈、其の業を敗らずして、卒乘輯睦す。事奸(をか)さず。蔿敖宰と為り、楚國の令典を擇ぶ。
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『春秋左氏伝』宣公十二年 士季、備えを説く楚の潘黨之を逐ひ、熒澤に及ぶ。六麋を見て、一麋を射て以て顧みて獻じて、曰く、「子に軍事有り、獸人乃ち鮮を給せざること無からんや。敢へて從者に獻ず」と。叔黨命じて之を去らしむ。趙旃卿を求めて未だ得ず、且つ楚の師を致す者を失へるを怒り、戰ひを挑まんことを請ふ、許さず。盟を召かんことを請ふ、之を許す。魏錡と皆命ぜられて往く。郤獻子曰く、「二憾往けり、備へずんば必ず敗れん」と。彘子曰く、「鄭人戰ひを勸むれども、敢へて從はざるなり。楚人成を求むれども、好みすること能はざるなり。師に成命無し、多く備へて何をか為さん」と。士季曰く、「之に備ふるは善し。若し二子楚を怒らせ、楚人我に乘ぜば、師を喪ふこと日無からん。之に備ふるに如かず。楚の惡無くんば、備へを除きて盟はん、何ぞ好みを損せん。若し惡を以て來らば、備へ有れば敗れず。且つ諸侯相見ゆと雖も、軍衛徹せざるは、警めなり」と。彘子可かず。士季鞏朔・韓穿をして七覆を敖の前に帥ゐしむ、故に上軍敗れず。
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『春秋左氏伝』宣公十三年 悪の来るは己之を取る十三年春、齊の師莒を伐つ、莒晉を恃みて齊に事へざる故なり。夏、楚子宋を伐つ、其の蕭を救ひしを以てなり。君子曰く、「清丘の盟、唯だ宋のみ以て免るべし」と。秋、赤狄晉を伐ち、清に及ぶ。先縠之を召けるなり。冬、晉人邲の敗と、清の師とを討じ、罪を先縠に歸して之を殺し、盡く其の族を滅ぼす。君子曰く、「惡の來るや、己則ち之を取る、其れ先縠の謂か」と。清丘の盟、晉衛の陳を救ひしを以て、焉を討じ、人をして去らざらしめて、曰く、「罪歸する所無くんば、將に而の師に加へんとす」と。孔達曰く、「苟くも社稷に利あらば、請ふ我を以て說け。罪は我に由る。我則ち政を為して、大國の討に亢ふ、將に誰を以てか任ぜん。我則ち之に死せん」と。
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