春秋左氏伝 / 僖公二十四年 富辰の諫め
今天子不忍小忿以棄鄭親,其若之何?庸勳,親親,暱近,尊賢,德之大者也。即聾,從昧,與頑,用嚚,姦之大者也。棄德崇姦,禍之大者也。鄭有平、惠之勳,又有厲、宣之親,棄嬖寵而用三良,於諸姬為近,四德具矣。耳不聽五聲之和為聾,目不別五色之章為昧,心不則德義之經為頑,口不道忠信之言為嚚。狄皆則之,四姦具矣。周之有懿德也,猶曰『莫如兄弟』,故封建之。其懷柔天下也,猶懼有外侮,扞禦侮者莫如親親,故以親屏周。召穆公亦云。今周德既衰,於是乎又渝周、召以從諸姦,無乃不可乎?民未忘禍,王又興之,其若文、武何?」王弗聽,使頹叔、桃子出狄師。夏,狄伐鄭,取櫟。王德狄人,將以其女為后。富辰諫曰:「不可。臣聞之曰:『報者倦矣,施者未厭。』狄固貪惏,王又啟之。女德無極,婦怨無終,狄必為患。」王又弗聽。
新字:今天子不忍小忿以棄鄭親,其若之何?庸勲,親親,暱近,尊賢,徳之大者也。即聾,従昧,与頑,用嚚,姦之大者也。棄徳崇姦,禍之大者也。鄭有平、恵之勲,又有厲、宣之親,棄嬖寵而用三良,於諸姫為近,四徳具矣。耳不聴五声之和為聾,目不別五色之章為昧,心不則徳義之経為頑,口不道忠信之言為嚚。狄皆則之,四姦具矣。周之有懿徳也,猶曰『莫如兄弟』,故封建之。其懐柔天下也,猶懼有外侮,扞禦侮者莫如親親,故以親屏周。召穆公亦云。今周徳既衰,於是乎又渝周、召以従諸姦,無乃不可乎?民未忘禍,王又興之,其若文、武何?」王弗聴,使頽叔、桃子出狄師。夏,狄伐鄭,取櫟。王徳狄人,将以其女為后。富辰諫曰:「不可。臣聞之曰:『報者倦矣,施者未厭。』狄固貪惏,王又啓之。女徳無極,婦怨無終,狄必為患。」王又弗聴。
書き下し
今天子小忿を忍ばずして以て鄭の親を棄つ、其れ之を若何せん。勳を庸ゐ、親を親しみ、近きに暱しみ、賢を尊ぶは、德の大なる者なり。聾に即き、昧に從ひ、頑に與し、嚚を用ゐるは、姦の大なる者なり。德を棄てて姦を崇ぶは、禍の大なる者なり。鄭に平・惠の勳有り、又厲・宣の親有り、嬖寵を棄てて三良を用ゐ、諸姬に於いて近しと為す、四德具はれり。耳五聲の和を聽かざるを聾と為し、目五色の章を別たざるを昧と為し、心德義の經に則らざるを頑と為し、口忠信の言を道はざるを嚚と為す。狄皆之に則る、四姦具はれり。周の懿德有るや、猶ほ『兄弟に如くは莫し』と曰ふ、故に之を封建す。其の天下を懷柔するや、猶ほ外侮有るを懼る、侮りを扞禦する者は親を親しむに如くは莫し、故に親を以て周に屏とす。召の穆公も亦た云ふ。今周の德既に衰ふ、是に於いてか又周・召を渝へて以て諸姦に從ふ、乃ち不可なる無からんや。民未だ禍を忘れず、王又之を興す、其れ文・武を若何せん」と。王聽かず、頹叔・桃子をして狄の師を出ださしむ。夏、狄鄭を伐ち、櫟を取る。王狄人を德とし、將に其の女を以て后と為さんとす。富辰諫めて曰く、「不可なり。臣之を聞く、曰く、『報ゆる者は倦めり、施す者は未だ厭かず』と。狄は固より貪惏なり、王又之を啟く。女德は極まり無く、婦怨は終はり無し、狄必ず患ひを為さん」と。王又聽かず。
現代語訳
(富辰は続けて言った。)「いま天子は小さな怒りを抑えきれずに、親族である鄭を見捨てようとしておられます。それでどうなさるおつもりですか。功ある者を用い、親族を親しみ、近しい者と睦み、賢者を尊ぶ。これが徳の大いなるものです。耳の聞こえない者に近づき、目の見えない者に従い、頑なな者に与し、口の悪い者を用いる。これが邪悪の大いなるものです。徳を棄てて邪悪を尊ぶのは、禍の大いなるものです。鄭には、平王・恵王を助けた功績があり、また厲王・宣王から出た親族の縁があります。鄭の君は寵臣を退けて三人の良臣を用いており、姫姓の諸国の中でも周に近い間柄です。四つの徳が揃っています。耳が五つの音の調和を聞き分けないのを聾といい、目が五つの色の模様を見分けないのを昧といい、心が徳と義の常道に従わないのを頑といい、口が忠と信の言葉を語らないのを嚚といいます。狄はそのすべてに当てはまり、四つの邪悪が揃っています。周が立派な徳を持っていたときでさえ、『兄弟に及ぶものはない』と言って、兄弟を諸侯に封じました。天下を懐け和らげていたときでさえ、外からの侮りを恐れ、侮りを防ぐには親族を親しむに勝るものはないとして、親族を周の垣根としたのです。召の穆公もそう言っています。いま周の徳はすでに衰えています。そのうえ周公・召公の方針を変えて、邪悪な者たちに従うのは、いけないことではありませんか。民はまだ以前の禍を忘れていないのに、王がまた禍を起こそうとなさる。それでは文王・武王に何と申し開きなさるのですか」。王は聞き入れず、頽叔(たいしゅく)と桃子(とうし)に命じて狄の軍を出させた。夏、狄は鄭を討って櫟を取った。王は狄に恩を感じ、狄の娘を后にしようとした。富辰が諫めて言った。「なりません。私はこう聞いております。『恩に報いる側はもう飽きているのに、恩を施した側はまだ満足しない』と。狄はもともと貪欲です。王はさらにその欲を開こうとしておられます。女の欲には際限がなく、婦人の恨みには終わりがありません。狄は必ず禍となりましょう」。王はまたも聞き入れなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 田叔列伝魯の相初めて到るや、民自ら相に言ひ、王の其の財物を取るを訟ふる者百余人。田叔其の渠率二十人を取り、各々笞うつこと五十、余は各々搏つこと二十、之を怒りて曰く、「王は若の主に非ずや。何ぞ自ら敢へて若の主を言ふ」と。魯王之を聞きて大いに慚ぢ、中府の銭を発し、相をして之を償はしむ。相曰く、「王自ら之を奪ひ、相をして之を償はしむるは、是れ王悪を為して相善を為すなり。相は与に之を償ふ毋し」と。是に於て王乃ち尽く之を償ふ。魯王猟を好み、相常に従ひて苑中に入る。王輒ち相を休ませて館舎に就かしむ。相出でて、常に暴坐して王を苑外に待つ。王数々人をして相に休まんことを請はしむるも、終に休まず。曰く、「我が王苑中に暴露す。我独り何為れぞ舎に就かん」と。魯王故を以て大いには出游せず。
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史記 殷本紀紂曰く、「我生まれて命の天に在る有らずや」と。祖伊反りて、曰く、「紂諫む可からず」と。西伯既に卒し、周の武王の東伐して、盟津に至る。諸侯の殷に叛きて周に会する者八百。諸侯皆曰く、「紂伐つ可し」と。武王曰く、「爾未だ天命を知らず」と。乃ち復た帰る。紂愈淫乱して止まず。微子数諫むるも聴かず、乃ち大師・少師と謀り、遂に去る。比干曰く、「人臣為る者は、死を以て争はざるを得ず」と。迺ち強ひて紂を諫む。紂怒りて曰く、「吾聞く、聖人の心に七竅有りと」と。比干を剖き、其の心を観る。箕子懼れ、乃ち詳狂して奴と為る。紂又之を囚ふ。殷の大師・少師乃ち其の祭楽器を持ちて周に奔る。周の武王是に於て遂に諸侯を率ゐて紂を伐つ。紂も亦兵を発して之を牧野に距ぐ。甲子の日、紂の兵敗る。紂走り、入りて鹿台に登り、其の宝玉の衣を衣て、火に赴きて死す。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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史記 張丞相列伝帝、太子を廃して、戚姫の子如意を立てて太子と為さんと欲するに及び、大臣固く之を争へども、能く得る莫し。上、留侯の策を以て即ち止む。而して周昌廷に之を争ふこと彊し。上其の説を問ふ。昌は人と為り吃(ども)りにして、又盛んに怒りて曰く、「臣の口は言ふこと能はず。然れども臣期期として其の不可なるを知る。陛下太子を廃せんと欲すと雖も、臣期期として詔を奉ぜず」と。上欣然として笑ふ。既に罷むるや、呂后東箱に耳を側てて聴き、周昌を見て、為に跪きて謝して曰く、「君微(な)かりせば、太子幾(ほと)んど廃せられん」と。是の後戚姫の子如意、趙王と為り、
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史記 白起王翦列伝是の時、武安君病み、行くに任へず。四十九年正月、陵、邯鄲を攻むるも、利少なし。秦益々兵を発して陵を佐く。陵の兵、五校を亡ふ。武安君病愈ゆ、秦王、武安君をして陵に代はりて将たらしめんと欲す。武安君言ひて曰く、「邯鄲は実に未だ攻め易からざるなり。且つ諸侯の救ひ日に至らん。彼の諸侯の秦を怨むの日久し。今、秦は長平の軍を破ると雖も、秦の卒の死する者は半ばを過ぎ、国内空し。遠く河山を絶りて人の国都を争はば、趙はその内に応じ、諸侯はその外を攻めん。秦の軍を破ること必せり。不可なり」と。秦王自ら命ずるも、行かず。乃ち応侯をしてこれを請はしむ、武安君終に辞して行くことを肯んぜず、遂に病と称す。秦王、王齕をして陵に代はりて将たらしめ、八九月、邯鄲を囲むも、抜く能はず。楚、春申君及び魏の公子をして兵数十万を将ゐて秦の軍を攻めしむ、秦の軍失亡多し。武安君言ひて曰く、「秦、臣の計を聴かず、今如何ぞや」と。秦王これを聞きて怒り、彊ひて武安君を起こす、武安君遂に病甐しと称す。応侯これを請ふも、起たず。是に於いて武安君を免じて士伍と為し、これを陰密に遷す。武安君病み、未だ行く能はず。居ること三月、諸侯秦の軍を攻むること急にして、秦の軍数々卻き、使者日に至る。秦王乃ち人をして白起を遣らしめ、咸陽の中に留まるを得ざらしむ。武安君既に行き、咸陽の西門を出づること十里、杜郵に至る。秦の昭王、応侯・群臣と議して曰く、「白起の遷るや、その意尚ほ怏怏として服せず、余言有り」と。秦王乃ち使者をしてこれに剣を賜ひ、自裁せしむ。武安君、剣を引きて将に自ら剄ねんとして、曰く、「我何の罪ありて天に于いて此に至るや」と。良久しくして、曰く、「我固より当に死すべし。長平の戦ひ、趙の卒の降る者数十万人、我詐りて尽くこれを阬にす、是れ以て死するに足る」と。遂に自殺す。武安君の死するや、秦の昭王五十年十一月を以てす。死して其の罪に非ず、秦人これを憐れみ、郷邑皆これを祭祀す。
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荀子・大略篇人の臣下たる者は、諫むること有るも訕ること無く、亡ること有るも疾むこと無く、怨むこと有るも怒ること無し。
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