葉隠 / 聞書第一
楠木正成兵庫記の中に、「降參と云ふことは、謀にても君のためにても、武士のせることなり。」とあり。忠臣は斯くの如くあるべきこととなり。
新字:楠木正成兵庫記の中に、「降参と云ふことは、謀にても君のためにても、武士のせることなり。」とあり。忠臣は斯くの如くあるべきこととなり。
書き下し
楠木正成(くすのきまさしげ)兵庫記(ひょうごき)の中に、「降参(こうさん)と云ふことは、謀(はかりごと)にても君のためにても、武士のせることなり。」とあり。忠臣は斯(か)くの如(ごと)くあるべきこととなり。
現代語訳
楠木正成の兵庫記の中に、「降参ということは、たとえ計略であっても、また主君のためであっても、武士のしてはならぬことだ」とある。忠臣とは、このようにあるべきものだ、というのである。
解説
南朝の忠臣として名高い楠木正成の言葉を引いた一節です。降参は、たとえそれが敵をあざむく計略のためでも、主君のためを装ったものであっても、武士のとる道ではないと断じます。名将は状況次第で退くこともあるという常識に対し、忠義を貫く者は投降という選択そのものを持たない、という覚悟を示しています。『葉隠』は死を覚悟して主に仕える一貫した忠を重んじました。現代にそのまま当てはめる言葉ではありませんが、「都合よく妥協しない一線を自分の内に持つ」という覚悟の話として読むと、筋を通す生き方のヒントになるでしょう。
この章句が説くこと
忠義降参せぬ覚悟一貫性筋を通す楠木正成武士の一線
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