春秋左氏伝 / 宣公十二年 肉袒牽羊
春,楚子圍鄭,旬有七日。鄭人卜行成不吉,卜臨于大宮,且巷出車,吉。國人大臨,守陴者皆哭。楚子退師,鄭人脩城,進復圍之。三月,克之,入自皇門,至于逵路。鄭伯肉袒牽羊以逆,曰:「孤不天,不能事君,使君懷怒,以及敝邑,孤之罪也,敢不唯命是聽。其俘諸江南,以實海濱,亦唯命。其翦以賜諸侯,使臣妾之,亦唯命。若惠顧前好,徼福於厲、宣、桓、武,不泯其社稷,使改事君,夷于九縣,君之惠也,孤之願也,非所敢望也,敢布腹心,君實圖之。」左右曰:「不可許也,得國無赦。」王曰:「其君能下人,必能信用其民矣,庸可幾乎。」退三十里,而許之平。潘尪入盟,子良出質。
新字:春,楚子囲鄭,旬有七日。鄭人卜行成不吉,卜臨于大宮,且巷出車,吉。国人大臨,守陴者皆哭。楚子退師,鄭人脩城,進復囲之。三月,克之,入自皇門,至于逵路。鄭伯肉袒牽羊以逆,曰:「孤不天,不能事君,使君懐怒,以及敝邑,孤之罪也,敢不唯命是聴。其俘諸江南,以実海浜,亦唯命。其翦以賜諸侯,使臣妾之,亦唯命。若恵顧前好,徼福於厲、宣、桓、武,不泯其社稷,使改事君,夷于九県,君之恵也,孤之願也,非所敢望也,敢布腹心,君実図之。」左右曰:「不可許也,得国無赦。」王曰:「其君能下人,必能信用其民矣,庸可幾乎。」退三十里,而許之平。潘尪入盟,子良出質。
書き下し
春、楚子鄭を圍むこと、旬有七日。鄭人成を行はんことを卜して吉ならず。大宮に臨し、且つ巷に車を出ださんことを卜して、吉なり。國人大いに臨し、陴(ひ)を守る者皆哭す。楚子師を退く。鄭人城を脩む。進みて復た之を圍む。三月にして、之に克つ。皇門より入り、逵路に至る。鄭伯肉袒し羊を牽きて以って逆へて曰く、「孤天ならず、君に事ふること能はず、君をして怒りを懷きて、以って敝邑に及ばしむ、孤の罪なり。敢へて唯だ命を是れ聽かざらんや。其れ諸を江南に俘にして、以って海濱を實たすも、亦た唯だ命のままなり。其れ翦(き)りて以って諸侯に賜ひ、之を臣妾とせしむるも、亦た唯だ命のままなり。若し前好を惠顧し、福を厲・宣・桓・武に徼めて、其の社稷を泯(ほろ)ぼさず、改めて君に事へしめ、九縣に夷(ひと)しからしめば、君の惠なり、孤の願ひなり、敢へて望む所に非ざるなり。敢へて腹心を布く、君實に之を圖れ」と。左右曰く、「許す可からざるなり、國を得て赦す無かれ」と。王曰く、「其の君能く人に下る、必ず能く其の民を信用せん、庸(なん)ぞ幾(のぞ)む可けんや」と。退くこと三十里にして、之に平を許す。潘尪(はんわう)入りて盟ひ、子良出でて質となる。
現代語訳
宣公十二年春、楚子(荘王)は鄭を包囲し、十七日に及んだ。鄭の人々は和睦を申し入れるべきかを占ったが、吉と出なかった。祖廟で声をあげて泣き、また町の路地ごとに戦車を出して決戦の構えを示すことを占うと、吉と出た。そこで国人は大いに泣き、城壁の上で守る兵もみな泣いた。楚子は軍をいったん退いた。鄭の人々はその間に城壁を修理した。楚は再び進んで鄭を包囲し、三か月でこれを攻め落とした。楚軍は皇門から入り、大通りまで達した。鄭伯(襄公)は上着を脱いで肌を見せ、羊を引いて楚子を出迎え、こう言った。「私は天の助けを得られず、君にお仕えすることができず、君を怒らせて、この小国にまで兵を向けさせることになりました。これは私の罪です。どうして仰せに従わないことがありましょうか。私どもを捕虜として江南に移し、海辺の地を満たされるのも、仰せのままです。国を切り分けて諸侯にお与えになり、民を諸侯の臣や下女とされるのも、仰せのままです。もし昔の誼をお顧みくださり、わが祖先の厲王・宣王・桓公・武公の加護をお求めくださって、この国の社稷を滅ぼさず、あらためて君にお仕えさせ、楚の九つの県と同じように扱ってくださるなら、それは君のお恵みであり、私の願いではありますが、とても望めることではございません。あえて胸の内を申し上げました。どうか君がお考えください」。左右の者は言った。「許してはなりません。国を手に入れたのですから、赦してはなりません」。王は言った。「その君主がこれほど人にへりくだることができるのなら、必ずその民の信頼を得て、民を用いることができるだろう。どうしてこの国を手に入れることを望めようか」。王は三十里退いて、和睦を許した。楚からは潘尪が鄭に入って盟約を結び、鄭からは子良が人質として楚に出た。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・尊賢孔子閒居して、喟然として歎じて曰く、「銅鞮伯華にして死する無くんば、天下其れ定まる有らん」と。子路曰く、「願わくは其の人と為りの何如なるかを聞かん」と。孔子曰く、「其の幼きや敏にして学を好み、其の壮んなるや勇有りて屈せず、其の老いたるや道有りて能く以て人に下る」と。子路曰く、「其の幼きや敏にして学を好むは則ち可なり、其の壮んなるや勇有りて屈せざるは則ち可なり。夫れ道有らば又誰にか下らんや」と。孔子曰く、「由よ、知らざるなり。吾之を聞く、衆を以て寡を攻めて消えざる無く、貴を以て賤に下りて得ざる無しと。昔周公旦天下の政を制するに在りて士七十人に下る、豈道無からんや。士を得んと欲するの故なり。夫れ道有りて能く天下の士に下る、君子なるかな」と。
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説苑・說叢賢を欲する者は人に下るに如くは莫く、財を貪る者は身を全うするに如くは莫し。財は義の高きに如かず、勢は德の尊きに如かず。父は無益の子を愛する能わず、君は不軌の民を愛する能わず。君は無功の臣を賞する能わず、臣は無德の君に死する能わず。善く御する者を問わば馬に如くは莫く、善く治むる者を問わば民に如くは莫し。卑を以て尊と為し、屈を以て伸と為すは、聖人の因る所、上は天に法る。
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人物志・釋爭卑讓降下は、茂進の遂ぐる路なり。矜奮侵陵は、毀塞の険しき途なり。
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説苑・貴德斉の桓公北のかた山戎氏を伐つ、其の道燕を過ぐ、燕君逆へて境を出づ、桓公管仲に問ひて曰く、「諸侯相逆ふるは固より境を出づるか」と。管仲曰く、「天子に非ざれば境を出でず」と。桓公曰く、「然らば則ち燕君畏れて礼を失へるなり、寡人不道にして燕君をして礼を失はしむ」と、乃ち燕君の至れる所の地を割きて以て燕君に与ふ。諸侯之を聞き、皆斉に朝す。詩に云く、「爾の位を靖恭し、是の正直を好めば、神之を聴き、爾に景福を介けん」と。此を之れ謂ふなり。
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説苑・尊賢魏の文侯、中山より安邑に奔命す。田子方之に従う。夫子撃(太子撃)之に過ぐるに、車を下りて趨る。子方坐乗すること故の如し。太子に告げて曰く、「我が為に君に請え、我が朝歌するを待て」と。太子説ばず、因りて子方の為に曰く、「貧窮なる者の人に驕るを識らざるか、富貴なる者の人に驕るをや」と。子方曰く、「貧窮なる者は人に驕る、富貴なる者は安んぞ敢えて人に驕らんや。人主人に驕りて其の国を亡ぼす、吾未だ国を以て亡ぶるを待つ者を見ざるなり。大夫人に驕りて其の家を亡ぼす、吾未だ家を以て亡ぶるを待つ者を見ざるなり。貧窮なる者若し意を得ずんば、履を納れて去る、安くに往くとして貧窮を得ざらんや。貧窮なる者は人に驕る、富貴なる者は安んぞ敢えて人に驕らんや」と。太子及び文侯、田子方の語を道う。文侯歎じて曰く、「吾が子の故に非ずんば、吾安んぞ賢人の言を聞くを得んや。吾子方に下るに行を以てし、得て之を友とせり。吾子方を友としてより、君臣益々親しみ、百姓益々附す、吾是を以て士を友とするの功を得たり。我中山を伐たんと欲するに、吾武を以て楽羊に下る、三年にして中山我に献ぜらる、我是を以て武を有つの功を得たり。吾此に少しく進む所以の者は、吾未だ智を以て我に驕る者を見ざればなり。若し智を以て我に驕る者を得ば、豈古の人に及ばざらんや」と。
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論語・雍也篇子曰く、孟之反は伐らず。奔りて殿たり。将に門に入らんとして、其の馬に策うちて曰く、『敢えて後れたるに非ず、馬進まざればなり』と。
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