春秋左氏伝 / 僖公二十八年 魏犨、距躍三百
三月,丙午,入曹。數之,以其不用僖負羈而乘軒者三百人也。且曰:「獻狀。」令無入僖負羈之宮而免其族,報施也。魏犨、顛頡怒曰:「勞之不圖,報於何有!」爇僖負羈氏,魏犨傷於胸。公欲殺之而愛其材,使問,且視之病,將殺之。魏犨束胸,見使者曰:「以君之靈,不有寧也。」距躍三百,曲踊三百。乃舍之,殺顛頡以徇于師,立舟之僑以為戎右。宋人使門尹般如晉師告急。公曰:「宋人告急,舍之,則絕;告楚,不許。我欲戰矣,齊、秦未可,若之何?」先軫曰:「使宋舍我而賂齊、秦,藉之告楚。我執曹君而分曹、衛之田以賜宋人。楚愛曹、衛,必不許也。喜、賂、怒、頑,能無戰乎?」公說,執曹伯,分曹衛之田以畀宋人。
新字:三月,丙午,入曹。数之,以其不用僖負羈而乗軒者三百人也。且曰:「献状。」令無入僖負羈之宮而免其族,報施也。魏犨、顛頡怒曰:「労之不図,報於何有!」爇僖負羈氏,魏犨傷於胸。公欲殺之而愛其材,使問,且視之病,将殺之。魏犨束胸,見使者曰:「以君之霊,不有寧也。」距躍三百,曲踊三百。乃舎之,殺顛頡以徇于師,立舟之僑以為戎右。宋人使門尹般如晋師告急。公曰:「宋人告急,舎之,則絶;告楚,不許。我欲戦矣,斉、秦未可,若之何?」先軫曰:「使宋舎我而賂斉、秦,藉之告楚。我執曹君而分曹、衛之田以賜宋人。楚愛曹、衛,必不許也。喜、賂、怒、頑,能無戦乎?」公説,執曹伯,分曹衛之田以畀宋人。
書き下し
三月、丙午、曹に入る。之を數むるに、其の僖負羈を用ゐずして軒に乘る者三百人なるを以てす。且つ曰く、「狀を獻ぜよ」と。僖負羈の宮に入る無くして其の族を免さしむ、施しに報ゆるなり。魏犨・顛頡怒りて曰く、「勞を之れ圖らず、報ゆるに何か有らん」と。僖負羈氏を爇く。魏犨胸を傷つく。公之を殺さんと欲するも其の材を愛し、問はしめ、且つ之が病を視しむ。將に之を殺さんとす。魏犨胸を束ね、使者に見えて曰く、「君の靈を以て、寧んずること有らず」と。距躍すること三百、曲踊すること三百。乃ち之を舍し、顛頡を殺して以て師に徇へ、舟之僑を立てて以て戎右と為す。宋人門尹般をして晉の師に如きて急を告げしむ。公曰く、「宋人急を告ぐ、之を舍けば、則ち絕たん。楚に告ぐるも、許さず。我戰はんと欲す、齊・秦未だ可ならず、之を若何せん」と。先軫曰く、「宋をして我を舍てて齊・秦に賂ひ、之に藉りて楚に告げしめん。我曹君を執へて曹・衛の田を分かちて以て宋人に賜はん。楚は曹・衛を愛す、必ず許さざらん。喜び・賂ひ・怒り・頑なり、能く戰ふこと無からんや」と。公說び、曹伯を執へ、曹・衛の田を分かちて以て宋人に畀ふ。
現代語訳
三月丙午の日、晋軍は曹に入った。晋侯(文公)は曹の君を責め、賢臣の僖負羈を用いず、高官の車に乗る者が三百人もいることを数え上げた。さらに「(重耳の裸をのぞいたときの)様子を申し述べよ」と言った。一方で、僖負羈の屋敷に入ることを禁じ、その一族を赦した。亡命中に受けた恩に報いたのである。魏犨(ぎしゅう)と顛頡(てんけつ)は怒って言った。「我々の苦労には報いようとせず、何が恩返しか」。そして僖負羈の屋敷に火を放った。このとき魏犨は胸に傷を負った。文公は魏犨を殺そうと思ったが、その武勇の才を惜しみ、人を遣わして見舞わせ、傷の具合を確かめさせた。傷が重ければ殺すつもりであった。魏犨は胸を布で縛って使者に会い、言った。「君のご威光のおかげで、このとおり元気です」。そして前に跳ぶこと三百回、上に跳ぶこと三百回をしてみせた。文公は魏犨を赦し、顛頡を殺して全軍に見せしめとし、舟之僑(しゅうしきょう)を兵車の車右に立てた。宋は門尹般(もんいんはん)を晋軍に遣わして急を告げた。文公は言った。「宋が急を告げてきた。これを放っておけば、宋との関係は絶たれる。楚に包囲を解くよう求めても、聞き入れはしないだろう。私は戦いたいが、斉と秦がまだ同意していない。どうしたものか」。先軫が言った。「宋に、我々を頼るのをやめさせて斉と秦に賄賂を贈らせ、斉と秦の口から楚に包囲を解くよう頼ませましょう。一方で我々は曹の君を捕らえ、曹と衛の土地を分けて宋に与えます。楚は曹と衛をかわいがっていますから、必ず頼みを聞き入れないでしょう。斉と秦は宋の賄賂を喜び、楚の頑なさに怒ります。そうなれば戦わずにいられましょうか」。文公は喜び、曹伯を捕らえ、曹と衛の土地を分けて宋に与えた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 趙世家四卿恐れ、遂に共に出公を攻む。出公斉に奔り、道に死す。知伯乃ち昭公の曾孫驕を立つ、是を晋の懿公と為す。知伯益々驕る。地を韓・魏に請ふ。韓・魏之に与ふ。地を趙に請ふ。趙与へず。其の鄭を囲みしときの辱めを以てなり。知伯怒り、遂に韓・魏を率ゐて趙を攻む。趙襄子懼れ、乃ち奔りて晋陽を保つ。原過従ふ。後れて、王沢に至り、三人を見る。帯より以上は見るべく、帯より以下は見るべからず。原過に竹二節を与ふ。通ずる莫し。曰く、「我が為に是を以て趙毋卹に遺れ」と。原過既に至り、以て襄子に告ぐ。襄子斉すること三日、親ら自ら竹を剖く。朱書有りて曰く、「趙毋卹、余は霍泰山山陽侯の天使なり。三月丙戌、余将に女をして反りて知氏を滅ぼさしめんとす。女も亦我が百邑を立てよ。余将に女に林胡の地を賜はんとす。後世に至りて、且に伉王有らんとす。赤黒く、龍面にして鳥噣、鬢麋髭髯、大膺大胸、修下にして馮、左袵界乗、奄ひて河宗を有ち、休溷の諸貉に至り、南のかた晋の別を伐ち、北のかた黒姑を滅ぼさん」と。襄子再拝し、三神の令を受く。三国晋陽を攻むること歳余、汾水を引きて其の城に灌ぐ。城の浸らざる者三版。城中釜を懸けて炊ぎ、子を易へて食らふ。群臣皆外心有り、礼益々慢る。唯だ高共のみ敢へて礼を失はず。襄子懼れ、乃ち夜に相の張孟同をして私かに韓・魏に於てせしむ。韓・魏与に合謀し、三月丙戌を以て、三国反りて知氏を滅ぼし、共に其の地を分つ。是に於て襄子賞を行ふ。高共を上と為す。張孟同曰く、「晋陽の難に、唯だ共のみ功無し」と。襄子曰く、「晋陽の急なるに方りて、群臣皆懈る。惟だ共のみ敢へて人臣の礼を失はず。是を以て之を先にす」と。是に於て趙は北に代を有ち、南に知氏を并せ、韓・魏より彊し。遂に三神を百邑に祠り、原過をして霍泰山の祠祀を主らしむ。其の後空同氏を娶り、五子を生む。
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