春秋左氏伝 / 僖公二十八年 城濮の前夜
夏,四月,戊辰,晉侯、宋公、齊國歸父、崔夭、秦小子憖次于城濮。楚師背酅而舍,晉侯患之,聽輿人之誦,曰:「原田每每,舍其舊而新是謀。」公疑焉。子犯曰:「戰也!戰而捷,必得諸侯。若其不捷,表裡山河,必無害也。」公曰:「若楚惠何?」欒貞子曰:「漢陽諸姬,楚實盡之。思小惠而忘大恥,不如戰也。」晉侯夢與楚子搏,楚子伏己而盬其腦,是以懼。子犯曰:「吉!我得天,楚伏其罪,吾且柔之矣。」子玉使鬬勃請戰,曰:「請與君之士戲,君馮軾而觀之,得臣與寓目焉。」晉侯使欒枝對曰:「寡君聞命矣。楚君之惠,未之敢忘,是以在此。為大夫退,其敢當君乎?既不獲命矣,敢煩大夫謂二三子:『戒爾車乘,敬爾君事,詰朝將見。』」
新字:夏,四月,戊辰,晋侯、宋公、斉国帰父、崔夭、秦小子憖次于城濮。楚師背酅而舎,晋侯患之,聴輿人之誦,曰:「原田毎毎,舎其旧而新是謀。」公疑焉。子犯曰:「戦也!戦而捷,必得諸侯。若其不捷,表裡山河,必無害也。」公曰:「若楚恵何?」欒貞子曰:「漢陽諸姫,楚実尽之。思小恵而忘大恥,不如戦也。」晋侯夢与楚子搏,楚子伏己而盬其脳,是以懼。子犯曰:「吉!我得天,楚伏其罪,吾且柔之矣。」子玉使闘勃請戦,曰:「請与君之士戯,君馮軾而観之,得臣与寓目焉。」晋侯使欒枝対曰:「寡君聞命矣。楚君之恵,未之敢忘,是以在此。為大夫退,其敢当君乎?既不獲命矣,敢煩大夫謂二三子:『戒爾車乗,敬爾君事,詰朝将見。』」
書き下し
夏、四月、戊辰、晉侯・宋公・齊の國歸父・崔夭・秦の小子憖城濮に次る。楚の師酅を背にして舍る、晉侯之を患ふ。輿人の誦を聽く、曰く、「原田每每たり、其の舊を舍てて新たなるを是れ謀る」と。公疑ふ。子犯曰く、「戰はん。戰ひて捷たば、必ず諸侯を得ん。若し其れ捷たずとも、表裡山河あり、必ず害無からん」と。公曰く、「楚の惠を若何せん」と。欒貞子曰く、「漢陽の諸姬、楚實に之を盡くせり。小惠を思ひて大恥を忘るるは、戰ふに如かず」と。晉侯夢に楚子と搏つ、楚子己に伏して其の腦を盬る、是を以て懼る。子犯曰く、「吉なり。我天を得、楚其の罪に伏す。吾且に之を柔らげん」と。子玉鬬勃をして戰ひを請はしめて、曰く、「請ふ君の士と戲れん。君軾に馮りて之を觀よ、得臣も與に目を寓せん」と。晉侯欒枝をして對へしめて曰く、「寡君命を聞けり。楚君の惠、未だ之を敢へて忘れず、是を以て此に在り。大夫の為に退く、其れ敢へて君に當たらんや。既に命を獲ず、敢へて大夫を煩はして二三子に謂はしめん、『爾の車乘を戒め、爾の君事を敬め、詰朝將に見えんとす』と」と。
現代語訳
夏四月戊辰の日、晋侯(文公)、宋公(成公)、斉の国帰父(こくきほ)と崔夭(さいよう)、秦の小子憖(しょうしぎん)が城濮に陣を敷いた。楚軍は酅(けい)の丘陵を背にして陣取った。晋侯はこれを気にかけた。兵卒たちの歌を聞くと、こう歌っていた。「原の田は青々と茂る。古い根を捨て、新しいものを植えよう」。文公はその意味を測りかねた。子犯(狐偃)が言った。「戦いましょう。戦って勝てば、必ず諸侯を得られます。もし勝てなくても、晋は外に黄河、内に山を控えた国ですから、決して害はありません」。文公は言った。「楚から受けた恩をどうすればよいのか」。欒貞子(欒枝)が言った。「漢水の北にあった姫姓の国々は、楚がことごとく滅ぼしました。小さな恩を思って大きな恥を忘れるより、戦うほうがましです」。晋侯は、楚子と組み打ちをし、楚子が自分の上にのしかかって自分の脳をすする夢を見て、恐れた。子犯が言った。「吉です。我々は仰向けになって天を得ており、楚は伏せて罪に服しています。しかも脳は柔らかいもので、我々が楚を柔らげるという意味です」。子玉は闘勃(とうぼつ)を遣わして戦いを申し入れ、言わせた。「君の兵士たちと一戦交えて遊びたい。君は車の横木にもたれてご覧ください。私も一緒に見物いたしましょう」。晋侯は欒枝に答えさせた。「わが君はご命令を承りました。楚君から受けた恩は、決して忘れておりません。だからこそここまで退いてきたのです。大夫(子玉)に対してさえ退いたのに、どうして楚君に立ち向かえましょうか。しかしお許しが得られない以上は、大夫にお手数をかけて、楚の将兵方にこうお伝え願いたい。『おまえたちの兵車を整え、君の務めをつつしんで果たせ。明朝お目にかかろう』と」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』僖公二十八年 城濮の戦い晉の車七百乘、韅・靷・鞅・靽あり。晉侯有莘の虛に登りて以て師を觀て、曰く、「少長禮有り、其れ用ゐるべし」と。遂に其の木を伐りて以て其の兵を益す。己巳、晉の師莘北に陳し、胥臣下軍の佐を以て陳・蔡に當たる。子玉若敖の六卒を以て中軍に將たり。曰く、「今日必ず晉無からん」と。子西左に將たり、子上右に將たり。胥臣馬を蒙ふに虎皮を以てし、先づ陳・蔡を犯す。陳・蔡奔り、楚の右師潰ゆ。狐毛二旆を設けて之を退く。欒枝輿をして柴を曳きて偽り遁れしむ、楚の師之を馳す。原軫・郤溱中軍の公族を以て之を橫擊す。狐毛・狐偃上軍を以て子西を夾攻し、楚の左師潰ゆ。楚の師敗績す。子玉其の卒を收めて止まる、故に敗れず。晉の師三日館穀し、癸酉に及びて還る。甲午、衡雍に至り、王宮を踐土に作る。鄉役の三月、鄭伯楚に如きて其の師を致す。楚の師既に敗るるが為に懼れ、子人九をして成を晉に行はしむ。晉の欒枝入りて鄭伯と盟ふ。五月、丙午、晉侯鄭伯と衡雍に盟ふ。丁未、楚の俘を王に獻ず、駟介百乘、徒兵千。鄭伯王に傅く、平禮を用ゐるなり。
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『春秋左氏伝』僖公二十八年 晋、曹・衛を伐つ二十八年春、晉侯將に曹を伐たんとし、道を衛に假る、衛人許さず。還りて河南より濟り、曹を侵し、衛を伐つ。正月、戊申、五鹿を取る。二月、晉の郤縠卒す。原軫中軍に將たり、胥臣下軍に佐たり、德を上ぶなり。晉侯・齊侯斂盂に盟ふ。衛侯盟はんことを請ふ、晉人許さず。衛侯楚に與せんと欲す、國人欲せず、故に其の君を出だして以て晉に說く。衛侯出でて襄牛に居る。公子買衛を戍る、楚人衛を救ひて、克たず。公晉を懼れ、子叢を殺して以て說き、楚人に謂ひて曰く、「戍を卒へざればなり」と。晉侯曹を圍み、門に攻む、多く死す。曹人諸を城上に尸す、晉侯之を患ふ。輿人の謀を聽く、曰く、「墓に舍ると稱せん」と。師焉に遷る。曹人兇懼し、其の得る所の者の為に棺して之を出だす。其の兇なるに因りて之を攻む。
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説苑・權謀城濮の戰、文公咎犯に謂ひて曰く、「吾戰を卜するに龜熸ゆ。我歲を迎へ、彼歲を背く。彗星見れ、彼其の柄を操り、我其の標を操る。吾又た荊王と搏つを夢む。彼上に在り、我下に在り。吾戰無からんと欲す。子以て何如と爲す」と。咎犯對へて曰く、「戰を卜すること十たびして龜熸ゆるは、是れ荊人なり。我歲を迎へ、彼歲を背くは、彼我を去りて之に從ふなり。彗星見れて、彼其の柄を操り、我其の標を操るは、以て掃へば則ち彼利あり、以て擊てば則ち我利あるなり。君荊王と搏つを夢み、彼上に在り君下に在るは、則ち君天を見て荊王其の罪に伏するなり。且つ吾宋・衛を以て主と爲し、齊・秦我を輔く。我天道に合し、獨り人事を以てするも固より將に之に勝たんとす」と。文公之に從ひ、荊人大いに敗る。
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『春秋左氏伝』僖公二十八年 子玉、瓊玉を惜しむ初め、楚の子玉自ら瓊弁(けいべん)玉纓を為(つく)り、未だ之を服せざるなり。戰ふに先だちて、夢に河神己に謂ひて曰く、「余に畀(あた)へよ。余女に孟諸の麋を賜はん」と。致さざるなり。大心と子西と榮黃をして諫めしむれども、聽かず。榮季曰く、「死して國を利するすら、猶ほ或いは之を為す。況んや瓊玉をや。是れ糞土なり。而して以って師を濟す可くんば、將た何ぞ愛しまん」と。聽かず。出でて二子に告げて曰く、「神令尹を敗るに非ず、令尹其れ民を勤めず、實に自ら敗るるなり」と。既に敗れ、王之に謂はしめて曰く、「大夫若し入らば、其れ申・息の老を若何せん」と。子西・孫伯曰く、「得臣將に死せんとす。二臣之を止めて曰く、『君其れ將に以って戮と為さんとす』と」。連穀に及びて死す。晉侯之を聞きて後に喜ぶこと知る可きなり。曰く、「余を毒する莫きのみ。蒍呂臣實に令尹と為らば、己を奉ずるのみ、民に在らざらん」と。或ひと元咺を衛侯に訴へて曰く、「叔武を立てたり」と。其の子角公に從ふ。公之を殺さしむ。咺命を廢せず、夷叔を奉じて以って入りて守る。
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『春秋左氏伝』僖公二十八年 三舎を退く子玉伯棼をして戰を請はしめて曰く、「敢へて必ずしも功有らんとするに非ず、願はくは以って讒慝の口を間執せん」と。王怒り、少しく之に師を與ふ。……晉師退く。軍吏曰く、「君を以って臣を辟くるは、辱なり。且つ楚師老いたり、何の故に退くか」と。子犯曰く、「師は直なれば壯と為し、曲なれば老と為す、豈に久しきに在らんや。楚の惠微かりせば此に及ばず、三舍を退きて之を辟くるは、報ゆる所以なり。惠に背き言を食み、以って其の讎に亢(あた)らば、我曲にして楚直なり、其の眾素より飽く、老と謂ふ可からず。我退きて楚還らば、我將に何をか求めん。若し其れ還らずんば、君退きて臣犯す、曲彼に在らん」と。三舍を退く。楚眾止まらんと欲するも、子玉可かず。
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史記 晋世家子玉請ひて曰く、「敢て必ずしも功有らんとするに非ず。願はくは以て讒慝の口を間執せん」と。楚王怒り、少しく之に兵を与ふ。是に於て子玉宛春をして晋に告げしむ、「請ふ衛侯を復して曹を封ぜよ。臣も亦た宋を釈かん」と。咎犯曰く、「子玉無礼なり。君は一を取り、臣は二を取る。許すこと勿かれ」と。先軫曰く、「人を定むる、之を礼と謂ふ。楚一言にして三国を定め、子一言にして之を亡ぼさば、我則ち礼毋からん。楚に許さざるは、是れ宋を棄つるなり。私かに曹・衛に許して以て之を誘ひ、宛春を執へて以て楚を怒らせ、既に戦ひて後に之を図るに如かず」と。晋侯乃ち宛春を衛に囚へ、且つ私かに曹・衛を復することを許す。曹・衛絶つことを楚に告ぐ。楚の得臣怒り、晋の師を撃つ。晋の師退く。軍吏曰く、「何の為に退く」と。文公曰く、「昔楚に在りしとき、三舎を退かんと約す。倍くべけんや」と。楚の師去らんと欲するも、得臣肯ぜず。四月戊辰、宋公・斉の将・秦の将晋侯と城濮に次る。己巳、楚の兵と合戦す。楚の兵敗れ、得臣余兵を収めて去る。甲午、晋の師還りて衡雍に至り、王宮を践土に作る。初め、鄭楚を助く。楚敗れて、懼れ、人をして晋侯に盟はんことを請はしむ。晋侯鄭伯と盟ふ。五月丁未、楚の俘を周に献ず。駟介百乗、徒兵千。天子王子虎をして晋侯に命じて伯と為さしめ、大輅、彤弓矢百、玈弓矢千、秬鬯一卣、珪瓚、虎賁三百人を賜ふ。晋侯三たび辞し、然る後に稽首して之を受く。周晋の文侯の命を作る、「王若(かく)のごとく曰く、父義和、丕いに顕らかなる文・武、能く明徳を慎み、昭らかに上に登り、布きて聞こゆること下に在り。維れ時れ上帝厥の命を文・武に集む。朕が身を恤み、予一人を継ぎて永く其れ位に在らしめよ」と。是に於て晋の文公伯と称す。癸亥、王子虎諸侯を王庭に盟はしむ。晋楚の軍を焚く。火数日息まず。文公嘆ず。左右曰く、「楚に勝ちて君猶ほ憂ふるは、何ぞや」と。文公曰く、「吾聞く、能く戦ひ勝ちて安んずる者は唯だ聖人のみと。是を以て懼る。
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