春秋左氏伝 / 僖公二十七年 郤縠を元帥に選ぶ
冬,楚子及諸侯圍宋,宋公孫固如晉告急。先軫曰:「報施救患,取威定霸,於是乎在矣。」狐偃曰:「楚始得曹,而新昏於衛,若伐曹、衛,楚必救之,則齊、宋免矣。」於是乎蒐于被廬,作三軍,謀元帥。趙衰曰:「郤縠可。臣亟聞其言矣,說《禮》、《樂》而敦《詩》、《書》。《詩》、《書》,義之府也;《禮》、《樂》,德之則也;德、義,利之本也。《夏書》曰:『賦納以言,明試以功,車服以庸。』君其試之。」乃使郤縠將中軍,郤溱佐之;使狐偃將上軍,讓於狐毛而佐之;命趙衰為卿,讓於欒枝、先軫;使欒枝將下軍,先軫佐之。荀林父御戎,魏犨為右。
新字:冬,楚子及諸侯囲宋,宋公孫固如晋告急。先軫曰:「報施救患,取威定覇,於是乎在矣。」狐偃曰:「楚始得曹,而新昏於衛,若伐曹、衛,楚必救之,則斉、宋免矣。」於是乎蒐于被廬,作三軍,謀元帥。趙衰曰:「郤縠可。臣亟聞其言矣,説《礼》、《楽》而敦《詩》、《書》。《詩》、《書》,義之府也;《礼》、《楽》,徳之則也;徳、義,利之本也。《夏書》曰:『賦納以言,明試以功,車服以庸。』君其試之。」乃使郤縠将中軍,郤溱佐之;使狐偃将上軍,譲於狐毛而佐之;命趙衰為卿,譲於欒枝、先軫;使欒枝将下軍,先軫佐之。荀林父御戎,魏犨為右。
書き下し
冬、楚子及び諸侯宋を圍む。宋の公孫固晉に如きて急を告ぐ。先軫曰く、「施しに報い患ひを救ひ、威を取り霸を定むるは、是に於いてか在り」と。狐偃曰く、「楚始めて曹を得て、新たに衛に昏す。若し曹・衛を伐たば、楚必ず之を救はん、則ち齊・宋免れん」と。是に於いてか被廬に蒐し、三軍を作り、元帥を謀る。趙衰曰く、「郤縠可なり。臣亟其の言を聞けり、《禮》《樂》を說びて《詩》《書》に敦し。《詩》《書》は、義の府なり。《禮》《樂》は、德の則なり。德・義は、利の本なり。《夏書》に曰く、『賦納するに言を以てし、明試するに功を以てし、車服は庸を以てす』と。君其れ之を試みよ」と。乃ち郤縠をして中軍に將たらしめ、郤溱之を佐く。狐偃をして上軍に將たらしむ、狐毛に讓りて之を佐く。趙衰に命じて卿と為す、欒枝・先軫に讓る。欒枝をして下軍に將たらしめ、先軫之を佐く。荀林父戎に御し、魏犨右と為る。
現代語訳
冬、楚子(成王)と諸侯は宋を包囲した。宋の公孫固が晋に行き、急を告げた。先軫(せんしん、晋の大夫)が言った。「かつて受けた恩に報い、困っている者を救い、威信を得て覇業を定めるのは、まさにこの時にあります」。狐偃が言った。「楚は最近曹を味方につけ、衛とは新たに婚姻を結びました。もし曹と衛を討てば、楚は必ずこれを救いに来るでしょう。そうなれば斉と宋は包囲を免れます」。そこで晋は被廬で大規模な閲兵を行い、三軍を編成して、総大将となる元帥を誰にするか議論した。趙衰が言った。「郤縠(げきこく)がよいでしょう。私はたびたび彼の話を聞いておりますが、『礼』と『楽』を好み、『詩』と『書』に深く通じています。『詩』『書』は義の蔵であり、『礼』『楽』は徳の規範です。徳と義こそ利益の本です。『夏書』に『言葉を聞いて人を採り、功績によってはっきりと試し、車や衣服を功労に応じて与える』とあります。君よ、彼を試してごらんなさい」。そこで郤縠を中軍の将とし、郤溱(げきしん)をその副将とした。狐偃を上軍の将にしようとしたが、狐偃は兄の狐毛に譲ってその副将となった。趙衰を卿に任じようとしたが、趙衰は欒枝(らんし)と先軫に譲った。欒枝を下軍の将とし、先軫をその副将とした。荀林父(じゅんりんぽ)が晋侯の兵車の御者となり、魏犨(ぎしゅう)が車右となった。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』襄公九年 上譲り下競ふ秦の景公、士雃(しけん)をして師を楚に乞はしめ、將に以て晉を伐たんとす。楚子之を許す。子囊曰く、「不可なり。當今、吾は晉と爭ふ能はず。晉君は能を類して之を使ひ、舉ぐるに選を失はず、官は方を易へず。其の卿は善に讓り、其の大夫は守を失はず、其の士は教に競ひ、其の庶人は農穡に力め、商工皁隸は業を遷すを知らず。韓厥老いたり、知罃(ちあう)稟けて以て政を為す。范匄は中行偃より少(わか)けれども之を上(たふと)び、中軍に佐たらしむ。韓起は欒黶より少けれども、欒黶・士魴之を上び、上軍に佐たらしむ。魏絳は功多きも、趙武を以て賢と為して之が佐と為る。君明らかに臣忠に、上讓り下競ふ。是の時に當りてや、晉は敵すべからず。之に事へて而る後に可なり。君其れ之を圖れ」と。王曰く、「吾既に之を許せり。晉に及ばずと雖も、必ず將に師を出さんとす」と。秋、楚子武城に師し、以て秦の援と為る。秦人晉を侵す。晉饑ゑ、報ゆる能はざるなり。
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