春秋左氏伝 / 宣公三年 蘭を刈りて卒す
子臧得罪而出,誘子華而殺之南里,使盜殺子臧于陳宋之間。又娶于江,生公子士,朝于楚,楚人酖之,及葉而死。又娶于蘇,生子瑕、子俞彌,俞彌早卒。洩駕惡瑕,文公亦惡之,故不立也。公逐群公子,公子蘭奔晉,從晉文公伐鄭。石癸曰:「吾聞姬姞耦,其子孫必蕃。姞,吉人也,后稷之元妃也。今公子蘭,姞甥也,天或啟之,必將為君,其後必蕃。先納之,可以亢寵。」與孔將鉏、侯宣多,納之,盟于大宮,而立之,以與晉平。穆公有疾,曰:「蘭死,吾其死乎,吾所以生也。」刈蘭而卒。
新字:子臧得罪而出,誘子華而殺之南里,使盗殺子臧于陳宋之間。又娶于江,生公子士,朝于楚,楚人酖之,及葉而死。又娶于蘇,生子瑕、子兪弥,兪弥早卒。洩駕悪瑕,文公亦悪之,故不立也。公逐群公子,公子蘭奔晋,従晋文公伐鄭。石癸曰:「吾聞姫姞耦,其子孫必蕃。姞,吉人也,后稷之元妃也。今公子蘭,姞甥也,天或啓之,必将為君,其後必蕃。先納之,可以亢寵。」与孔将鉏、侯宣多,納之,盟于大宮,而立之,以与晋平。穆公有疾,曰:「蘭死,吾其死乎,吾所以生也。」刈蘭而卒。
書き下し
子臧罪を得て出づ。子華を誘ひて之を南里に殺し、盜をして子臧を陳・宋の間に殺さしむ。又江に娶り、公子士を生む。楚に朝す。楚人之に酖(ちん)す。葉に及びて死す。又蘇に娶り、子瑕・子俞彌を生む。俞彌早く卒す。洩駕瑕を惡む。文公も亦た之を惡む。故に立てざるなり。公群公子を逐ふ。公子蘭晉に奔り、晉の文公に從ひて鄭を伐つ。石癸曰く、「吾聞く、姬・姞耦(ぐう)すれば、其の子孫必ず蕃(しげ)し、と。姞は吉人なり、后稷の元妃なり。今公子蘭は、姞の甥なり。天或いは之を啟(ひら)かん。必ず將に君と為らんとす、其の後必ず蕃からん。先づ之を納れば、以って寵を亢(たか)くす可し」と。孔將鉏・侯宣多と、之を納れ、大宮に盟ひて之を立て、以って晉と平らぐ。穆公疾有り。曰く、「蘭死せば、吾其れ死せんか。吾が生まるる所以なり」と。蘭を刈りて卒す。
現代語訳
子臧は罪を得て国外へ出奔した。文公は子華をおびき出して南里で殺し、刺客を送って子臧を陳と宋の国境のあたりで殺させた。文公はまた江から妻を迎えて公子士を生んだが、公子士は楚に朝見したとき楚の人に毒を盛られ、葉まで帰ったところで死んだ。さらに蘇から妻を迎えて子瑕と子俞彌を生んだが、俞彌は早死にした。重臣の洩駕は子瑕を嫌い、文公もまた子瑕を嫌ったので、太子に立てなかった。文公は公子たちを国外へ追い払い、公子蘭は晋へ逃れて、晋の文公に従って鄭を攻めた。鄭の大夫石癸は言った。「姫姓と姞姓が縁組すると、子孫が必ず栄えると聞いている。姞は吉い人で、周の祖先后稷の正妃も姞姓であった。いま公子蘭は姞姓の女性の生んだ子である。天がこの人のために道を開いているのかもしれない。必ず君主となり、その子孫も必ず栄えるだろう。先に彼を迎え入れれば、われわれの地位を高めることができる」。石癸は孔將鉏・侯宣多とともに公子蘭を迎え入れ、祖廟で盟って君に立て、それによって晋と和睦した。やがて穆公(公子蘭)は病気になって言った。「蘭が枯れたら、私も死ぬのだろうか。私はあの蘭によって生まれたのだから」。人が蘭を刈り取ると、穆公は亡くなった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』僖公二十三年 天の興す所、誰か廃せん子玉之を殺さんと請ふ。楚子曰く、「晉の公子は廣くして儉、文にして禮有り。其の從者は肅にして寬、忠にして能く力む。晉侯親無く、外內之を惡む。吾聞く、姬姓は唐叔の後、其の後に衰ふる者なりと。其れ將に晉の公子に由らんか。天將に之を興さんとす、誰か能く之を廢せん。天に違へば必ず大咎有り」と。乃ち諸を秦に送る。秦伯女五人を納る、懷嬴與る。匜を奉じて沃盥す、既にして之を揮ふ。怒りて曰く、「秦・晉は匹なり、何を以て我を卑しむる」と。公子懼れ、服を降して囚す。他日、公之を享す。子犯曰く、「吾衰の文なるに如かず、請ふ衰をして從はしめん」と。公子《河水》を賦し、公《六月》を賦す。趙衰曰く、「重耳賜を拜せよ」と。公子降りて、拜稽首す。公一級を降りて辭す。衰曰く、「君天子を佐くる所以の者を稱げて重耳に命ず、重耳敢へて拜せざらんや」と。
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尚書・康誥惟れ命は常には于いてせず。
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論語・堯曰篇堯曰く、「咨、爾舜、天の暦数爾の躬に在り。允に其の中を執れ。四海困窮せば、天禄永く終わらん。」舜も亦た以て禹に命ず。曰く、「予小子履、敢えて玄牡を用い、敢えて昭らかに皇皇たる后帝に告ぐ。罪有るは敢えて赦さず。帝の臣は蔽わず、簡ぶこと帝の心に在り。朕が躬罪有らば、万方を以てすること無かれ。万方罪有らば、罪は朕が躬に在り。」「周に大賚有り、善人是れ富む。」「周親有りと雖も、仁人に如かず。百姓過ち有らば、予一人に在り。」権量を謹み、法度を審らかにし、廃官を脩むれば、四方の政行われん。滅国を興し、絶世を継ぎ、逸民を挙ぐれば、天下の民心を帰せん。重んずる所は、民・食・喪・祭。寛なれば則ち衆を得、信なれば則ち民任じ、敏なれば則ち功有り、公なれば則ち説ぶ。
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史記 西南夷列伝楚の先豈に天禄有らんや。周に在りては文王の師為り、楚に封ぜらる。周の衰ふるに及び、地は五千里と称す。秦諸侯を滅ぼすも、唯だ楚の苗裔のみ尚ほ滇王有り。漢西南夷を誅し、国多く滅ぶ、唯だ滇のみ復た寵王と為る。然れども南夷の端は、枸醤を番禺に見、大夏の杖・
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孟子・梁惠王章句下魯の平公將に出でんとす。嬖人臧倉なる者請うて曰く、「他日、君出づれば、則ち必ず有司に之く所を命ず。今、輿に乘り已に駕す。有司未だ之く所を知らず。敢て請う。」公曰く、「將に孟子を見んとす。」曰く、「何ぞや。君の為す所、身を輕んじて以て匹夫に先だつとは。以て賢と為すか。禮義は賢者由り出づ。而るに孟子の後喪は前喪に踰えたり。君、見る無かれ。」公曰く、「諾。」樂正子、入り見えて曰く、「君、奚為れぞ孟軻を見ざるや。」曰く、「或ひと寡人に告げて曰く、『孟子の後喪は前喪を踰えたり。』是を以て往きて見ざるなり。」曰く、「何ぞや。君の所謂踰ゆとは。前には士を以てし、後には大夫を以てし、前には三鼎を以てし、後には五鼎を以てしたるか。」曰く、「否。棺槨衣衾の美を謂うなり。」曰く、「所謂踰ゆるには非ざるなり。貧富同じからざればなり。」樂正子、孟子に見えて曰く、「克、君に告ぐ。君、來たり見んと為す。嬖人に臧倉なる者有り、君を沮む。君是を以て來たることを果たさざるなり。」曰く、「行くも之を使しむる或り、止まるも之を尼むる或り。行止は人の能くする所に非ざるなり。吾の魯侯に遇わざるは、天なり。臧氏の子、焉ぞ能く予をして遇わしめざらんや。」
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孔子家語・五儀解哀公孔子に問いて曰く、「夫れ国家の存亡禍福は、信に天命有りて、唯だ人のみに非ざるか。」孔子対えて曰く、「存亡禍福は、皆己のみ。天災地妖は、加うる能わざるなり。」公曰く、「善いかな。吾子の言、豈に其の事有るか。」孔子曰く、「昔者殷王帝辛の世、雀の大鳥を城隅に生む有り。之を占いて曰く、『凡そ小を以て大を生ずれば、則ち国家必ず王として名必ず昌んならん』と。是に於て帝辛雀の徳を介として、国政を修めず、亢暴極まり無く、朝臣救うこと莫く、外寇乃ち至りて、殷国以て亡ぶ。此れ即ち己を以て天時に逆らい、福を詭りて反りて禍と為す者なり。又其の先世殷王太戊の時、道缺け法圮れ、以て夭櫱・桑穀朝に致し、七日にして大いに拱す。之を占う者曰く、『桑穀は野木にして朝に合生せず、意者国亡びんか』と。太戊恐駭し、身を側めて行を修め、先王の政を思い、養民の道を明らかにす。三年の後、遠方義を慕いて重訳して至る者、十有六国。此れ即ち己を以て天時に逆らい、禍を得て福と為す者なり。故に天災地妖は、人主を儆む所以の者なり。寤夢征怪は、人臣を儆む所以の者なり。災妖は善政に勝たず、寤夢は善行に勝たず。能く此を知る者は、至治の極なり。唯だ明王のみ此に達す。」公曰く、「寡人鄙固此くの如きに、亦た君子の教を聞くを得ざりしなり。」
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