葉隠 / 聞書第一
敵を討取りたるよりは、主の爲に死にたるが手柄なり。繼信が忠義に知られたり。
新字:敵を討取りたるよりは、主の為に死にたるが手柄なり。継信が忠義に知られたり。
書き下し
敵を討ち取りたるよりは、主の為に死にたるが手柄なり。継信(つぐのぶ)が忠義に知られたり。
現代語訳
敵を討ち取ったことよりも、主君のために死んだことこそが手柄である。源義経の楯となって射られた佐藤継信の忠義が、そのことを何より物語っている。
解説
「手柄」を、敵を倒した数ではなく主君のために身を投げ出したことに置く一節です。屋島の戦いで源義経の楯となって討たれた佐藤継信の忠義が、その象徴として引かれます。葉隠は結果としての武功よりも、そこに込めた心のあり方を重んじました。派手な成果は目立ちますが、真に評価されるのは自分を捨てて務めを果たす姿勢だ、という価値観です。現代の仕事でも、目に見える実績の陰で、組織や仲間のために黙って責任を引き受ける働きこそが信頼を生む場面は多いでしょう。数字に表れない献身をどう見るか、を問いかけてくる言葉です。
この章句が説くこと
忠義献身手柄の本質自己犠牲主君への奉公結果より心
関連する章句
-
『武士道』第十四章 婦人の教育と地位・己を空しうするの徳自から己れを空しうするの徳たる、蓋し此徳を欠かば、人生の謎語は打解すべからず。即ち女子に在つては奉家、男子に在りては忠義の主律なりき。婦女の良人に於けるは、良人の君主に於けると等しく、奴隷たる者に非らず、婦人の任務は内助の功を成すに在りき。妻は己を空しうして夫に事へ、夫は己れを空しうして君に仕へ、君は更に之を以て天に服し、奉仕各(々)其序階あり。予は此教訓の欠陥を認め、而して基督教は特に此点に秀でて、人皆直ちに造物主に対して責任あるものなりとするを知る。然りと雖、己れを犠牲として優者長者に服従する奉仕の教たる、此の教は即ち基督の教戒の最も偉なるものにして、又た神聖なる基督の使命の本義なり。是れに由つて観れば、武士道も亦た永遠不壊の真理を基礎とすと謂ひつべし。
-
『春秋左氏伝』成公二年 丑父を赦す郤子曰く、「人死を以て其の君を免るることを難しとせず。我之を戮するは不祥なり。之を赦して以て君に事ふる者を勸めん」と。乃ち之を免す。齊侯免れ、丑父を求めて、三たび入り三たび出づ。出づる每に齊の師以て帥ゐて退く。狄の卒に入る、狄の卒皆戈楯を抽きて之を冒ひ、以て衛の師に入る、衛の師之を免す。遂に徐關より入る。齊侯保者を見て曰く、「之を勉めよ、齊の師敗れたり」と。女子を辟けしむ。女子曰く、「君免れたるか」と。曰く、「免れたり」と。曰く、「銳司徒免れたるか」と。曰く、「免れたり」と。曰く、「苟くも君と吾が父と免れたらば、若何すべき」と。乃ち奔る。齊侯以て禮有りと為す。既にして之を問へば、辟司徒の妻なり。之に石窌を予ふ。晉の師齊の師に從ひ、丘輿より入り、馬陘を擊つ。齊侯賓媚人をして、賂ふに紀の甗・玉磬と地とを以てせしめ、「不可ならば、則ち客の為す所を聽け」とす。賓媚人賂を致す。晉人可かずして、曰く、「必ず蕭同叔子を以て質と為し、而して齊の封內をして、盡く其の畝を東にせしめよ」と。對へて曰く、
-
史記 刺客列伝居ること頃之、豫譲又身に漆して厲と為り、炭を呑みて唖と為り、形状をして知るべからざらしめ、市に行乞す。其の妻識らざるなり。行きて其の友に見ゆ。其の友之を識りて曰く、「汝は豫譲に非ずや」と。曰く、「我是なり」と。其の友為に泣きて曰く、「子の才を以て、質を委ねて臣として襄子に事へば、襄子必ず子を近幸せん。子を近幸せば、乃ち欲する所を為すこと、顧って易からずや。何ぞ乃ち身を残し形を苦しめ、以て襄子に報ぜんことを求めんと欲する。亦難からずや」と。豫譲曰く、「既已に質を委ねて臣として人に事へ、而して之を殺さんことを求むるは、是れ二心を懐きて以て其の君に事ふるなり。且つ吾が為す所の者は極めて難きのみ。然れども此を為す所以の者は、将に以て天下後世の人臣と為りて二心を懐きて以て其の君に事ふる者を愧ぢしめんとするなり」と。既に去り、頃之、襄子当に出づべし。豫譲、当に過ぐべき所の橋の下に伏す。襄子橋に至り、馬驚く。襄子曰く、「此れ必ず是れ豫譲ならん」と。人をして之を問はしむれば、果して豫譲なり。是に於て襄子乃ち豫譲を数めて曰く、「子は嘗て范・中行氏に事へずや。智伯尽く之を滅ぼす。而るに子は為に讎を報ぜず、而して反って質を委ねて智伯に臣たり。智伯も亦已に死せり。而るに子独り何を以て之が為に讎を報ずることの深きや」と。豫譲曰く、「臣、范・中行氏に事ふ。范・中行氏は皆衆人もて我を遇す。我故に衆人もて之に報ず。智伯に至りては、国士もて我を遇す。我故に国士もて之に報ず」と。襄子喟然として嘆息して泣きて曰く、「嗟乎豫子。子の智伯の為にする、名既に成れり。而して寡人の子を赦す、亦已に足れり。子其れ自ら計を為せ。寡人復た子を釈さず」と。兵をして之を囲ましむ。豫譲曰く、「臣聞く、明主は人の美を掩はず、而して忠臣は名に死するの義有りと。前に君已に寛く臣を赦し、天下君の賢を称せざる莫し。今日の事、臣固より誅に伏せん。然れども願はくは君の衣を請ひて之を撃ち、以て讎を報ずるの意を致さば、則ち死すと雖も恨みず。敢て望む所に非ざるなり。敢て腹心を布く」と。是に於て襄子大いに之を義とし、乃ち使をして衣を持ちて豫譲に与へしむ。豫譲剣を抜きて三たび躍りて之を撃ち、
-
史記 斉悼恵王世家路中大夫既に之を許し、城下に至り、斉王を望見して、曰く、「漢已に兵百万を発し、太尉周亜夫をして呉楚を撃破せしめ、方に兵を引きて斉を救はんとす、斉必ず堅守して下ること無かれ」と。三国の将路中大夫を誅す。斉初め囲まれて急なり、陰かに三国と通謀し、約未だ定まらず、会々路中大夫の漢より来たるを聞き、喜び、其の大臣に及びて乃ち復た王に三国に下ること毋からんことを勧む。居ること何くも無く、漢の将欒布・平陽侯等の兵斉に至り、三国の兵を撃破し、斉の囲みを解く。已にして復た斉の初め三国と謀有るを聞き、将に兵を移して斉を伐たんとす。斉の孝王懼れ、乃ち薬を飲みて自殺す。景帝之を聞き、以為へらく斉は首め善なり、迫劫を以て謀有り、其の罪に非ざるなりと、乃ち孝王の太子寿を立てて斉王と為す、是れを懿王と為す、斉の後を続がしむ。而して膠西・膠東・済南・菑川の王咸誅滅せられ、地漢に入る。済北王を徙して菑川に王とす。斉の懿王立ちて二十二年にして卒し、子次景立つ、是れを厲王と為す。斉の厲王、其の母を紀太后と曰ふ。太后其の弟紀氏の女を取りて厲王の后と為す。王紀氏の女を愛せず。太后其の家の重寵ならんことを欲し、其の長女紀翁主をして王宮に入り、其の後宮を正さしめ、王に近づくを得しむる毋からしめ、紀氏の女を愛せしめんと欲す。王因りて其の姊翁主と姦す。斉に宦者徐甲有り、入りて漢の皇太后に事ふ。皇太后に愛女有り修成君と曰ふ、修成君は劉氏に非ず、太后之を憐れむ。修成君に女有り名は娥、太后之を諸侯に嫁せんと欲す、宦者甲乃ち斉に使ひせんことを請ひ、必ず王をして上書して娥を請はしめんとす。皇太后喜び、甲をして斉に之かしむ。是の時斉人主父偃甲の斉に使ひして以て后を取るの事を知り、亦た因りて甲に謂ふ、「即し事成らば、幸はくは偃の女後宮に充たるを得んことを願ふと言へ」と。甲既に斉に至り、風するに此の事を以てす。紀太后大いに怒りて曰く、「王に后有り、後宮具備す。
-
『春秋左氏伝』昭公二十年 宗魯、死を公孟に帰す衛の公孟縶齊豹を狎(かろ)んじ、之が司寇と鄄とを奪ふ。役有れば則ち之を反し、無ければ則ち之を取る。公孟北宮喜・褚師圃を惡み、之を去らんと欲す。公子朝襄夫人宣姜に通じ、懼れて以て亂を作さんと欲す。故に齊豹・北宮喜・褚師圃・公子朝、亂を作す。初め、齊豹宗魯を公孟に見えしめ、驂乘と為す。將に亂を作さんとして、之に謂ひて曰く、「公孟の不善なるは、子の知る所なり。與に乘ること勿かれ。吾將に之を殺さんとす」と。對へて曰く、「吾子に由りて公孟に事ふ。子吾に名を假す。故に吾を遠ざけず。其の不善なりと雖も、吾も亦た之を知る。抑も利の故を以て、去る能はず。是れ吾が過ちなり。今難を聞きて逃るるは、是れ子を僭(いつは)るなり。子事を行へ。吾將に之に死し、以て子に事ふることを周くし、而して死を公孟に歸さん。其れ可ならん」と。丙辰、衛侯平壽に在り。公孟蓋獲の門の外に事有り。齊子氏門の外に帷して、甲を伏す。
-
『酔古堂剣掃』集奇・讀みて淚を墮さざる者諸葛武侯の『出師表』を讀みて淚を墮さざる者は、其の人必ず忠ならず。韓退之の『祭十二郎文』を讀みて淚を墮さざる者は、其の人必ず友ならず。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る