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春秋左氏伝 / 文公十二年 河曲の戦い

冬,秦伯伐晉,取羈馬,晉人禦之,趙盾將中軍,荀林父佐之,郤缺將上軍,臾駢佐之,欒盾將下軍,胥甲佐之,范無恤御戎,以從秦師于河曲,臾駢曰,秦不能久,請深壘固軍以待之,從之,秦人欲戰,秦伯謂士會曰,若何而戰,對曰,趙氏新出其屬曰臾駢,必實為此謀,將以老我師也,趙有側室曰穿,晉君之婿也,有寵而弱,不在軍事,好勇而狂,且惡臾駢之佐上軍也,若使輕者肆焉,其可,秦伯以璧祈戰于河,十二月,戊午,秦軍掩晉上軍,趙穿追之不及,反,怒曰,裹糧坐甲,固敵是求,敵至不擊,將何俟焉,軍吏曰,將有待也,穿曰我不知謀,將獨出,乃以其屬出,宣子曰,秦獲穿也,獲一卿矣,秦以勝歸,我何以報,乃皆出戰,交綏,秦行人夜戒晉師曰,兩君之士,皆未憖也,明日請相見也,臾駢曰,使者目動而言肆,懼我也,將遁矣,薄諸河,必敗之,胥甲,趙穿,當軍門呼曰,死傷未收而棄之,不惠也,不待期而薄人於險,無勇也,乃止,秦師夜遁,復侵晉,入瑕,城諸及鄆,書時也,

新字:冬,秦伯伐晋,取羈馬,晋人禦之,趙盾将中軍,荀林父佐之,郤欠将上軍,臾駢佐之,欒盾将下軍,胥甲佐之,范無恤御戎,以従秦師于河曲,臾駢曰,秦不能久,請深塁固軍以待之,従之,秦人欲戦,秦伯謂士会曰,若何而戦,対曰,趙氏新出其属曰臾駢,必実為此謀,将以老我師也,趙有側室曰穿,晋君之婿也,有寵而弱,不在軍事,好勇而狂,且悪臾駢之佐上軍也,若使軽者肆焉,其可,秦伯以璧祈戦于河,十二月,戊午,秦軍掩晋上軍,趙穿追之不及,反,怒曰,裹糧坐甲,固敵是求,敵至不撃,将何俟焉,軍吏曰,将有待也,穿曰我不知謀,将独出,乃以其属出,宣子曰,秦獲穿也,獲一卿矣,秦以勝帰,我何以報,乃皆出戦,交綏,秦行人夜戒晋師曰,両君之士,皆未憖也,明日請相見也,臾駢曰,使者目動而言肆,懼我也,将遁矣,薄諸河,必敗之,胥甲,趙穿,当軍門呼曰,死傷未収而棄之,不恵也,不待期而薄人於険,無勇也,乃止,秦師夜遁,復侵晋,入瑕,城諸及鄆,書時也,

書き下し

冬、秦伯晉を伐ち、羈馬を取る。晉人之を禦ぐ。趙盾中軍に將たり、荀林父之に佐たり。郤缺上軍に將たり、臾駢之に佐たり。欒盾下軍に將たり、胥甲之に佐たり。范無恤戎に御し、以って秦の師に河曲に從ふ。臾駢曰く、「秦久しくする能はず、請ふ壘を深くし軍を固くして以って之を待たん」と。之に從ふ。秦人戰はんと欲す。秦伯士會に謂ひて曰く、「若何にして戰はん」と。對へて曰く、「趙氏新たに其の屬を出だす、臾駢と曰ふ。必ず實に此の謀を為す、將に以って我が師を老らせんとするなり。趙に側室有り穿と曰ふ、晉君の婿なり。寵有りて弱く、軍事に在らず。勇を好みて狂なり、且つ臾駢の上軍に佐たるを惡む。若し輕き者をして肆(おか)さしめば、其れ可ならん」と。秦伯璧を以って戰を河に祈る。十二月、戊午、秦の軍晉の上軍を掩ふ。趙穿之を追ひて及ばず。反りて、怒りて曰く、「糧を裹み甲を坐し、固より敵を是れ求む。敵至りて擊たずんば、將た何をか俟たん」と。軍吏曰く、「將に待つ有らんとす」と。穿曰く、「我謀を知らず、將に獨り出でんとす」と。乃ち其の屬を以って出づ。宣子曰く、「秦穿を獲ば、一卿を獲るなり。秦勝ちを以って歸らば、我何を以ってか報いん」と。乃ち皆出でて戰ひ、交々綏(しりぞ)く。秦の行人夜晉の師に戒めて曰く、「兩君の士、皆未だ憖(か)けず。明日請ふ相見えん」と。臾駢曰く、「使者目動きて言肆なり、我を懼るるなり、將に遁れんとす。諸を河に薄らば、必ず之を敗らん」と。胥甲・趙穿、軍門に當たりて呼びて曰く、「死傷未だ收めずして之を棄つるは、不惠なり。期を待たずして人を險に薄るは、無勇なり」と。乃ち止む。秦の師夜遁る。復た晉を侵し、瑕に入る。諸及び鄆に城く、時を書するなり。

現代語訳

冬、秦伯(康公)は晋を攻め、羈馬を取った。晋はこれを防いだ。趙盾が中軍の将、荀林父がその佐、郤缺が上軍の将、臾駢がその佐、欒盾が下軍の将、胥甲がその佐となり、范無恤が君主の戦車の御者となって、秦の軍を河曲まで追った。臾駢が言った。「秦は長く持ちこたえられません。どうか塁を深くし陣を固めて、待ち受けましょう」。趙盾はこれに従った。秦は戦いたがった。秦伯は、晋から亡命していた士会に言った。「どうすれば戦いに持ち込めるか」。士会は答えた。「趙氏が新たに登用した部下に臾駢という者がおります。この策は必ずその者が立てたもので、我が軍を疲れさせようとしているのです。趙氏には傍系に穿(趙穿)という者がおり、晋君の娘婿です。寵愛を受けていますが未熟で、軍事に通じていません。勇を好んで無鉄砲なうえに、臾駢が上軍の佐となったことを憎んでいます。もし身軽な部隊で挑発させれば、うまくいくでしょう」。秦伯は璧を黄河に沈めて戦勝を祈った。十二月戊午、秦の軍が晋の上軍を急襲した。趙穿はこれを追ったが追いつけなかった。戻ってくると怒って言った。「兵糧を包み、鎧を着て待機していたのは、もとより敵と戦うためだ。敵が来たのに撃たずに、いったい何を待つというのか」。軍吏が言った。「待つべき時機があるのです」。趙穿は言った。「私は策略など知らぬ。一人でも出撃する」。そして自分の手勢を率いて出撃した。宣子(趙盾)は言った。「秦が穿を捕らえれば、晋の卿を一人捕らえたことになる。秦が勝って帰ったら、我々は何をもって報いればよいのか」。そこで全軍が出撃して戦ったが、双方とも決着をつけずに退いた。秦の使者が夜、晋の軍に告げて言った。「両君の兵士たちは、まだ誰も損なわれておりません。明日、改めてお目にかかりましょう」。臾駢が言った。「使者は目が落ち着かず、言葉が上ずっている。我々を恐れているのだ。逃げるつもりだろう。黄河のほとりに追い詰めれば、必ず破れる」。ところが胥甲と趙穿が軍門に立ちはだかって叫んだ。「死傷者をまだ収容していないのに見捨てるのは、情け知らずだ。約束の期日を待たずに相手を難所に追い詰めるのは、勇気のないことだ」。そこで追撃は取りやめになった。秦の軍は夜のうちに逃げ去った。その後また晋を侵し、瑕に入った。魯は諸と鄆に城を築いた。『春秋』がそれを記したのは、農閑期という時節にかなっていたからである。

解説

令狐の敗戦に報いようと、秦が晋に攻め込んだ河曲の戦いである。晋の臾駢は、遠征軍の秦は長く持たないと見て、守りを固めて待つ策を立てた。正しい判断だったが、秦には晋から亡命した士会がいた。士会はこの策の出どころを臾駢と見抜き、さらに趙盾の一族の趙穿が、新参の臾駢の抜擢を妬んでいることまで知っていた。身軽な部隊で挑発すれば、趙穿が乗ってくる。果たして趙穿は「我謀を知らず」と独断で出撃し、趙盾は身内の卿を見殺しにできず全軍を出す羽目になった。臾駢はなお、秦の使者の「目動きて言肆なり」という様子から撤退の意図を読み取り、追撃を進言する。だがこれも趙穿と胥甲に阻まれ、秦軍は夜のうちに去った。策の正しさより、内部の嫉妬が戦の帰趨を決めたのである。しかも敵はその嫉妬を、元の同僚である士会を通じて正確に知っていた。組織の内側の不和は、外からもよく見えている。

この章句が説くこと

嫉妬戦略内部の不和観察持久戦統率

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