導師導古典を学びたいすべての人に

春秋左氏伝 / 僖公二十八年 城濮の戦い

晉車七百乘,韅、靷、鞅、靽。晉侯登有莘之虛以觀師,曰:「少長有禮,其可用也!」遂伐其木以益其兵。己巳,晉師陳于莘北,胥臣以下軍之佐當陳、蔡。子玉以若敖之六卒將中軍。曰:「今日必無晉矣!」子西將左,子上將右。胥臣蒙馬以虎皮,先犯陳、蔡。陳、蔡奔,楚右師潰。狐毛設二旆而退之。欒枝使輿曳柴而偽遁,楚師馳之。原軫、郤溱以中軍公族橫擊之。狐毛、狐偃以上軍夾攻子西,楚左師潰。楚師敗績。子玉收其卒而止,故不敗。晉師三日館穀,及癸酉而還。甲午,至于衡雍,作王宮于踐土。鄉役之三月,鄭伯如楚致其師。為楚師既敗而懼,使子人九行成于晉,晉欒枝入盟鄭伯。五月,丙午,晉侯及鄭伯盟于衡雍。丁未,獻楚俘于王,駟介百乘,徒兵千。鄭伯傅王,用平禮也。

新字:晋車七百乗,韅、靷、鞅、靽。晋侯登有莘之虚以観師,曰:「少長有礼,其可用也!」遂伐其木以益其兵。己巳,晋師陳于莘北,胥臣以下軍之佐当陳、蔡。子玉以若敖之六卒将中軍。曰:「今日必無晋矣!」子西将左,子上将右。胥臣蒙馬以虎皮,先犯陳、蔡。陳、蔡奔,楚右師潰。狐毛設二旆而退之。欒枝使輿曳柴而偽遁,楚師馳之。原軫、郤溱以中軍公族横撃之。狐毛、狐偃以上軍夾攻子西,楚左師潰。楚師敗績。子玉収其卒而止,故不敗。晋師三日館穀,及癸酉而還。甲午,至于衡雍,作王宮于践土。郷役之三月,鄭伯如楚致其師。為楚師既敗而懼,使子人九行成于晋,晋欒枝入盟鄭伯。五月,丙午,晋侯及鄭伯盟于衡雍。丁未,献楚俘于王,駟介百乗,徒兵千。鄭伯傅王,用平礼也。

書き下し

晉の車七百乘、韅・靷・鞅・靽あり。晉侯有莘の虛に登りて以て師を觀て、曰く、「少長禮有り、其れ用ゐるべし」と。遂に其の木を伐りて以て其の兵を益す。己巳、晉の師莘北に陳し、胥臣下軍の佐を以て陳・蔡に當たる。子玉若敖の六卒を以て中軍に將たり。曰く、「今日必ず晉無からん」と。子西左に將たり、子上右に將たり。胥臣馬を蒙ふに虎皮を以てし、先づ陳・蔡を犯す。陳・蔡奔り、楚の右師潰ゆ。狐毛二旆を設けて之を退く。欒枝輿をして柴を曳きて偽り遁れしむ、楚の師之を馳す。原軫・郤溱中軍の公族を以て之を橫擊す。狐毛・狐偃上軍を以て子西を夾攻し、楚の左師潰ゆ。楚の師敗績す。子玉其の卒を收めて止まる、故に敗れず。晉の師三日館穀し、癸酉に及びて還る。甲午、衡雍に至り、王宮を踐土に作る。鄉役の三月、鄭伯楚に如きて其の師を致す。楚の師既に敗るるが為に懼れ、子人九をして成を晉に行はしむ。晉の欒枝入りて鄭伯と盟ふ。五月、丙午、晉侯鄭伯と衡雍に盟ふ。丁未、楚の俘を王に獻ず、駟介百乘、徒兵千。鄭伯王に傅く、平禮を用ゐるなり。

現代語訳

晋の兵車は七百乗で、馬の背帯・胸帯・腹帯・尻帯まで完全に整っていた。晋侯(文公)は有莘の古城跡に登って軍を見渡し、言った。「若い者も年長の者も礼をわきまえている。戦に用いることができる」。そこでその地の木を伐って武器を補った。己巳の日、晋軍は莘の北に陣を敷いた。胥臣が下軍の副将として陳と蔡の軍に当たった。子玉は若敖氏の私兵六卒を率いて中軍の将となり、「今日こそ必ず晋を滅ぼしてやる」と言った。子西(闘宜申)が左軍を、子上(闘勃)が右軍を率いた。胥臣は馬に虎の皮をかぶせ、真っ先に陳と蔡の軍に攻めかかった。陳と蔡の軍は逃げ出し、楚の右軍は崩れた。狐毛は大将旗を二本立てて退却し、上軍全体が退くように見せかけた。欒枝は兵車に柴を引きずらせて土煙を上げ、逃げるふりをさせた。楚軍はそれを追って馳せた。原軫(先軫)と郤溱は、中軍の公族の精鋭を率いて楚軍を横から突いた。狐毛と狐偃は上軍を率いて子西の軍を挟み撃ちにし、楚の左軍も崩れた。楚軍は大敗した。子玉は自分の手勢をまとめて踏みとどまったので、中軍だけは敗れなかった。晋軍は三日間、楚軍の陣営に宿営して、その糧食を食べ、癸酉の日になって引き揚げた。甲午の日、衡雍に着き、践土に周王のための行宮を建てた。この戦いの三か月前、鄭伯(文公)は楚に行って自国の軍を楚に差し出していた。楚軍が敗れたことで恐れ、子人九(しじんきゅう)を遣わして晋に和睦を申し入れた。晋の欒枝が鄭に入って鄭伯と盟約した。五月丙午の日、晋侯は鄭伯と衡雍で盟約した。丁未の日、晋侯は楚の捕虜を周王に献上した。甲冑をつけた四頭立ての兵車百乗と、歩兵千人であった。鄭伯は王の介添え役を務めた。周の平王のときの儀礼に倣ったのである。

解説

春秋時代前半の最大の会戦、城濮の戦いである。文公は開戦前に、兵の「少長禮有り」、つまり長幼の序を守っていることを見て、戦える軍だと判断する。装備の数ではなく、秩序と規律を見て戦力を測っている。子玉は「今日必ず晉無からん」と豪語して中軍を率いる。晋の戦術は、弱い所を突いて崩し、偽りの退却で誘い込み、横と挟みで打つというものであった。胥臣は虎の皮をかぶせた馬で陳・蔡の軍を崩し、狐毛は旗を後ろに下げ、欒枝は柴を引きずって土煙を立て、逃げると見せかける。追ってきた楚軍を、先軫の中軍が横から突いた。楚の左右両翼は崩れ、子玉の中軍だけが残った。戦後、文公は践土に王の行宮を建て、捕虜を周王に献上する。勝利を覇者としての名分に変える手順である。前年の蒍賈の予言どおり、剛情な子玉は敗れた。勝敗を分けたのは兵力よりも、事前の準備と組織の規律、各将の連携であった。数年がかりの準備が一日の戦いに集約されている。

この章句が説くこと

規律戦術連携準備覇業慢心

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る