春秋左氏伝 / 文公十八年 四凶を去る
昔帝鴻氏有不才子,掩義隱賊,好行凶德,醜類惡物,頑嚚不友,是與比周,天下之民,謂之渾敦,少皞氏有不才子,毀信廢忠,崇飾惡言,靖譖庸回,服讒蒐慝,以誣盛德,天下之民,謂之窮奇,顓頊有不才子,不可教訓,不知話言,告之則頑,舍之則嚚,傲很明德,以亂天常,天下之民,謂之檮杌,此三族也,世濟其凶,增其惡名,以至于堯,堯不能去,縉雲氏有不才子,貪于飲食,冒于貨賄,侵欲崇侈,不可盈厭,聚斂積實,不知紀極,不分孤寡,不恤窮匱,天下之民,以比三凶,謂之饕餮,舜臣堯,賓于四門,流四凶族,渾敦,窮奇,檮杌,饕餮,投諸四裔,以禦螭魅,是以堯崩而天下如一,同心戴舜,以為天子,以其舉十六相,去四凶也,故虞書數舜之功曰,慎徽五典,五典克從,無違教也,曰,納于百揆,百揆時序,無廢事也,曰賓于四門,四門穆穆,無凶人也,舜有大功二十而為天子,今行父雖未獲一吉人,去一凶矣,於舜之功,二十之一也,庶幾免於戾乎,
新字:昔帝鴻氏有不才子,掩義隠賊,好行凶徳,醜類悪物,頑嚚不友,是与比周,天下之民,謂之渾敦,少皞氏有不才子,毀信廃忠,崇飾悪言,靖譖庸回,服讒蒐慝,以誣盛徳,天下之民,謂之窮奇,顓頊有不才子,不可教訓,不知話言,告之則頑,舎之則嚚,傲很明徳,以乱天常,天下之民,謂之檮杌,此三族也,世済其凶,增其悪名,以至于堯,堯不能去,縉雲氏有不才子,貪于飲食,冒于貨賄,侵欲崇侈,不可盈厭,聚斂積実,不知紀極,不分孤寡,不恤窮匱,天下之民,以比三凶,謂之饕餮,舜臣堯,賓于四門,流四凶族,渾敦,窮奇,檮杌,饕餮,投諸四裔,以禦螭魅,是以堯崩而天下如一,同心戴舜,以為天子,以其舉十六相,去四凶也,故虞書数舜之功曰,慎徽五典,五典克従,無違教也,曰,納于百揆,百揆時序,無廃事也,曰賓于四門,四門穆穆,無凶人也,舜有大功二十而為天子,今行父雖未獲一吉人,去一凶矣,於舜之功,二十之一也,庶幾免於戻乎,
書き下し
昔帝鴻氏に不才の子有り、義を掩ひ賊を隱し、好んで凶德を行ひ、醜類惡物、頑嚚(ぐわんぎん)にして友ならず、是れと比周す。天下の民、之を渾敦(こんとん)と謂ふ。少皞氏に不才の子有り、信を毀ち忠を廢し、惡言を崇飾し、譖(しん)を靖(やす)んじ回(くわい)を庸(もち)ゐ、讒を服し慝(とく)を蒐(かく)し、以って盛德を誣(し)ふ。天下の民、之を窮奇と謂ふ。顓頊に不才の子有り、教訓す可からず、話言を知らず、之に告ぐれば則ち頑、之を舍(お)けば則ち嚚、明德に傲很(がうこん)し、以って天常を亂る。天下の民、之を檮杌(たうごつ)と謂ふ。此れ三族なり。世々其の凶を濟し、其の惡名を增し、以って堯に至る。堯去ること能はず。縉雲氏に不才の子有り、飲食に貪り、貨賄に冒(ばう)し、侵欲崇侈、盈厭す可からず。聚斂積實して、紀極を知らず、孤寡に分かたず、窮匱を恤(あはれ)まず。天下の民、以って三凶に比し、之を饕餮(たうてつ)と謂ふ。舜堯に臣たりて、四門に賓し、四凶族の渾敦・窮奇・檮杌・饕餮を流し、諸を四裔に投じ、以って螭魅(ちみ)を禦がしむ。是を以って堯崩じて天下一の如く、心を同じくして舜を戴き、以って天子と為す。其の十六相を舉げ、四凶を去るを以ってなり。故に虞書に舜の功を數へて曰く、「慎みて五典を徽(よ)くす、五典克く從ふ」と、教へに違ふ無きなり。曰く、「百揆に納る、百揆時に序す」と、事を廢する無きなり。曰く、「四門に賓す、四門穆穆たり」と、凶人無きなり。舜大功二十有りて天子と為る。今行父未だ一吉人を獲ずと雖も、一凶を去れり。舜の功に於いて、二十の一なり。庶幾(こひねが)はくは戾(つみ)を免れんか。
現代語訳
昔、帝鴻氏(黄帝)には不肖の子孫がいた。義をおおい隠して悪人をかくまい、好んで凶徳を行い、醜悪な仲間と結び、頑迷で口汚く友愛の心がなく、そういう者とばかり徒党を組んだ。天下の民は彼を「渾敦(こんとん、けじめのない者)」と呼んだ。少皞氏にも不肖の子孫がいた。信義を壊し忠誠を捨て、悪口を飾り立て、讒言を好んで邪な者を用い、中傷を受け入れて悪事を隠し、徳の高い人を陥れた。天下の民は彼を「窮奇(きゅうき、ねじけた者)」と呼んだ。顓頊にも不肖の子孫がいた。教え諭すことができず、善い言葉を理解せず、教えれば頑なに拒み、放っておけば口汚くののしり、明らかな徳に対して傲慢に逆らい、天の定めた秩序を乱した。天下の民は彼を「檮杌(とうごつ、手に負えない者)」と呼んだ。この三つの一族は、代々その凶悪さを受け継いで悪名を増し、堯の時代にまで至った。ところが堯は彼らを除くことができなかった。縉雲氏にも不肖の子孫がいた。飲食をむさぼり、財貨に目がなく、欲深くぜいたくで、満足することを知らなかった。財を取り立てて蓄えこみ、限度というものを知らず、身寄りのない者や寡婦に分け与えず、困窮する者をあわれまなかった。天下の民はこれを三凶になぞらえて「饕餮(とうてつ、貪り食らう者)」と呼んだ。舜は堯の臣となると、四方の門で諸侯の賓客を迎える役につき、四凶の一族である渾敦・窮奇・檮杌・饕餮を流罪にし、四方の果てに追いやって、山川の化け物を防がせた。そのため堯が亡くなったとき、天下は一つにまとまり、心を合わせて舜を推し戴き、天子とした。舜が十六人の賢い補佐役を登用し、四凶を除いたからである。だから『書経』虞書は舜の功績を数えて、「慎んで五つの教えを美しく行い、五つの教えがよく守られた」と言う。これは教えに背く者がいなかったことである。また「百官の長に任じられると、百官の仕事は時にかなって秩序立った」と言う。これは仕事をおろそかにする者がいなかったことである。また「四方の門で賓客を迎えると、四方の門はなごやかであった」と言う。これは凶悪な者がいなかったことである。舜は大きな功績を二十も立てて天子となった。いま私行父は、まだ一人の善人も登用していないとはいえ、一人の悪人を除きました。舜の功績に比べれば二十分の一にあたります。これでどうにか罪を免れることができましょうか。
解説
この章句が説くこと
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『慎思録』巻之三人を知るは甚だ難し。若し能く詢謀周悉にして、鑑察詳密にして、讒佞を信ぜず、愛憎の私に徇はざれば、是れ人を知るの道なり。過寡く悔寡きに庶し。一時一暫、他人の毀誉と、吾の好悪とに随ひて、妄りに褒貶を為し挙措を為すは、過誤多き所以なり。
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『春秋左氏伝』荘公二十八年 驪姫、二五を賂う二十八年春、齊侯衛を伐つ。戰ひて、衛の師を敗る。之を數むるに王命を以ってし、賂を取りて還る。晉の獻公賈に娶りて、子無し。齊姜に烝して、秦の穆夫人及び大子申生を生む。又二女を戎に娶る。大戎の狐姬重耳を生み、小戎子夷吾を生む。晉驪戎を伐ち、驪戎の男、女はすに驪姬を以ってす。歸りて、奚齊を生む。其の娣卓子を生む。驪姬嬖せられ、其の子を立てんと欲し、外嬖梁五と、東關嬖五とに賂ひ、公に言はしめて曰く、「曲沃は、君の宗なり。蒲と二屈とは、君の疆なり。以って主無かる可からず。宗邑に主無ければ則ち民威れず、疆埸に主無ければ則ち戎心を啟く。戎の心を生じ、民其の政を慢るは、國の患ひなり。若し大子をして曲沃に主たらしめ、而して重耳・夷吾をして蒲と屈とに主たらしめば、則ち以って民を威し戎を懼れしめ、且つ君の伐を旌す可し」と。俱に曰はしむ、「狄の廣莫、晉に于いて都と爲る。晉の土を啟く、亦た宜ならずや」と。晉侯之を說ぶ。夏、大子をして曲沃に居らしめ、重耳は蒲城に居り、夷吾は屈に居る。羣公子皆鄙にあり、唯だ二姬の子のみ絳に在り。二五卒に驪姬と羣公子を譖して奚齊を立つ。晉人之を二耦と謂ふ。
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『韓非子』內儲說下六微第三十一王と鄭袖・美女三人坐するに及び、袖因りて先づ御者を誡めて曰く、「王適ま言有らば、必ず亟やかに王の言を聴従せよ。」美女前みて王に近づくこと甚しく、数しば口を掩ふ。王悖然として怒りて曰く、「之を劓れ。」御因りて刀を揄きて美人を劓る。一に曰く、魏王荊王に美人を遺る、荊王甚だ之を悦ぶ。夫人鄭袖王の之を悦愛するを知るや、亦之を悦愛すること、王より甚し。衣服玩好、其の欲する所を択びて之を為す。王曰く、「夫人我の新人を愛するを知るや、其の之を悦愛すること寡人より甚し、此れ孝子の親を養ふ所以、忠臣の君に事ふる所以なり。」夫人王の己を以て妬と為さざるを知るや、因りて新人に為りて曰く、「王甚だ子を悦愛す、然れども子の鼻を悪む。子王に見えば、常に鼻を掩へ、則ち王長く子を幸せん。」是に於て新人之に従ひ、王に見ゆる毎に、常に鼻を掩ふ。王夫人に謂ひて曰く、「新人寡人に見えて常に鼻を掩ふは、何ぞや。」対へて曰く、「知らざるなり。」王強ひて之を問ふ、対へて曰く、「頃ろ嘗て王の臭を聞くを悪むと言へり。」王怒りて曰く、「之を劓れ。」夫人先づ御者を誡めて曰く、「王適ま言有らば、必ず命に従ふべし。」御者因りて刀を揄きて美人を劓る。費無極は、荊の令尹の近き者なり。郄宛新たに令尹に事ふ、令尹甚だ之を愛す。無極因りて令尹に謂ひて曰く、「君宛を愛すること甚し、何ぞ一たび其の家に酒を為さざる。」令尹曰く、「善し。」因りて之をして具を郄宛の家に為さしむ。無極宛に教へて曰く、「令尹甚だ傲りて兵を好む、子必ず謹敬し、先づ亟やかに兵を堂下及び門庭に陳ねよ。」宛因りて之を為す。令尹往きて大いに驚きて曰く、「此れ何ぞや。」無極曰く、「君殆し、之を去れ。事未だ知るべからざるなり。」令尹大いに怒り、兵を挙げて郄宛を誅し、遂に之を殺す。犀首と張寿と怨みを為す、陳需新たに入り、犀首に善からず、因りて人をして微かに張寿を殺さしむ。魏王以て犀首と為すや、乃ち之を誅す。中山に賤公子有り、馬甚だ痩せ、車甚だ弊る。
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史記 李斯列伝丞相の長男李由は三川の守為り。楚の盗陳勝等は皆丞相の傍県の子なり。故を以て楚の盗公行し、三川を過ぐるも、城守りて撃つを肯ぜず。高聞く、其の文書相往来すと。未だ其の審らかなるを得ず。故に未だ敢て以て聞せず。且つ丞相は外に居りて、権は陛下より重し」と。二世以て然りと為す。丞相を案ぜんと欲するも、其の審らかならざるを恐れ、乃ち人をして三川の守の盗と通ずる状を案験せしむ。李斯之を聞く。是の時二世甘泉に在り、方に觳抵優俳の観を作す。李斯見ゆるを得ず、因りて書を上りて趙高の短を言ひて曰く、「臣之を聞く、臣其の君を疑へば、国を危ふくせざる無し。妾其の夫を疑へば、家を危ふくせざる無しと。今大臣有りて陛下に於て利を擅にし害を擅にし、陛下と異なる無し。此れ甚だ便ならず。昔者司城子罕宋に相たり、身づから刑罰を行ひ、威を以て之を行ふ。朞年にして遂に其の君を劫かす。田常は簡公の臣と為り、爵列国に敵無く、私家の富は公家と均し。恵を布き徳を施し、下は百姓を得、上は群臣を得、陰かに斉国を取り、宰予を庭に殺し、即ち簡公を朝に弑し、遂に斉国を有つ。此れ天下の明らかに知る所なり。今高は邪佚の志、危反の行ひ有ること、子罕の宋に相たるが如きなり。私家の富は、田氏の斉に於けるが若きなり。田常・子罕の逆道を兼ね行ひて陛下の威信を劫かす。其の志は韓玘の韓安の相と為るが若きなり。陛下図らずんば、臣其の変を為さんことを恐る」と。二世曰く、「何ぞや。夫れ高は、故の宦人なり。然れども安きを為して志を肆にせず、危ふきを以て心を易へず、行ひを潔くし善を修め、自ら此に至らしむ。忠を以て進むを得、信を以て位を守る。朕実に之を賢とす。而るに君之を疑ふは、何ぞや。且つ朕少くして先人を失ひ、識知する所無く、民を治むるに習はず。而して君又老い、恐らくは天下と絶えん。朕趙君に属せずんば、当に誰にか任ずべき。
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『不動智神妙録』諫言 其二 好む所の病然れば幾千人ありとても、自然の時、主人の用に立つ物は一人も不可有之、彼の一旦気に入りたる無智若輩の悪人は、元より心正しからざる者故、事に臨んて一命を捨てんと思ふ事、努々不可有、心正しからさるものゝ主の用に立ちたる事は、往昔より不承及ところなり、貴殿の弟子を御取立て被成にも、箇様の事有之由、苦々敷存候、是れ皆一片の数奇好む所より其病にひかれ、悪に落入るを知らざるなり、人は知らぬと思へども微より明かなるなしとて、我心に知れは、天地鬼神万民も知るなり、如是して国を保つ、誠に危き事にあらずや、然らば大不忠なりとこそ存候へ、
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