史記 / 孝景本紀
梁楚二王皆薨。後九月,伐馳道樹,殖蘭池。七年冬,廢栗太子為臨江王。十一月晦,日有食之。春,免徒隸作陽陵者。丞相青免。二月乙巳,以太尉條侯周亞夫為丞相。
新字:梁楚二王皆薨。後九月,伐馳道樹,殖蘭池。七年冬,廃栗太子為臨江王。十一月晦,日有食之。春,免徒隸作陽陵者。丞相青免。二月乙巳,以太尉条侯周亜夫為丞相。
書き下し
梁・楚の二王皆薨ず。後九月、馳道の樹を伐り、蘭池に殖う。七年冬、栗太子を廃して臨江王と為す。(一)十(二)[一]月晦、日之を食する有り。春、徒隷の陽陵を作る者を免ず。丞相青免ぜらる。二月乙巳、太尉条侯周亜夫を以て丞相と為す。
現代語訳
梁王と楚王が二人とも亡くなった。後九月(閏月)、馳道(天子専用の大道)の並木を伐り、蘭池に植え替えた。七年(前150年)冬、栗太子(栗姫の生んだ太子劉栄)を廃して臨江王とした。十一月の晦日に日食があった。春、陽陵の造営に従事していた囚人たちを釈放した。丞相の陶青が免職となった。二月乙巳の日、太尉の条侯周亜夫を丞相とした。
解説
景帝六年から七年にかけての出来事を簡潔に記した段です。中でも重要なのは、栗太子劉栄の廃位と、周亜夫の丞相就任です。劉栄は景帝の長子で太子に立てられていましたが、母の栗姫が景帝の姉の長公主と対立し、長公主が王夫人(のちの王皇后)と結んで栗姫を讒言したことなどから、太子の地位を追われました。この後、王夫人の子の劉徹(のちの武帝)が太子に立てられます。周亜夫は呉楚七国の乱を三か月で鎮めた名将で、その功によって丞相に上りました。しかし周亜夫は剛直な人柄で、のちに景帝と意見が合わず、非業の死を遂げることが絳侯周勃世家に記されています。後継者の交代が、宮廷内の人間関係で決まっていく様子がうかがえます。
この章句が説くこと
後継者孝景本紀人事七国の乱平定讒言周亜夫
関連する章句
-
『武士訓』卷三・第22段人をとりたてんとするとき。かならず。かたはらより其人のあしきことをまうけなして。いひおとすものあり。よく察すべきことなり。
-
『慎思録』巻之三人を知るは甚だ難し。若し能く詢謀周悉にして、鑑察詳密にして、讒佞を信ぜず、愛憎の私に徇はざれば、是れ人を知るの道なり。過寡く悔寡きに庶し。一時一暫、他人の毀誉と、吾の好悪とに随ひて、妄りに褒貶を為し挙措を為すは、過誤多き所以なり。
-
『春秋左氏伝』文公十八年 四凶を去る昔帝鴻氏に不才の子有り、義を掩ひ賊を隱し、好んで凶德を行ひ、醜類惡物、頑嚚(ぐわんぎん)にして友ならず、是れと比周す。天下の民、之を渾敦(こんとん)と謂ふ。少皞氏に不才の子有り、信を毀ち忠を廢し、惡言を崇飾し、譖(しん)を靖(やす)んじ回(くわい)を庸(もち)ゐ、讒を服し慝(とく)を蒐(かく)し、以って盛德を誣(し)ふ。天下の民、之を窮奇と謂ふ。顓頊に不才の子有り、教訓す可からず、話言を知らず、之に告ぐれば則ち頑、之を舍(お)けば則ち嚚、明德に傲很(がうこん)し、以って天常を亂る。天下の民、之を檮杌(たうごつ)と謂ふ。此れ三族なり。世々其の凶を濟し、其の惡名を增し、以って堯に至る。堯去ること能はず。縉雲氏に不才の子有り、飲食に貪り、貨賄に冒(ばう)し、侵欲崇侈、盈厭す可からず。聚斂積實して、紀極を知らず、孤寡に分かたず、窮匱を恤(あはれ)まず。天下の民、以って三凶に比し、之を饕餮(たうてつ)と謂ふ。舜堯に臣たりて、四門に賓し、四凶族の渾敦・窮奇・檮杌・饕餮を流し、諸を四裔に投じ、以って螭魅(ちみ)を禦がしむ。是を以って堯崩じて天下一の如く、心を同じくして舜を戴き、以って天子と為す。其の十六相を舉げ、四凶を去るを以ってなり。故に虞書に舜の功を數へて曰く、「慎みて五典を徽(よ)くす、五典克く從ふ」と、教へに違ふ無きなり。曰く、「百揆に納る、百揆時に序す」と、事を廢する無きなり。曰く、「四門に賓す、四門穆穆たり」と、凶人無きなり。舜大功二十有りて天子と為る。今行父未だ一吉人を獲ずと雖も、一凶を去れり。舜の功に於いて、二十の一なり。庶幾(こひねが)はくは戾(つみ)を免れんか。
-
『春秋左氏伝』荘公二十八年 驪姫、二五を賂う二十八年春、齊侯衛を伐つ。戰ひて、衛の師を敗る。之を數むるに王命を以ってし、賂を取りて還る。晉の獻公賈に娶りて、子無し。齊姜に烝して、秦の穆夫人及び大子申生を生む。又二女を戎に娶る。大戎の狐姬重耳を生み、小戎子夷吾を生む。晉驪戎を伐ち、驪戎の男、女はすに驪姬を以ってす。歸りて、奚齊を生む。其の娣卓子を生む。驪姬嬖せられ、其の子を立てんと欲し、外嬖梁五と、東關嬖五とに賂ひ、公に言はしめて曰く、「曲沃は、君の宗なり。蒲と二屈とは、君の疆なり。以って主無かる可からず。宗邑に主無ければ則ち民威れず、疆埸に主無ければ則ち戎心を啟く。戎の心を生じ、民其の政を慢るは、國の患ひなり。若し大子をして曲沃に主たらしめ、而して重耳・夷吾をして蒲と屈とに主たらしめば、則ち以って民を威し戎を懼れしめ、且つ君の伐を旌す可し」と。俱に曰はしむ、「狄の廣莫、晉に于いて都と爲る。晉の土を啟く、亦た宜ならずや」と。晉侯之を說ぶ。夏、大子をして曲沃に居らしめ、重耳は蒲城に居り、夷吾は屈に居る。羣公子皆鄙にあり、唯だ二姬の子のみ絳に在り。二五卒に驪姬と羣公子を譖して奚齊を立つ。晉人之を二耦と謂ふ。
-
『韓非子』內儲說下六微第三十一王と鄭袖・美女三人坐するに及び、袖因りて先づ御者を誡めて曰く、「王適ま言有らば、必ず亟やかに王の言を聴従せよ。」美女前みて王に近づくこと甚しく、数しば口を掩ふ。王悖然として怒りて曰く、「之を劓れ。」御因りて刀を揄きて美人を劓る。一に曰く、魏王荊王に美人を遺る、荊王甚だ之を悦ぶ。夫人鄭袖王の之を悦愛するを知るや、亦之を悦愛すること、王より甚し。衣服玩好、其の欲する所を択びて之を為す。王曰く、「夫人我の新人を愛するを知るや、其の之を悦愛すること寡人より甚し、此れ孝子の親を養ふ所以、忠臣の君に事ふる所以なり。」夫人王の己を以て妬と為さざるを知るや、因りて新人に為りて曰く、「王甚だ子を悦愛す、然れども子の鼻を悪む。子王に見えば、常に鼻を掩へ、則ち王長く子を幸せん。」是に於て新人之に従ひ、王に見ゆる毎に、常に鼻を掩ふ。王夫人に謂ひて曰く、「新人寡人に見えて常に鼻を掩ふは、何ぞや。」対へて曰く、「知らざるなり。」王強ひて之を問ふ、対へて曰く、「頃ろ嘗て王の臭を聞くを悪むと言へり。」王怒りて曰く、「之を劓れ。」夫人先づ御者を誡めて曰く、「王適ま言有らば、必ず命に従ふべし。」御者因りて刀を揄きて美人を劓る。費無極は、荊の令尹の近き者なり。郄宛新たに令尹に事ふ、令尹甚だ之を愛す。無極因りて令尹に謂ひて曰く、「君宛を愛すること甚し、何ぞ一たび其の家に酒を為さざる。」令尹曰く、「善し。」因りて之をして具を郄宛の家に為さしむ。無極宛に教へて曰く、「令尹甚だ傲りて兵を好む、子必ず謹敬し、先づ亟やかに兵を堂下及び門庭に陳ねよ。」宛因りて之を為す。令尹往きて大いに驚きて曰く、「此れ何ぞや。」無極曰く、「君殆し、之を去れ。事未だ知るべからざるなり。」令尹大いに怒り、兵を挙げて郄宛を誅し、遂に之を殺す。犀首と張寿と怨みを為す、陳需新たに入り、犀首に善からず、因りて人をして微かに張寿を殺さしむ。魏王以て犀首と為すや、乃ち之を誅す。中山に賤公子有り、馬甚だ痩せ、車甚だ弊る。
-
戦国策・周相呂倉見客於周君周の相呂倉客を周君に見えしむ。前の相工師藉客の己を傷つけんことを恐れ、因りて人をして周君に謂はしめて曰く、「客は辯士なり、然れども不可なる所以の者は、人を毀るを好めばなり」と。
人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る