春秋左氏伝 / 宣公十二年 舟中の指、掬すべし
中軍下軍爭舟,舟中之指可掬也。晉師右移,上軍未動。工尹齊將右拒卒,以逐下軍。楚子使唐狡與蔡鳩居,告唐惠侯曰:「不穀不德而貪,以遇大敵,不穀之罪也。然楚不克,君之羞也,敢藉君靈,以濟楚師。」使潘黨率游闕四十乘,從唐侯以為左拒,以從上軍。駒伯曰:「待諸乎?」隨季曰:「楚師方壯,若萃於我,吾師必盡,不如收而去之,分謗生民,不亦可乎?殿其卒而退,不敗。」王見右廣,將從之乘,屈蕩尸之曰:「君以此始,亦必以終。」自是楚之乘廣先左。晉人或以廣隊,不能進,楚人惎之脫扃,少進,馬還,又惎之拔旆投衡,乃出。顧曰:「吾不如大國之數奔也。」
新字:中軍下軍争舟,舟中之指可掬也。晋師右移,上軍未動。工尹斉将右拒卒,以逐下軍。楚子使唐狡与蔡鳩居,告唐恵侯曰:「不穀不徳而貪,以遇大敵,不穀之罪也。然楚不克,君之羞也,敢藉君霊,以済楚師。」使潘党率游闕四十乗,従唐侯以為左拒,以従上軍。駒伯曰:「待諸乎?」随季曰:「楚師方壮,若萃於我,吾師必尽,不如収而去之,分謗生民,不亦可乎?殿其卒而退,不敗。」王見右広,将従之乗,屈蕩尸之曰:「君以此始,亦必以終。」自是楚之乗広先左。晋人或以広隊,不能進,楚人惎之脱扃,少進,馬還,又惎之抜旆投衡,乃出。顧曰:「吾不如大国之数奔也。」
書き下し
中軍・下軍舟を爭ひ、舟中の指掬すべし。晉の師右に移る、上軍未だ動かず。工尹齊右拒の卒に將として、以て下軍を逐ふ。楚子唐狡と蔡鳩居とをして、唐の惠侯に告げしめて曰く、「不穀不德にして貪り、以て大敵に遇ふ、不穀の罪なり。然れども楚克たずんば、君の羞なり。敢へて君の靈に藉りて、以て楚の師を濟さん」と。潘黨をして游闕四十乘を率ゐ、唐侯に從ひて以て左拒と為し、以て上軍に從はしむ。駒伯曰く、「諸を待たんか」と。隨季曰く、「楚の師方に壯んなり、若し我に萃まらば、吾が師必ず盡きん。收めて之を去り、謗りを分ちて民を生かすに如かず、亦た可ならずや」と。其の卒に殿して退く、敗れず。王右廣を見て、將に之に從ひて乘らんとす。屈蕩之を尸めて曰く、「君此を以て始む、亦た必ず以て終へよ」と。是れより楚の乘廣は左を先にす。晉人或いは廣を以て隊ち、進むこと能はず。楚人之に惎へて扃を脫せしむ、少しく進むも、馬還る。又之に惎へて旆を拔き衡に投ぜしむ、乃ち出づ。顧みて曰く、「吾は大國の數しば奔るに如かざるなり」と。
現代語訳
中軍と下軍の兵が舟を奪い合い、先に乗った者が舟べりにすがる者の指を切り落としたので、舟の中の指は両手ですくえるほどであった。晋軍は右へ移動したが、上軍はまだ動かなかった。工尹斉(楚の工尹の官にある斉)が右翼の方陣の兵を率いて晋の下軍を追った。楚子(荘王)は唐狡と蔡鳩居を遣わして、唐の恵侯にこう告げさせた。「私は不徳でありながら欲を張り、大敵に出くわしてしまいました。これは私の罪です。しかし楚が勝てなければ、君にとっても恥となりましょう。あえて君の御威光を借りて、楚軍に事を成し遂げさせたいと存じます」。そして潘党に遊撃の予備車四十台を率いさせ、唐侯に従わせて左翼の方陣とし、晋の上軍を追わせた。駒伯(郤錡、郤克の子)は言った。「ここで迎え撃ちましょうか」。随季(士会、上軍の将)は言った。「楚軍はいま勢いが盛んだ。もしわが軍に集中してきたら、わが軍は必ず全滅する。兵を収めて引き上げ、敗戦の非難を皆で分け合って民の命を生かすほうがよい。それもまたよいではないか」。自ら兵の後尾を守りながら退却したので、上軍は敗れなかった。王は右広の戦車を見て、それに乗り換えようとした。屈蕩が止めて言った。「君はこの車(左広)で戦いを始められたのですから、必ずこれで終えられますように」。これより楚の乗広は左を先とするようになった。晋の兵の中には、戦車が穴に落ちて進めなくなった者がいた。楚人が教えて車の横木(扃)を外させると、少し進んだが、馬がぐるぐる回ってしまった。また教えて旗竿を抜いて衡(くびき)の上に投げ置かせると、ようやく抜け出した。晋の兵は振り返って言った。「われらは大国の方々のように、何度も逃げて慣れてはいないのでね」。
解説
この章句が説くこと
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『武士道』第二章 武士道の淵源・十六世紀に最高度に発展した慧眼なる仏国碩学メール氏は、其の『日本史論』中、第十六世紀史に就いて感想せる意見を総説して曰はく、第十六世紀の中葉まで、日本は、政治も、社会も、宗教も共に混乱の状態に陥りたり。然りと雖、争乱紛擾止む時なく、社会の情態は蛮野に復し、人民自から義法を行ふの要ありたるよりして、彼等はテーヌが『勇敢なる起手、決意断行の習性、堅忍敢為の襟度』と賛せる、第十六世紀の伊太利人に髣髴たるの人格を形成したり。然るに伊太利に於けるが如く、日本に於て亦た、テーヌの云へる如く、『中世紀の粗野なる状勢の、人をして武力的、反抗的なる、卓絶非凡の動物たらしむる』ものありたるが故に、日本民族の資質は、第十六世紀に於て、最高度に発展し、其性情、心念亦た同時にすこぶる多方に伸張したり。
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『呻吟語』内篇・應務・事の賊なり事に先んじては體怠り神昏く、事手に到れば手忙しく腳亂れ、事過ぐれば心安く意散ず。此れ事の賊なり。兵家は尤も此に利あらず。
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孫子・九地篇利に合いて動き、利に合わずして止まる。
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論語・季氏篇孔子曰く、禄の公室を去ること、五世なり。政の大夫に逮ぶこと、四世なり。故に夫の三桓の子孫、微なり。
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論語・憲問篇子曰く、「我を知ること莫きかな。」子貢曰く、「何為れぞ其れ子を知ること莫からんや。」子曰く、「天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す。我を知る者は、其れ天か。」
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論語・里仁篇子曰わく、父母在すれば、遠く遊ばず。遊ぶに必ず方有り。
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