春秋左氏伝 / 文公十八年 哀姜、市に哭す
冬,十月,仲殺惡及視,而立宣公,書曰,子卒,諱之也,仲以君命召惠伯,其宰公冉務人止之,曰,入必死,叔仲曰,死君命可也,公冉務人曰,若君命可死,非君命何聽,弗聽,乃入,殺而埋之馬矢之中,公冉務人奉其帑以奔蔡,既而復叔仲氏,夫人姜氏歸于齊,大歸也,將行哭而過市,曰天乎,仲為不道,殺適,立庶,市人皆哭,魯人謂之哀姜,
新字:冬,十月,仲殺悪及視,而立宣公,書曰,子卒,諱之也,仲以君命召恵伯,其宰公冉務人止之,曰,入必死,叔仲曰,死君命可也,公冉務人曰,若君命可死,非君命何聴,弗聴,乃入,殺而埋之馬矢之中,公冉務人奉其帑以奔蔡,既而復叔仲氏,夫人姜氏帰于斉,大帰也,将行哭而過市,曰天乎,仲為不道,殺適,立庶,市人皆哭,魯人謂之哀姜,
書き下し
冬、十月、仲惡及び視を殺して、宣公を立つ。書して「子卒す」と曰ふは、之を諱むなり。仲君命を以って惠伯を召す。其の宰公冉務人之を止めて曰く、「入らば必ず死せん」と。叔仲曰く、「君命に死するは可なり」と。公冉務人曰く、「若し君命ならば死す可し、君命に非ずんば何ぞ聽かん」と。聽かず、乃ち入る。殺して之を馬矢の中に埋む。公冉務人其の帑(ど)を奉じて以って蔡に奔る。既にして叔仲氏を復す。夫人姜氏齊に歸る、大歸なり。將に行かんとして哭して市を過ぎ、曰く、「天か。仲不道を為し、適を殺して、庶を立つ」と。市人皆哭す。魯人之を哀姜と謂ふ。
現代語訳
冬十月、襄仲(仲)は太子の惡とその同母弟の視を殺し、宣公を君に立てた。『春秋』が「子卒す(喪中の太子が亡くなった)」とだけ記すのは、殺されたことをはばかって隠したのである。襄仲は君の命令と称して惠伯(叔仲惠伯)を呼び出した。惠伯の家宰の公冉務人がこれを止めて言った。「入れば必ず殺されます」。叔仲は言った。「君の命令のために死ぬのならそれでよい」。公冉務人は言った。「本当に君の命令ならば死んでもよいでしょう。しかし君の命令でないのなら、どうして従う必要がありましょう」。惠伯は聞き入れずに宮中に入り、殺されて馬糞の中に埋められた。公冉務人は惠伯の妻子を連れて蔡へ逃れ、やがて叔仲氏の家を再興させた。文公の夫人姜氏(太子惡の母、斉の出身)は斉へ帰った。二度と戻らない「大歸」である。出発にあたって泣きながら市場を通り、「天よ。襄仲は道に背き、正妻の子を殺して、妾の子を立てました」と叫んだ。市場の人々はみな泣いた。魯の人々は彼女を哀姜と呼んだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 季布欒布列伝斉に使ひし、未だ還らざるに、漢彭越を召し、責むるに謀反を以てし、三族を夷す。已にして彭越の頭を雒陽の下に梟し、詔して曰く「敢へて収め視る者有らば、輒ち之を捕へよ」と。布斉より還り、事を彭越の頭の下に奏し、祠りて之を哭す。吏布を捕へて以聞す。上布を召し、罵りて曰く「若彭越と反するか。吾人を禁じて収むる勿からしむるに、若独り祠りて之を哭す、越と反すること明らかなり。趣やかに之を亨よ」と。方に提げて湯に趣くに、布顧みて曰く「願はくは一言して死せん」と。上曰く「何をか言はん」と。布曰く「方に上の彭城に困しみ、滎陽・成皋の間に敗るるに、項王の遂に西する能はざる所以は、徒だ彭王梁の地に居り、漢と合従して楚を苦しむるを以てなり。是の時に当たり、彭王一たび顧みて、楚に与せば則ち漢破れ、漢に与せば楚破れん。且つ垓下の会、彭王微かりせば、項氏亡びず。天下已に定まり、彭王符を剖き封を受く、亦た之を万世に伝へんと欲す。今陛下一たび兵を梁に徴し、彭王病みて行かず、而るに陛下疑ひて以て反と為す、反の形未だ見えざるに、苛小の案を以て之を誅滅す、臣恐らくは功臣人人自ら危ぶまん。今彭王已に死す、臣生くるは死するに如かず、請ふ亨に就かん」と。是に於て上乃ち布の罪を釈し、拝して都尉と為す。孝文の時、燕の相と為り、将軍に至る。布乃ち称して曰く「窮困して身を辱め志を下す能はざるは、人に非ず。富貴にして意を快くする能はざるは、賢に非ず」と。是に於て嘗て徳有る者には厚く之に報い、怨み有る者には必ず法を以て之を滅す。呉・楚反せし時、軍功を以て兪侯に封ぜられ、復た燕の相と為る。燕・斉の間皆欒布の為に社を立て、欒公社と号す。景帝中五年薨ず。子賁嗣ぎ、太常と為り、犠牲令の如くならず、国除かる。太史公曰く、項羽の気を以てして、季布勇を以て楚に顕はれ、身ら軍を屨みて旗を搴ること数々なり、壮士と謂ふべし。然れども刑戮を被り、人の奴と為りて死せざるに至るは、何ぞ其の下れるや。
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葉隠・聞書第一楠木正成(くすのきまさしげ)兵庫記(ひょうごき)の中に、「降参(こうさん)と云ふことは、謀(はかりごと)にても君のためにても、武士のせることなり。」とあり。忠臣は斯(か)くの如(ごと)くあるべきこととなり。
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史記 春申君列伝黄歇約を受けて楚に帰る。楚、歇をして太子完と入りて秦に質たらしむ、秦これを留むること数年。楚の頃襄王病む、太子帰るを得ず。而して楚の太子は秦の相応侯と善し、是に於いて黄歇乃ち応侯に説きて曰く、「相国誠に楚の太子を善くするか」と。応侯曰く、「然り」と。歇曰く、「今、楚王恐らくは疾より起たざらん、秦はその太子を帰すに如かず。太子立つを得ば、その秦に事ふること必ず重くして相国を徳とすること窮まり無からん、是れ与国に親しみて万乗を儲くるを得るなり。若し帰さずんば、則ち咸陽の一布衣のみ。楚更に太子を立てば、必ず秦に事へざらん。夫れ与国を失ひて万乗の和を絶つは、計に非ざるなり。願はくは相国これを孰慮せよ」と。応侯以て秦王に聞す。秦王曰く、「楚の太子の傅をして先づ往きて楚王の疾を問はしめ、返りて後にこれを図らん」と。黄歇、楚の太子の為に計りて曰く、「秦の太子を留むるや、以て利を求めんと欲するなり。今、太子の力未だ以て秦を利する有る能はざるなり、歇これを憂ふること甚だし。而して陽文君の子二人中に在り、王若し大命を卒へ、太子在らずんば、陽文君の子必ず立ちて後と為り、太子は宗廟を奉ずるを得ざらん。秦を亡れ、使者と倶に出づるに如かず。臣請ふ止まり、死を以てこれに当たらん」と。楚の太子因りて衣服を変じ楚の使者の御と為りて以て関を出で、而して黄歇は舎を守り、常に為に病と謝す。太子の已に遠く、秦の追ふ能はざるを度り、歇乃ち自ら秦の昭王に言ひて曰く、「楚の太子已に帰り、出でて遠し。歇は当に死すべし、願はくは死を賜へ」と。昭王大いに怒り、その自殺を聴かんと欲す。応侯曰く、「歇は人臣と為りて、身を出だして以てその主に徇ふ。太子立たば、必ず歇を用ひん。故に罪無くしてこれを帰し、
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史記 蒙恬列伝蒙恬に令して曰く、「君の過ち多し。而して卿の弟毅大罪有り。法内史に及ぶ」と。恬曰く、「吾が先人より、子孫に及ぶまで、功信を秦に積むこと三世なり。今臣兵三十余万を将ゐ、身は囚系せらると雖も、其の勢以て倍畔するに足る。然れども自ら必ず死するを知りて義を守る者は、敢て先人の教へを辱めず、以て先主を忘れざればなり。昔周の成王初めて立ち、未だ襁緥を離れず、周公旦王を負ひて以て朝し、卒に天下を定む。成王病有りて甚だ殆きに及び、公旦自ら其の爪を揃りて以て河に沈め、曰く、『王未だ識有らず、是れ旦事を執る。罪殃有らば、旦其の不祥を受けん』と。乃ち書して之を記府に蔵す。信と謂ふべし。王の能く国を治むるに及び、賊臣有りて言ふ、『周公旦乱を為さんと欲すること久し。王若し備へずんば、必ず大事有らん』と。王乃ち大いに怒り、周公旦走りて楚に奔る。成王記府を観て、周公旦の沈書を得、乃ち流涕して曰く、『孰か周公旦の乱を為さんと欲すと謂ふや』と。之を言ふ者を殺して周公旦を反す。故に周書に曰く『必ず参にして之を伍にせよ』と。今恬の宗、世々二心無し。而して事卒に此の如し。是れ必ず孽臣の逆乱、内陵の道なり。夫れ成王は失ひて復た振るひ、則ち卒に昌ゆ。桀は関竜逢を殺し、紂は王子比干を殺して悔いず、身死して則ち国亡ぶ。臣故に曰く、過ちは振ふべく諫めは覚るべしと。参伍を察するは、上聖の法なり。凡そ臣の言は、以て咎を免れんことを求むるに非ず、将に以て諫めて死せんとす。願はくは陛下万民の為に道に従ふを思へ」と。
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史記 刺客列伝居ること頃之、豫譲又身に漆して厲と為り、炭を呑みて唖と為り、形状をして知るべからざらしめ、市に行乞す。其の妻識らざるなり。行きて其の友に見ゆ。其の友之を識りて曰く、「汝は豫譲に非ずや」と。曰く、「我是なり」と。其の友為に泣きて曰く、「子の才を以て、質を委ねて臣として襄子に事へば、襄子必ず子を近幸せん。子を近幸せば、乃ち欲する所を為すこと、顧って易からずや。何ぞ乃ち身を残し形を苦しめ、以て襄子に報ぜんことを求めんと欲する。亦難からずや」と。豫譲曰く、「既已に質を委ねて臣として人に事へ、而して之を殺さんことを求むるは、是れ二心を懐きて以て其の君に事ふるなり。且つ吾が為す所の者は極めて難きのみ。然れども此を為す所以の者は、将に以て天下後世の人臣と為りて二心を懐きて以て其の君に事ふる者を愧ぢしめんとするなり」と。既に去り、頃之、襄子当に出づべし。豫譲、当に過ぐべき所の橋の下に伏す。襄子橋に至り、馬驚く。襄子曰く、「此れ必ず是れ豫譲ならん」と。人をして之を問はしむれば、果して豫譲なり。是に於て襄子乃ち豫譲を数めて曰く、「子は嘗て范・中行氏に事へずや。智伯尽く之を滅ぼす。而るに子は為に讎を報ぜず、而して反って質を委ねて智伯に臣たり。智伯も亦已に死せり。而るに子独り何を以て之が為に讎を報ずることの深きや」と。豫譲曰く、「臣、范・中行氏に事ふ。范・中行氏は皆衆人もて我を遇す。我故に衆人もて之に報ず。智伯に至りては、国士もて我を遇す。我故に国士もて之に報ず」と。襄子喟然として嘆息して泣きて曰く、「嗟乎豫子。子の智伯の為にする、名既に成れり。而して寡人の子を赦す、亦已に足れり。子其れ自ら計を為せ。寡人復た子を釈さず」と。兵をして之を囲ましむ。豫譲曰く、「臣聞く、明主は人の美を掩はず、而して忠臣は名に死するの義有りと。前に君已に寛く臣を赦し、天下君の賢を称せざる莫し。今日の事、臣固より誅に伏せん。然れども願はくは君の衣を請ひて之を撃ち、以て讎を報ずるの意を致さば、則ち死すと雖も恨みず。敢て望む所に非ざるなり。敢て腹心を布く」と。是に於て襄子大いに之を義とし、乃ち使をして衣を持ちて豫譲に与へしむ。豫譲剣を抜きて三たび躍りて之を撃ち、
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葉隠・聞書第一敵を討ち取りたるよりは、主の為に死にたるが手柄なり。継信(つぐのぶ)が忠義に知られたり。
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