名将言行録 / 『名将言行録』藤堂高虎 人を見ることが第一
○家康、高虎を敬重し、秀忠をして夜話に高虎を召さしむ。初めて召したる時、天下泰平の時第一の專要は何なるやと尋ねらる。高虎、私事文盲の者に候へば、何にも辨へず候へ共、人を御覺じ候こと第一と存奉り候、大軍を率し其差引あぐみ申さゞる大勇の者、又一組の大將にて、其組の侍を能く廻はし、其用に立て申す者、又物頭にて弓鐵砲以下場をすかさず、打たせ申す者、又は働はなくとも律義に、其場を守り慥に死する者、又廢國を起し、賞罰を正しくし、一國の士民末々まで安心致させ申す者、又一郡一鄕の支配たしかに務め申す者、又大普請大作事能く呑込み冗費なく務め申す者、器量に大小の別ち之あるべく候間、夫々の物役能く人を御覽じ分られ、仰付られなば、其人其役の働を能く仕り出で申す故、百事能く擧り申候、其上にも、一つ御疑ひの御心之なき樣にと存奉り候、上として人を御疑ひ候へば、下又上を疑ひ、上下疑ひ之ある時は、上と下との心離れ申候、天下の御主にても下離れ候へば、御獨身に相成り、專要の時務むる侍之なく、又上下との御疑ひ之あるを、惡人能く見付け、其間に讒言を入れ申候、下地の御疑ひの御心、讒言の味方に成り申候に付、彼の大勇大智の善人を御失ひ候こと、度々之あり候、讒人は尋常の人より、邪智賢く、常に與黨を組み、人々互に力を添合はせ申候に付、舜の世にも讒人の亂屢々之ある由承はり候と申す。秀忠聞て何も〳〵專要のことなり、大炊信濃何にと存候やと申さるゝに付、藤堂申上げ候旨、最も至極と存奉り候、書物の上にて學者抔色々のこと申候へ共、是程に手近く差當り專要の儀は之有間敷と申す、其翌日家康、高虎に、夜前は將軍へ何事を申候やと尋ねらる。爾々申上げ候と申せば、如何にも專要のことを能く申たり、人を見ると疑ひと讒者の其間に入ること、古今珍らしからずと、再三感ぜられたり。
新字:○家康、高虎を敬重し、秀忠をして夜話に高虎を召さしむ。初めて召したる時、天下泰平の時第一の専要は何なるやと尋ねらる。高虎、私事文盲の者に候へば、何にも弁へず候へ共、人を御覚じ候こと第一と存奉り候、大軍を率し其差引あぐみ申さゞる大勇の者、又一組の大将にて、其組の侍を能く廻はし、其用に立て申す者、又物頭にて弓鉄砲以下場をすかさず、打たせ申す者、又は働はなくとも律義に、其場を守り慥に死する者、又廃国を起し、賞罰を正しくし、一国の士民末々まで安心致させ申す者、又一郡一郷の支配たしかに務め申す者、又大普請大作事能く呑込み冗費なく務め申す者、器量に大小の別ち之あるべく候間、夫々の物役能く人を御覧じ分られ、仰付られなば、其人其役の働を能く仕り出で申す故、百事能く挙り申候、其上にも、一つ御疑ひの御心之なき様にと存奉り候、上として人を御疑ひ候へば、下又上を疑ひ、上下疑ひ之ある時は、上と下との心離れ申候、天下の御主にても下離れ候へば、御独身に相成り、専要の時務むる侍之なく、又上下との御疑ひ之あるを、悪人能く見付け、其間に讒言を入れ申候、下地の御疑ひの御心、讒言の味方に成り申候に付、彼の大勇大智の善人を御失ひ候こと、度々之あり候、讒人は尋常の人より、邪智賢く、常に与党を組み、人々互に力を添合はせ申候に付、舜の世にも讒人の乱屡々之ある由承はり候と申す。秀忠聞て何も〳〵専要のことなり、大炊信濃何にと存候やと申さるゝに付、藤堂申上げ候旨、最も至極と存奉り候、書物の上にて学者抔色々のこと申候へ共、是程に手近く差当り専要の儀は之有間敷と申す、其翌日家康、高虎に、夜前は将軍へ何事を申候やと尋ねらる。爾々申上げ候と申せば、如何にも専要のことを能く申たり、人を見ると疑ひと讒者の其間に入ること、古今珍らしからずと、再三感ぜられたり。
書き下し
○家康、高虎を敬重し、秀忠をして夜話に高虎を召さしむ。初めて召したる時、天下泰平の時第一の專要は何なるやと尋ねらる。高虎、私事文盲の者に候へば、何にも辨へず候へ共、人を御覺じ候こと第一と存奉り候、大軍を率し其差引あぐみ申さゞる大勇の者、又一組の大將にて、其組の侍を能く廻はし、其用に立て申す者、又物頭にて弓鐵砲以下場をすかさず、打たせ申す者、又は働はなくとも律義に、其場を守り慥に死する者、又廢國を起し、賞罰を正しくし、一國の士民末々まで安心致させ申す者、又一郡一鄕の支配たしかに務め申す者、又大普請大作事能く呑込み冗費なく務め申す者、器量に大小の別ち之あるべく候間、夫々の物役能く人を御覽じ分られ、仰付られなば、其人其役の働を能く仕り出で申す故、百事能く擧り申候、其上にも、一つ御疑ひの御心之なき樣にと存奉り候、上として人を御疑ひ候へば、下又上を疑ひ、上下疑ひ之ある時は、上と下との心離れ申候、天下の御主にても下離れ候へば、御獨身に相成り、專要の時務むる侍之なく、又上下との御疑ひ之あるを、惡人能く見付け、其間に讒言を入れ申候、下地の御疑ひの御心、讒言の味方に成り申候に付、彼の大勇大智の善人を御失ひ候こと、度々之あり候、讒人は尋常の人より、邪智賢く、常に與黨を組み、人々互に力を添合はせ申候に付、舜の世にも讒人の亂屢々之ある由承はり候と申す。秀忠聞て何も〳〵專要のことなり、大炊信濃何にと存候やと申さるゝに付、藤堂申上げ候旨、最も至極と存奉り候、書物の上にて學者抔色々のこと申候へ共、是程に手近く差當り專要の儀は之有間敷と申す、其翌日家康、高虎に、夜前は將軍へ何事を申候やと尋ねらる。爾々申上げ候と申せば、如何にも專要のことを能く申たり、人を見ると疑ひと讒者の其間に入ること、古今珍らしからずと、再三感ぜられたり。
現代語訳
○家康は高虎を敬い重んじ、秀忠に夜話のとき高虎を召させました。初めて召したとき、天下泰平のときに第一の肝要は何かと尋ねられました。高虎は、私は文盲の者でございますから、何も弁えておりませんが、人をお見分けになることが第一かと存じます。大軍を率いてその指揮に行き詰まらない大勇の者、また一組の大将としてその組の侍をよく動かし役に立てる者、また物頭として弓や鉄砲などを時機を逃さず撃たせる者、または働きはなくとも律義にその場を守り、確かに死ぬ者、また荒廃した国を興し、賞罰を正しくし、一国の士民を末々まで安心させる者、また一郡一郷の支配を確かに務める者、また大普請や大作事をよく呑み込み、無駄遣いなく務める者、器量に大小の別がございますので、それぞれの役目に応じてよく人をお見分けになり、仰せつけられれば、その人はその役の働きをよく仕出すので、百事がよく挙がります。そのうえにも一つ、お疑いの御心がないようにと存じます。上に立つ人が人を疑えば、下もまた上を疑い、上下が疑い合うときは、上と下の心が離れます。天下の御主であっても下が離れれば、御一人きりとなり、肝要のときに務める侍がいなくなります。また上下の疑いを悪人がよく見つけ、その間に讒言を入れます。もともとのお疑いの御心が讒言の味方となるために、あの大勇大智の善人をお失いになることが度々ございました。讒言をする人は普通の人より悪知恵が働き、常に仲間を組み、人々が互いに力を添え合うので、舜の世にも讒人の乱がしばしばあったと承っております、と申しました。秀忠は聞いて、どれも肝要なことだ、大炊、信濃はどう思うか、と尋ねられたので、藤堂が申し上げた趣旨は最も至極と存じます、書物の上で学者などがいろいろ申しますが、これほど手近に当面の肝要なことはございますまい、と申しました。その翌日、家康が高虎に、昨夜は将軍に何を申したかと尋ねられました。これこれと申し上げると、いかにも肝要のことをよく申した。人を見ることと、疑いと讒者がその間に入ることは、古今珍しくない、と再三感心されました。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『韓非子』説疑第四十四聖王明君は則ち然らず、内挙は親を避けず、外挙は讎を避けず。是焉に在れば、従ひて之を挙げ、非焉に在れば、
-
史記 孝景本紀梁・楚の二王皆薨ず。後九月、馳道の樹を伐り、蘭池に殖う。七年冬、栗太子を廃して臨江王と為す。(一)十(二)[一]月晦、日之を食する有り。春、徒隷の陽陵を作る者を免ず。丞相青免ぜらる。二月乙巳、太尉条侯周亜夫を以て丞相と為す。
-
『春秋左氏伝』襄公十五年 楚、能く人を官す十五年春、宋の向戌來聘し、且つ盟を尋む。孟獻子に見え、其の室を尤めて曰く、「子は令聞有りて、其の室を美にす。望む所に非ざるなり」と。對へて曰く、「我晉に在りしとき、吾が兄之を為れり。之を毀つは勞を重ね、且つ敢へて間せず」と。官師單靖公に從ひて、王后を齊に逆ふ。卿行かざるは、禮に非ざるなり。楚の公子午令尹と為り、公子罷戎右尹と為り、蒍子馮大司馬と為り、公子橐師右司馬と為り、公子成左司馬と為り、屈到莫敖と為り、公子追舒箴尹と為り、屈蕩連尹と為り、養由基宮廄尹と為り、以って國人を靖んず。君子謂ふ、「楚是に於いてか能く人を官す。人を官するは國の急なり。能く人を官すれば、則ち民覦心無し。詩に云ふ、『嗟我人を懷ひ、彼の周行に寘かん』と。能く人を官するなり。王及び公・侯・伯・子・男・甸・采・衛の大夫、各其の列に居る。所謂周行なり」と。
-
『韓非子』外儲說左下第三十三桓公吏を置くことを管仲に問ふ、管仲曰く、「辞に弁察し、貨に清潔にして、人情に習ふこと、夷吾は絃商に如かず、請ふ立てて以て大理と為さん。登降粛譲し、以て礼を明らかにして賓を待つこと、臣は隰朋に如かず、請ふ立てて以て大行と為さん。草を墾き邑を仞め、地を辟き粟を生ずること、臣は甯戚に如かず、請ふ以て大田と為さん。三軍既に陣を成し、士をして死を視ること帰するが如くならしむること、臣は公子成父に如かず、請ふ以て大司馬と為さん。顔を犯し諫を極むること、臣は東郭牙に如かず、請ふ立てて以て諫臣と為さん。
-
『春秋左氏伝』文公十八年 四凶を去る昔帝鴻氏に不才の子有り、義を掩ひ賊を隱し、好んで凶德を行ひ、醜類惡物、頑嚚(ぐわんぎん)にして友ならず、是れと比周す。天下の民、之を渾敦(こんとん)と謂ふ。少皞氏に不才の子有り、信を毀ち忠を廢し、惡言を崇飾し、譖(しん)を靖(やす)んじ回(くわい)を庸(もち)ゐ、讒を服し慝(とく)を蒐(かく)し、以って盛德を誣(し)ふ。天下の民、之を窮奇と謂ふ。顓頊に不才の子有り、教訓す可からず、話言を知らず、之に告ぐれば則ち頑、之を舍(お)けば則ち嚚、明德に傲很(がうこん)し、以って天常を亂る。天下の民、之を檮杌(たうごつ)と謂ふ。此れ三族なり。世々其の凶を濟し、其の惡名を增し、以って堯に至る。堯去ること能はず。縉雲氏に不才の子有り、飲食に貪り、貨賄に冒(ばう)し、侵欲崇侈、盈厭す可からず。聚斂積實して、紀極を知らず、孤寡に分かたず、窮匱を恤(あはれ)まず。天下の民、以って三凶に比し、之を饕餮(たうてつ)と謂ふ。舜堯に臣たりて、四門に賓し、四凶族の渾敦・窮奇・檮杌・饕餮を流し、諸を四裔に投じ、以って螭魅(ちみ)を禦がしむ。是を以って堯崩じて天下一の如く、心を同じくして舜を戴き、以って天子と為す。其の十六相を舉げ、四凶を去るを以ってなり。故に虞書に舜の功を數へて曰く、「慎みて五典を徽(よ)くす、五典克く從ふ」と、教へに違ふ無きなり。曰く、「百揆に納る、百揆時に序す」と、事を廢する無きなり。曰く、「四門に賓す、四門穆穆たり」と、凶人無きなり。舜大功二十有りて天子と為る。今行父未だ一吉人を獲ずと雖も、一凶を去れり。舜の功に於いて、二十の一なり。庶幾(こひねが)はくは戾(つみ)を免れんか。
-
『慎思録』巻之三人を知るは甚だ難し。若し能く詢謀周悉にして、鑑察詳密にして、讒佞を信ぜず、愛憎の私に徇はざれば、是れ人を知るの道なり。過寡く悔寡きに庶し。一時一暫、他人の毀誉と、吾の好悪とに随ひて、妄りに褒貶を為し挙措を為すは、過誤多き所以なり。