春秋左氏伝 / 宣公十二年 知難而退
軍行,右轅,左追蓐,前茅慮無,中權,後勁,百官象物而動,軍政不戒而備,能用典矣。其君之舉也,內姓選於親,外姓選於舊,舉不失德,賞不失勞,老有加惠,旅有施舍,君子小人,物有服章,貴有常尊,賤有等威,禮不逆矣。德立刑行,政成事時,典從禮順,若之何敵之?見可而進,知難而退,軍之善政也。兼弱攻昧,武之善經也。子姑整軍而經武乎?猶有弱而昧者,何必楚?」仲虺有言曰:「取亂侮亡,兼弱也。」汋曰:「於鑠王師,遵養時晦,耆昧也。」武曰:「無競惟烈,撫弱耆昧,以務烈所,可也。」彘子曰:「不可。晉所以霸,師武臣力也。今失諸侯,不可謂力;有敵而不從,不可謂武。由我失霸,不如死。且成師以出,聞敵彊而退,非夫也。命有軍師,而卒以非夫,唯群子能,我弗為也。」
新字:軍行,右轅,左追蓐,前茅慮無,中権,後勁,百官象物而動,軍政不戒而備,能用典矣。其君之舉也,内姓選於親,外姓選於旧,舉不失徳,賞不失労,老有加恵,旅有施舎,君子小人,物有服章,貴有常尊,賤有等威,礼不逆矣。徳立刑行,政成事時,典従礼順,若之何敵之?見可而進,知難而退,軍之善政也。兼弱攻昧,武之善経也。子姑整軍而経武乎?猶有弱而昧者,何必楚?」仲虺有言曰:「取乱侮亡,兼弱也。」汋曰:「於鑠王師,遵養時晦,耆昧也。」武曰:「無競惟烈,撫弱耆昧,以務烈所,可也。」彘子曰:「不可。晋所以覇,師武臣力也。今失諸侯,不可謂力;有敵而不従,不可謂武。由我失覇,不如死。且成師以出,聞敵彊而退,非夫也。命有軍師,而卒以非夫,唯群子能,我弗為也。」
書き下し
軍行くに、右は轅(ゑん)し、左は蓐(じよく)を追ひ、前茅は無(む)を慮り、中は權(はか)り、後は勁(つよ)し。百官物に象りて動き、軍政戒めずして備はる。能く典を用ゐたり。其の君の舉ぐるや、內姓は親に選び、外姓は舊に選ぶ。舉ぐるに德を失はず、賞するに勞を失はず。老には加惠有り、旅には施舍有り。君子小人、物ごとに服章有り。貴には常尊有り、賤には等威有り。禮逆はず。德立ち刑行はれ、政成り事時あり、典從ひ禮順ふ。之を若何ぞ之に敵せん。可を見て進み、難を知りて退くは、軍の善政なり。弱きを兼ね昧(くら)きを攻むるは、武の善經なり。子姑く軍を整へて武を經せよ。猶ほ弱くして昧き者有り、何ぞ必ずしも楚ならん」と。仲虺言へる有りて曰く、「亂れたるを取り亡ぶるを侮るは、弱きを兼ぬるなり」と。汋(しやく)に曰く、「於(ああ)鑠(かがや)ける王師、遵(したが)ひて時の晦(くら)きを養ふは、昧きを耆(せ)むるなり」と。武に曰く、「競ふ無きは惟れ烈なり、弱きを撫し昧きを耆めて、以って烈なる所を務むるは、可なり」と。彘子曰く、「不可なり。晉の霸たる所以は、師武にして臣力あればなり。今諸侯を失はば、力と謂ふ可からず。敵有りて從はずんば、武と謂ふ可からず。我に由りて霸を失はんよりは、死するに如かず。且つ師を成して以って出で、敵の彊きを聞きて退くは、夫に非ざるなり。命ぜられて軍師有り、而して卒(つひ)に非夫を以ってするは、唯だ群子能くせん、我は為さざるなり」と。
現代語訳
(士會の言葉の続き)楚軍の行軍では、右翼は轅に従って進み、左翼は草を刈って宿営の敷き草を用意し、前衛は茅の旗を掲げて不測の事態に備え、中軍は全体の作戦をはかり、後衛は精兵で固めています。諸官はそれぞれの旗印に従って動き、軍の規律は号令を待たずに備わっています。よく法典を用いているのです。楚の君主が人を登用するときは、同姓の者からは近親を選び、異姓の者からは古くからの臣を選びます。登用には徳のある者を落とさず、恩賞には功労のある者を落としません。老人には特別な恵みを与え、旅の者には宿や施しを与えます。身分の高い者と低い者にはそれぞれ定まった服や記章があり、貴い者には一定の尊さが、賤しい者には等級に応じた威儀があります。礼が乱れていないのです。徳が立ち、刑が行われ、政治が整い、事業は時にかない、法典は守られ、礼は順当に行われています。どうしてこれに敵対できましょう。勝てると見れば進み、難しいと知れば退く。これが軍のよいやり方です。弱い者を併せ、道理に暗い者を攻めるのが、武のよい原則です。あなたはひとまず軍を整え、武の原則に従ってください。ほかにもまだ弱くて暗い国はあります。どうして楚でなければならないのでしょうか」。仲虺(殷の湯王の臣)の言葉にこうある。「乱れた国を取り、滅びかけた国を侮るのは、弱い者を併せることである」。『詩経』の汋の篇に「ああ輝かしい王の軍よ、時の流れに従い、暗い者が衰えるのを待って養う」とあるのは、暗い者を攻めることである。武の篇に「競うもののないほど盛んなのは、ひたすらその功業による」とあるが、弱い者をいたわり暗い者を攻めて、功業を成すことに努めるのがよいのである。彘子(先縠)は言った。「いけません。晋が覇者であるのは、軍が勇ましく、臣下が力を尽くすからです。いま諸侯(鄭)を失えば、力があるとは言えません。敵がいるのに立ち向かわなければ、勇ましいとは言えません。自分のせいで覇権を失うくらいなら死んだほうがましです。それに、軍を編成して出陣しながら、敵が強いと聞いて退くのは、男子のすることではありません。軍の将帥に任命されながら、結局は男子らしからぬ振る舞いで終わる。それは皆さんにはできても、私はいたしません」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』哀公七年 曹の亡国の夢冬、鄭の師曹を救ひ、宋を侵す。初め、曹人或ひと夢みらく、眾君子社宮に立ちて、曹を亡ぼさんことを謀る。曹叔振鐸、公孫彊を待たんことを請ひ、之を許す、と。旦にして之を曹に求むるに、之無し。其の子を戒めて曰く、「我死して、爾公孫彊の政を為すを聞かば、必ず之を去れ」と。曹伯陽位に即くに及び、田弋を好む。曹の鄙人公孫彊、弋を好み、白鴈を獲て、之を獻じ、且つ田弋の說を言ふ。之を說ぶ。因りて政事を訪ひ、大いに之を說ぶ。寵有り、司城と為して以て政を聽かしむ。夢みし者の子乃ち行る。彊、霸の說を曹伯に言ふ。曹伯之に從ひ、乃ち晉に背きて宋を奸(をか)す。宋人之を伐つ。晉人救はず。五邑を其の郊に築く。曰く、黍丘・揖丘・大城・鍾・邘。
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『春秋左氏伝』僖公二十七年 郤縠を元帥に選ぶ冬、楚子及び諸侯宋を圍む。宋の公孫固晉に如きて急を告ぐ。先軫曰く、「施しに報い患ひを救ひ、威を取り霸を定むるは、是に於いてか在り」と。狐偃曰く、「楚始めて曹を得て、新たに衛に昏す。若し曹・衛を伐たば、楚必ず之を救はん、則ち齊・宋免れん」と。是に於いてか被廬に蒐し、三軍を作り、元帥を謀る。趙衰曰く、「郤縠可なり。臣亟其の言を聞けり、《禮》《樂》を說びて《詩》《書》に敦し。《詩》《書》は、義の府なり。《禮》《樂》は、德の則なり。德・義は、利の本なり。《夏書》に曰く、『賦納するに言を以てし、明試するに功を以てし、車服は庸を以てす』と。君其れ之を試みよ」と。乃ち郤縠をして中軍に將たらしめ、郤溱之を佐く。狐偃をして上軍に將たらしむ、狐毛に讓りて之を佐く。趙衰に命じて卿と為す、欒枝・先軫に讓る。欒枝をして下軍に將たらしめ、先軫之を佐く。荀林父戎に御し、魏犨右と為る。
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史記 淮陰侯列伝因りて王に問ひて曰く、「今東郷して権を天下に争ふは、豈に項王に非ずや」と。漢王曰く、「然り」と。曰く、「大王自ら料るに勇悍仁彊、項王に孰与れぞ」と。漢王黙然たること良久しくして、曰く、「如かざるなり」と。信再拝して賀して曰く、「惟だ信も亦大王如かずと為すなり。然れども臣嘗て之に事ふ。請ふ項王の人と為りを言はん。項王喑噁叱咤すれば、千人皆廃す。然れども賢将に任属すること能はず。此れ特だ匹夫の勇のみ。項王人を見るに恭敬慈愛、言語嘔嘔たり。人疾病有れば、涕泣して食飲を分かつ。人をして功有りて当に封爵すべき者あらしむるに至りては、印刓敝するも、忍びて予ふること能はず。此れ所謂婦人の仁なり。項王天下に覇として諸侯を臣とすと雖も、関中に居らずして彭城に都す。義帝の約に背くこと有りて、親愛を以て王とす。諸侯平かならず。諸侯の項王の義帝を遷逐して江南に置くを見るや、亦皆帰りて其の主を逐ひて自ら善地に王たり。項王の過ぐる所残滅せざる者無し。天下怨み多く、百姓親附せず、特だ威彊に劫かさるるのみ。名は覇と為すと雖も、実は天下の心を失ふ。故に曰く其の彊は弱め易しと。今大王誠に能く其の道に反し、天下の武勇に任ぜば、何の誅せざる所あらん。天下の城邑を以て功臣を封ぜば、何の服せざる所あらん。
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『春秋左氏伝』僖公二十八年 晋、曹・衛を伐つ二十八年春、晉侯將に曹を伐たんとし、道を衛に假る、衛人許さず。還りて河南より濟り、曹を侵し、衛を伐つ。正月、戊申、五鹿を取る。二月、晉の郤縠卒す。原軫中軍に將たり、胥臣下軍に佐たり、德を上ぶなり。晉侯・齊侯斂盂に盟ふ。衛侯盟はんことを請ふ、晉人許さず。衛侯楚に與せんと欲す、國人欲せず、故に其の君を出だして以て晉に說く。衛侯出でて襄牛に居る。公子買衛を戍る、楚人衛を救ひて、克たず。公晉を懼れ、子叢を殺して以て說き、楚人に謂ひて曰く、「戍を卒へざればなり」と。晉侯曹を圍み、門に攻む、多く死す。曹人諸を城上に尸す、晉侯之を患ふ。輿人の謀を聽く、曰く、「墓に舍ると稱せん」と。師焉に遷る。曹人兇懼し、其の得る所の者の為に棺して之を出だす。其の兇なるに因りて之を攻む。
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史記 黥布列伝山東は漢の有に非ざるなり。中計に出でば、勝敗の数未だ知るべからざるなり。下計に出でば、陛下枕を安んじて臥せん」と。上曰く、「何をか上計と謂ふ」と。令尹対へて曰く、「東のかた呉を取り、西のかた楚を取り、斉を并せ魯を取り、檄を燕・趙に伝へ、固く其の所を守らば、山東は漢の有に非ざるなり」と。「何をか中計と謂ふ」と。「東のかた呉を取り、西のかた楚を取り、韓を并せ魏を取り、敖庾の粟に拠り、成皋の口を塞がば、勝敗の数未だ知るべからざるなり」と。「何をか下計と謂ふ」と。「東のかた呉を取り、西のかた下蔡を取り、重を越に帰し、身は長沙に帰せば、陛下枕を安んじて臥し、漢事無からん」と。上曰く、「是の計将に安くにか出でんとす」と。令尹対へて曰く、「下計に出でん」と。上曰く、「何の謂ぞ上中計を廃して下計に出づるとは」と。令尹曰く、「布は故の麗山の徒なり。自ら万乗の主に致る。此れ皆身の為にして、後に百姓万世の為に慮ることを顧みざる者なり。故に下計に出づと曰ふ」と。上曰く、「善し」と。薛公に千戸を封ず。乃ち皇子長を立てて淮南王と為す。上遂に兵を発し、自ら将として東のかた布を撃つ。布の初めて反するや、其の将に謂ひて曰く、「上老いたり、兵を厭ふ。必ず来たる能はず。諸将をして使はしめん。諸将は独り淮陰・彭越を患ふるのみ。今皆已に死せり。余は畏るるに足らざるなり」と。故に遂に反す。果して薛公の之を籌るが如く、
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『韓非子』說林上二十二將に之を敗らん欲せば、必ず姑く之を輔けよ。將に之を取らんと欲せば、必ず姑く之に予えよ。
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