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慎思録 / 巻之四

始祖之祭。伊川行之。朱子曰。古無此。伊川以義起。某當初也祭。後來覺似僭。今不敢祭。篤信竊謂。始祖之祭。朱子既載之家禮及小學。如家禮。朱子四十歲所輯。其間固有與晚年之論不合者。如小學書。五十八歲所輯。似可爲據。然曰當初也祭。後來不敢祭。則似以此爲定說。丘瓊山曰。小學不刪此條。必有其說。是以闕疑不敢决也。

新字:始祖之祭。伊川行之。朱子曰。古無此。伊川以義起。某当初也祭。後来覚似僭。今不敢祭。篤信窃謂。始祖之祭。朱子既載之家礼及小学。如家礼。朱子四十歳所輯。其間固有与晩年之論不合者。如小学書。五十八歳所輯。似可為拠。然曰当初也祭。後来不敢祭。則似以此為定説。丘瓊山曰。小学不刪此条。必有其説。是以闕疑不敢決也。

書き下し

始祖の祭は、伊川之を行ふ。朱子曰く、古に此れ無し。伊川義を以て起こす。某当初は也た祭る。後来僭に似たるを覚え、今敢へて祭らず、と。篤信窃かに謂ふ、始祖の祭は、朱子既に之を家礼及び小学に載す。家礼の如きは、朱子四十歳の輯むる所なり。其の間固より晩年の論と合はざる者有り。小学書の如きは、五十八歳の輯むる所なり。拠と為すべきに似たり。然れども当初は也た祭る、後来敢へて祭らずと曰へば、則ち此を以て定説と為すに似たり。丘瓊山曰く、小学に此の条を刪らざるは、必ず其の説有らん、と。是を以て疑はしきを闕きて敢へて決せざるなり。

現代語訳

始祖を祭ることは、程伊川が行いました。朱子は「昔はこれがなかった。伊川が道義によって始めたのである。私も初めは祭っていたが、後に分を越えているように感じて、今はあえて祭らない」と言いました。私、篤信がひそかに思うに、始祖の祭については、朱子はすでに『家礼』と『小学』に載せています。『家礼』は朱子が四十歳のときにまとめたもので、その中には晩年の論と合わないものがもともとあります。『小学』は五十八歳のときにまとめたもので、根拠とすべきもののようです。しかし「初めは祭っていたが、後にはあえて祭らない」と言っているのですから、これを定説とすべきように思われます。丘濬(瓊山)は「『小学』がこの条を削らなかったのには、必ずわけがあるのだろう」と言いました。そこで疑わしいところは保留して、あえて決めないのです。

解説

一族の始祖を祭るべきかという礼の問題について、朱子の著作と語録の食い違いを検討した条です。朱子は『家礼』や『小学』に始祖の祭を載せながら、『朱子語類』では「後に僭越と感じて今は祭らない」と語っています。益軒は成立年を比べて晩年の説を重んじつつ、明の丘濬の見解も紹介し、最終的には「疑はしきを闕く」として判断を保留します。この言葉は『論語』為政篇に由来します。資料を年代順に比べ、決めきれないことは決めないという誠実な態度は、調査や判断の仕事の手本になります。

この章句が説くこと

祭祀朱子闕疑考証

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