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慎思録 / 巻之三

闕里誌載。朱子語錄曰。宣聖本不當設像。春秋祭時。只設木主祭可也。丘瓊山曰。塑像設。中國無之。自佛敎入中國。始有也。三代以前祀神。皆以主。無所謂像設也。彼異敎用之。無足怪者。不知祀吾聖人者。何時而始爲像云。觀李元瓘言顏子立侍。則像在唐前已有矣。嗚呼姚燧有言。北史敢有造泥人銅人者。門誅。則泥人固非中土爲主以祀聖人法也。後世莫覺其非。亦化其道而爲之。甚非神而明之。無聲無臭之道也。

新字:闕里誌載。朱子語録曰。宣聖本不当設像。春秋祭時。只設木主祭可也。丘瓊山曰。塑像設。中国無之。自仏教入中国。始有也。三代以前祀神。皆以主。無所謂像設也。彼異教用之。無足怪者。不知祀吾聖人者。何時而始為像云。観李元瓘言顔子立侍。則像在唐前已有矣。嗚呼姚燧有言。北史敢有造泥人銅人者。門誅。則泥人固非中土為主以祀聖人法也。後世莫覚其非。亦化其道而為之。甚非神而明之。無声無臭之道也。

書き下し

闕里誌に載す。朱子語録に曰く、宣聖は本当に像を設くべからず。春秋の祭の時、只木主を設けて祭りて可なり、と。丘瓊山曰く、塑像の設は、中国に之無し。仏教の中国に入りしより、始めて有るなり。三代以前神を祀るに、皆主を以てし、所謂像設無きなり。彼の異教之を用ふるは、怪しむに足る無き者なり。知らず吾が聖人を祀る者は、何れの時にして始めて像を為すかを、と云ふ。李元瓘の顔子立ちて侍すと言ふを観れば、則ち像は唐の前に在りて已に有るなり。嗚呼、姚燧言へる有り、北史に敢て泥人銅人を造る者有らば、門誅す、と。則ち泥人は固より中土の主を為りて以て聖人を祀るの法に非ざるなり。後世其の非を覚る莫く、亦其の道に化して之を為す。甚だ神にして之を明らかにし、声無く臭無きの道に非ざるなり。

現代語訳

『闕里誌』に載っています。『朱子語録』に「孔子はもともと像を設けて祀るべきではない。春と秋の祭りの時には、ただ木の位牌を設けて祭ればよい」とあります。丘濬(瓊山)は「塑像を設けることは中国にはなかった。仏教が中国に入ってから始まったのである。夏・殷・周の三代以前は、神を祀るのにみな位牌を用い、いわゆる像はなかった。異教がこれを用いるのは怪しむに足りないが、わが聖人を祀る者がいつから像を作り始めたのかは分からない」と言いました。李元瓘が顔回が立って侍っていると言ったのを見れば、像は唐より前にすでにあったのです。ああ、姚燧は「『北史』に、泥人形や銅人形を作る者があれば一族を誅すとある」と言いました。それなら泥人形はもともと中国で位牌を作って聖人を祀る方法ではないのです。後世その誤りに気づかず、異教の道に染まってこれを行っています。まったく、神妙にして明らかにし、声もなく匂いもないという道ではありません。

解説

孔子廟の聖像をめぐる議論を『闕里誌』から引いた一条です。朱子は木主(位牌)で祀るべきだとし、明の丘濬(号は瓊山)は塑像は仏教伝来後の風で古礼ではないと論じました。李元瓘は唐の人で、顔回の像を孔子の傍らに侍らせる制を奏上したことで知られます。結びの「声無く臭無し」は『詩経』大雅・文王および『中庸』末章の語です。益軒は形に頼らず誠で祀るのが儒の祭祀だと考えました。形式や見た目に頼るほど本質が薄れるという視点は、儀礼の意味を問い直すときにも役立ちます。

この章句が説くこと

祭祀孔子木主

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