武士訓 / 卷三・第22段
人をとりたてんとするとき。かならず。かたはらより其人のあしきことをまうけなして。いひおとすものあり。よく察すべきことなり。
書き下し
人をとりたてんとするとき。かならず。かたはらより其人のあしきことをまうけなして。いひおとすものあり。よく察すべきことなり。
現代語訳
人を取り立てようとするとき、必ず傍らから、その人の悪いことをこしらえて、言い落とす者がいます。よく見きわめなければなりません。
解説
この段は短く、人を取り立てようとするとき、傍らからその人の悪いことをこしらえて言い落とす者がいる、と注意を促します。本文は、そうした者がいること、そしてよく察するべきことだけを述べています。なぜ言い落とすのかまでは書いていませんが、取り立てが決まりかけるときに出る悪い評判は、鵜呑みにしてはならないという警告と読めます。昇進や抜擢の場面は、いまも同じです。ある人への悪い話が耳に入ったら、誰が、どんな立場で、何を根拠に言っているかを確かめる必要があります。複数の人から聞き、本人にも事実を尋ねる手間が、抜擢の誤りと冤罪の両方を防ぎます。
この章句が説くこと
抜擢讒言悪評人事察する武士訓
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