導師導古典を学びたいすべての人に

春秋左氏伝 / 僖公二十六年 夔、祀らずして滅ぶ

夔子不祀祝融與鬻熊。楚人讓之,對曰:「我先王熊摯有疾,鬼神弗赦而自竄于夔。吾是以失楚,又何祀焉?」秋,楚成得臣、鬭宜申帥師滅夔,以夔子歸。宋以其善於晉侯也,叛楚即晉。冬,楚令尹子玉、司馬子西帥師伐宋,圍緡。公以楚師伐齊,取穀。凡師,能左右之曰「以」。寘桓公子雍於穀,易牙奉之以為魯援。楚申公叔侯戍之。桓公之子七人,為七大夫於楚。

新字:夔子不祀祝融与鬻熊。楚人譲之,対曰:「我先王熊摯有疾,鬼神弗赦而自竄于夔。吾是以失楚,又何祀焉?」秋,楚成得臣、闘宜申帥師滅夔,以夔子帰。宋以其善於晋侯也,叛楚即晋。冬,楚令尹子玉、司馬子西帥師伐宋,囲緡。公以楚師伐斉,取穀。凡師,能左右之曰「以」。寘桓公子雍於穀,易牙奉之以為魯援。楚申公叔侯戍之。桓公之子七人,為七大夫於楚。

書き下し

夔子祝融と鬻熊とを祀らず。楚人之を讓む。對へて曰く、「我が先王熊摯疾有り、鬼神赦さずして自ら夔に竄る。吾是を以て楚を失ふ、又何ぞ祀らん」と。秋、楚の成得臣・鬭宜申師を帥ゐて夔を滅ぼし、夔子を以て歸る。宋其の晉侯に善きを以て、楚に叛きて晉に即く。冬、楚の令尹子玉・司馬子西師を帥ゐて宋を伐ち、緡を圍む。公楚の師を以て齊を伐ち、穀を取る。凡そ師、能く之を左右するを「以」と曰ふ。桓公の子雍を穀に寘き、易牙之を奉じて以て魯の援と為す。楚の申公叔侯之を戍る。桓公の子七人、楚に七大夫と為る。

現代語訳

夔子(きし、楚の同族である夔の君)は、楚の祖先である祝融と鬻熊(いくゆう)を祀らなかった。楚の人々がこれを責めると、夔子は答えた。「わが先王の熊摯(ゆうし)は病にかかり、鬼神に赦されず、自ら夔に逃れ住みました。私たちはこれによって楚の地位を失ったのです。どうしてまた楚の祖先を祀りましょうか」。秋、楚の成得臣(子玉)と闘宜申(とうぎしん、子西)が軍を率いて夔を滅ぼし、夔子を連れて帰った。宋は、晋侯(文公)と親しかったので、楚に背いて晋についた。冬、楚の令尹子玉と司馬子西が軍を率いて宋を討ち、緡を包囲した。僖公は楚の軍を率いて斉を討ち、穀を取った。およそ他国の軍を自分の思うように動かせる場合を、『春秋』では「以(ひきいる)」と書く。斉の桓公の子の雍を穀に置き、易牙(えきが)がこれを奉じて魯の後ろ盾とした。楚の申公叔侯がここを守備した。桓公の子七人は、楚で七人の大夫となった。

解説

楚と同じ祖先を持つ夔が、楚の祖先を祀らないことを理由に滅ぼされる。夔の君の言い分は、先祖の熊摯が病のため楚の継承から外され、夔に移ったのだから、もう楚の祖先を祀る義理はない、というものである。一族の絆を祭祀で示すのが当時の礼であり、祀らないことは一族からの離脱の表明と受け取られた。楚はそれを口実に併合したとも読める。その後の記事は、晋と楚の対立が本格化していく流れを示す。宋が楚から晋に乗り換え、楚が宋を討ち、魯は楚の軍を借りて斉を討つ。左伝は『春秋』の「以」の字に注目し、他国の軍を思いどおりに動かせるときにこの字を使うと説明する。斉の桓公の子たちが楚で大夫になったという最後の記事は、覇者桓公の家の没落を静かに伝えている。形式的な儀礼をやめることが、相手には関係を断つ意思表示として受け取られることがある。何をやめるかも一つのメッセージになる。

この章句が説くこと

祭祀同族書法勢力均衡礼

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る