春秋左氏伝 / 文公十年 官に当たりて行う
冬,遂及蔡侯,次于厥貉,將以伐宋,宋華御事曰,楚欲弱我也,先為之弱乎,何必使誘我,我實不能,民何罪,乃逆楚子,勞且聽命,遂,道以田孟諸,宋公為右盂,鄭伯為左盂,期思公復遂,為右司馬,子朱及文之無畏,為左司馬,命夙駕載燧,宋公違命,無畏抶其僕以徇,或謂子舟曰,國君不可戮也,子舟曰,當官而行,何彊之有,詩曰,剛亦不吐,柔亦不茹,毋縱詭隨,以謹罔極,是亦非辟彊也,敢愛死以亂官乎,厥貉之會,麇子逃歸,
新字:冬,遂及蔡侯,次于厥貉,将以伐宋,宋華御事曰,楚欲弱我也,先為之弱乎,何必使誘我,我実不能,民何罪,乃逆楚子,労且聴命,遂,道以田孟諸,宋公為右盂,鄭伯為左盂,期思公復遂,為右司馬,子朱及文之無畏,為左司馬,命夙駕載燧,宋公違命,無畏抶其僕以徇,或謂子舟曰,国君不可戮也,子舟曰,当官而行,何彊之有,詩曰,剛亦不吐,柔亦不茹,毋縦詭随,以謹罔極,是亦非辟彊也,敢愛死以乱官乎,厥貉之会,麇子逃帰,
書き下し
冬、遂に蔡侯と、厥貉に次し、將に以って宋を伐たんとす。宋の華御事曰く、「楚我を弱めんと欲するなり。先づ之が為に弱からんか。何ぞ必ずしも我を誘はしめん。我實に能はず、民何の罪かある」と。乃ち楚子を逆へ、勞ひ且つ命を聽く。遂に、道びきて以って孟諸に田す。宋公右盂と為り、鄭伯左盂と為る。期思公復遂、右司馬と為り、子朱及び文之無畏、左司馬と為る。命じて夙に駕して燧を載せしむ。宋公命に違ふ、無畏其の僕を抶(う)ちて以って徇ふ。或ひと子舟に謂ひて曰く、「國君は戮す可からざるなり」と。子舟曰く、「官に當たりて行ふ、何の彊きことか之れ有らん。詩に曰く、『剛も亦た吐かず、柔も亦た茹(くら)はず』、『詭隨を縱すこと毋く、以って罔極を謹め』と。是れ亦た彊きを辟くるに非ざるなり。敢へて死を愛みて以って官を亂らんや」と。厥貉の會に、麇子逃げ歸る。
現代語訳
冬、楚子(穆王)はそのまま蔡侯とともに厥貉に駐屯し、宋を攻めようとした。宋の華御事が言った。「楚は我々を弱めようとしているのだ。こちらから先に弱い立場を示してはどうか。どうしてわざわざ相手に我々を誘い出させる必要があろう。我々には実際に抵抗する力がない。民に何の罪があろうか」。そこで楚子を出迎え、ねぎらったうえで命令に従った。そして楚子を案内して孟諸の沢で狩りをさせた。宋公(昭公)は右の陣(右盂)の長、鄭伯は左の陣(左盂)の長となった。期思公の復遂が右司馬となり、子朱と文之無畏(子舟)が左司馬となった。早朝に車を出し、火打ち道具を積んでおくよう命令が出された。宋公がこの命令に違反したので、無畏は宋公の御者を鞭打って陣中に見せしめとした。ある人が子舟(文之無畏)に言った。「国君を辱めてはならない」。子舟は言った。「官職にあってその職務を行うのに、相手が強いかどうかなど何の関わりがあろう。『詩経』に『剛(かた)いものも吐き出さず、柔らかいものも呑み込まない』とあり、また『人の意に迎合して悪をなす者をほしいままにさせず、際限のない悪を慎ませよ』とある。これもまた、強い者だからといって避けはしないということだ。どうして命を惜しんで職務を乱すことができようか」。厥貉の会のとき、麇子(麇の君)は逃げ帰った。
解説
この章句が説くこと
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