葉隠 / 聞書第一
敵を討取りたるよりは、主の爲に死にたるが手柄なり。繼信が忠義に知られたり。
新字:敵を討取りたるよりは、主の為に死にたるが手柄なり。継信が忠義に知られたり。
書き下し
敵を討ち取りたるよりは、主の為に死にたるが手柄なり。継信(つぐのぶ)が忠義に知られたり。
現代語訳
敵を討ち取ったことよりも、主君のために死んだことこそが手柄である。源義経の楯となって射られた佐藤継信の忠義が、そのことを何より物語っている。
解説
「手柄」を、敵を倒した数ではなく主君のために身を投げ出したことに置く一節です。屋島の戦いで源義経の楯となって討たれた佐藤継信の忠義が、その象徴として引かれます。葉隠は結果としての武功よりも、そこに込めた心のあり方を重んじました。派手な成果は目立ちますが、真に評価されるのは自分を捨てて務めを果たす姿勢だ、という価値観です。現代の仕事でも、目に見える実績の陰で、組織や仲間のために黙って責任を引き受ける働きこそが信頼を生む場面は多いでしょう。数字に表れない献身をどう見るか、を問いかけてくる言葉です。
この章句が説くこと
忠義献身手柄の本質自己犠牲主君への奉公結果より心
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