説苑 / 尊賢
孔子閒居,喟然而歎曰:「銅鞮伯華而無死,天下其有定矣。」子路曰:「願聞其為人也何若。」孔子曰:「其幼也敏而好學,其壯也有勇而不屈,其老也有道而能以下人。」子路曰:「其幼也敏而好學則可,其壯也有勇而不屈則可;夫有道又誰下哉?」孔子曰:「由不知也。吾聞之,以眾攻寡而無不消也;以貴下賤,無不得也。昔在周公旦制天下之政而下士七十人,豈無道哉?欲得士之故也,夫有道而能下於天下之士,君子乎哉!」
新字:孔子閒居,喟然而嘆曰:「銅鞮伯華而無死,天下其有定矣。」子路曰:「願聞其為人也何若。」孔子曰:「其幼也敏而好学,其壮也有勇而不屈,其老也有道而能以下人。」子路曰:「其幼也敏而好学則可,其壮也有勇而不屈則可;夫有道又誰下哉?」孔子曰:「由不知也。吾聞之,以眾攻寡而無不消也;以貴下賤,無不得也。昔在周公旦制天下之政而下士七十人,豈無道哉?欲得士之故也,夫有道而能下於天下之士,君子乎哉!」
書き下し
孔子閒居して、喟然として歎じて曰く、「銅鞮伯華にして死する無くんば、天下其れ定まる有らん」と。子路曰く、「願わくは其の人と為りの何如なるかを聞かん」と。孔子曰く、「其の幼きや敏にして学を好み、其の壮んなるや勇有りて屈せず、其の老いたるや道有りて能く以て人に下る」と。子路曰く、「其の幼きや敏にして学を好むは則ち可なり、其の壮んなるや勇有りて屈せざるは則ち可なり。夫れ道有らば又誰にか下らんや」と。孔子曰く、「由よ、知らざるなり。吾之を聞く、衆を以て寡を攻めて消えざる無く、貴を以て賤に下りて得ざる無しと。昔周公旦天下の政を制するに在りて士七十人に下る、豈道無からんや。士を得んと欲するの故なり。夫れ道有りて能く天下の士に下る、君子なるかな」と。
現代語訳
孔子が家で暇にしていた折、しみじみと嘆いて言った。「銅鞮伯華がもし死ななければ、天下はきっと安定するだろうに」。子路が「その人となりについて聞きたい」と言うと、孔子は「彼は幼い時には利発で学問を好み、壮年には勇気があって屈することなく、老年には道を身につけていながらよく人にへりくだることができた」と答えた。子路は「幼くして利発で学問好きなのはよい、壮年で勇があり屈しないのもよい。しかし道を身につけていながら、なぜさらに人に下るのか」と尋ねた。孔子は「由(子路)よ、お前は分かっていない。私はこう聞いている、多数で少数を攻めれば消し去れぬものはなく、身分の高い者が低い者にへりくだれば得られぬものはない、と。昔、周公旦は天下の政治を取り仕切る立場にありながら士七十人にへりくだった。それは道が無かったからではない。士を得たいと望んだからだ。道を身につけていながら天下の士にへりくだることができる、これこそ君子というものだ」と言った。
解説
この章句が説くこと
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論語 学而第一子曰く、「学びて時に之を習う、亦説ばしからずや。朋遠方より来たる有り、亦楽しからずや。人知らずして慍みず、亦君子ならずや。」
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