春秋左氏伝 / 僖公二十四年 兄弟牆に鬩ぐ
富辰諫曰:「不可。臣聞之,大上以德撫民,其次親親,以相及也。昔周公弔二叔之不鹹,故封建親戚以蕃屏周。管、蔡、郕、霍、魯、衛、毛、聃、郜、雍、曹、滕、畢、原、酆、郇,文之昭也。邗、晉、應、韓,武之穆也。凡、蔣、邢、茅、胙、祭,周公之胤也。召穆公思周德之不類,故糾合宗族于成周而作詩,曰:『常棣之華,鄂不韡韡。凡今之人,莫如兄弟。』其四章曰:『兄弟鬩于牆,外禦其侮。』如是,則兄弟雖有小忿,不廢懿親。
新字:富辰諫曰:「不可。臣聞之,大上以徳撫民,其次親親,以相及也。昔周公弔二叔之不鹹,故封建親戚以蕃屏周。管、蔡、郕、霍、魯、衛、毛、聃、郜、雍、曹、滕、畢、原、酆、郇,文之昭也。邗、晋、応、韓,武之穆也。凡、蒋、邢、茅、胙、祭,周公之胤也。召穆公思周徳之不類,故糾合宗族于成周而作詩,曰:『常棣之華,鄂不韡韡。凡今之人,莫如兄弟。』其四章曰:『兄弟鬩于牆,外禦其侮。』如是,則兄弟雖有小忿,不廃懿親。
書き下し
富辰諫めて曰く、「不可なり。臣之を聞く、大上は德を以って民を撫し、其の次は親を親しみ、以って相ひ及ぶなりと。昔周公二叔の鹹(あまね)からざるを弔ふ、故に親戚を封建して以って周を蕃屏す。管・蔡・郕・霍・魯・衞・毛・聃・郜・雍・曹・滕・畢・原・酆・郇は、文の昭なり。邗・晉・應・韓は、武の穆なり。凡・蔣・邢・茅・胙・祭は、周公の胤なり。召穆公周德の類(よ)からざるを思ふ、故に宗族を成周に糾合して詩を作りて曰く、『常棣の華、鄂として韡韡たらずや。凡そ今の人、兄弟に如くは莫し』と。其の四章に曰く、『兄弟牆に鬩(せめ)ぐも、外其の侮りを禦ぐ』と。是の如くんば、則ち兄弟に小忿有りと雖も、懿親を廢せず。
現代語訳
富辰が諫めて言った。「なりません。私はこう聞いております。最上は徳によって民を撫で、その次は親族を親しむことで及ぼしていくのだと。昔、周公は管叔・蔡叔の二人が和合しなかったのを悼み、そこで親族を諸侯に封じて周を守る垣とされました。管・蔡・郕・霍・魯・衛・毛・聃・郜・雍・曹・滕・畢・原・酆・郇は文王の子です。邗・晋・応・韓は武王の子です。凡・蒋・邢・茅・胙・祭は周公の子孫です。召穆公は周の徳が善くないことを憂え、宗族を成周に集めて詩を作り、『にわざくらの花、あざやかに輝いているではないか。およそ今の人で、兄弟に及ぶものはない』と歌いました。その第四章には『兄弟は家の中では争っても、外からの侮りは共に防ぐ』とあります。そうであれば、兄弟に小さな不和があっても、大切な親族の縁を廃することはありません」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』僖公二十四年 富辰の諫め今天子小忿を忍ばずして以て鄭の親を棄つ、其れ之を若何せん。勳を庸ゐ、親を親しみ、近きに暱しみ、賢を尊ぶは、德の大なる者なり。聾に即き、昧に從ひ、頑に與し、嚚を用ゐるは、姦の大なる者なり。德を棄てて姦を崇ぶは、禍の大なる者なり。鄭に平・惠の勳有り、又厲・宣の親有り、嬖寵を棄てて三良を用ゐ、諸姬に於いて近しと為す、四德具はれり。耳五聲の和を聽かざるを聾と為し、目五色の章を別たざるを昧と為し、心德義の經に則らざるを頑と為し、口忠信の言を道はざるを嚚と為す。狄皆之に則る、四姦具はれり。周の懿德有るや、猶ほ『兄弟に如くは莫し』と曰ふ、故に之を封建す。其の天下を懷柔するや、猶ほ外侮有るを懼る、侮りを扞禦する者は親を親しむに如くは莫し、故に親を以て周に屏とす。召の穆公も亦た云ふ。今周の德既に衰ふ、是に於いてか又周・召を渝へて以て諸姦に從ふ、乃ち不可なる無からんや。民未だ禍を忘れず、王又之を興す、其れ文・武を若何せん」と。王聽かず、頹叔・桃子をして狄の師を出ださしむ。夏、狄鄭を伐ち、櫟を取る。王狄人を德とし、將に其の女を以て后と為さんとす。富辰諫めて曰く、「不可なり。臣之を聞く、曰く、『報ゆる者は倦めり、施す者は未だ厭かず』と。狄は固より貪惏なり、王又之を啟く。女德は極まり無く、婦怨は終はり無し、狄必ず患ひを為さん」と。王又聽かず。
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詩経・小雅・鹿鳴之什・常棣常棣(じょうてい)は、兄弟を燕するなり。管・蔡の道を失うを閔(あわれ)む、故に常棣を作る。 常棣の華、鄂(うてな)不(ふ)韡韡(いい)たり。凡そ今の人、兄弟に如くは莫し。 死喪の威(おそれ)、兄弟孔(はなは)だ懐(おも)う。原隰(げんしつ)に裒(あつ)まるも、兄弟求む。 脊令(せきれい)原に在り、兄弟難に急ぐ。良朋(りょうほう)有りと毎(いえど)も、況(ま)た也(ただ)永く歎くのみ。 兄弟牆(かき)に鬩(せめ)げども、外其の務(あなどり)を禦(ふせ)ぐ。良朋有りと毎も、烝(ひさ)しく也(ただ)戎(たす)くる無し。 喪乱既に平らぎ、既に安く且つ寧(やす)し。兄弟有りと雖も、友生(ゆうせい)に如かず。 爾(なんじ)の籩豆(へんとう)を儐(つら)ね、酒を飲むこと飫(あ)く。兄弟既に具(そな)わり、和楽して且つ孺(した)しむ。 妻子好(よ)く合うこと、瑟琴を鼓するが如し。兄弟既に翕(あ)い、和楽して且つ湛(たの)しむ。 爾の室家を宜しくし、爾の妻帑(さいど)を楽しましめよ。是れ究め是れ図れ、亶(まこと)に其れ然らんや。
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国語・周語中襄王の十三年、鄭人滑(かつ)を伐つ。王游孫伯(ゆうそんはく)をして滑を請わしむ。鄭人之を執(とら)う。王怒り、将に狄(てき)を以て鄭を伐たんとす。富辰(ふしん)諫めて曰く、「不可なり。古人言えること有りて曰く、『兄弟讒(ざん)して鬩(せめ)ぐも、人の侮りは百里』と。周文公の詩に曰く、『兄弟牆(かき)に鬩ぐも、外其の侮りを禦(ふせ)ぐ』と。是くの若くなれば則ち鬩ぐは乃ち内侮にして、鬩ぐと雖も親を敗らざるなり。鄭の天子に在るや、兄弟なり。鄭の武・荘は平・桓に大いに勲力有り。我が周の東遷するや、晋・鄭に是れ依る。子頽の乱も、又鄭に繇(よ)りて定まる。今小忿を以て之を棄つ、是れ小怨を以て大徳を置くなり、乃ち不可なること無からんや。且つ夫れ兄弟の怨みは、他に徴(め)さず。他に徴さば、利乃ち外なり。怨みを章(あら)わし利を外にするは、不義なり。親を棄てて狄に即くは、不祥なり。怨みを以て徳に報ゆるは、不仁なり。夫れ義は利を生ずる所以なり、祥は神に事うる所以なり、仁は民を保つ所以なり。不義なれば則ち利阜(おお)からず、不祥なれば則ち福降らず、不仁なれば則ち民至らず。古の明王は此の三徳を失わざる者なり。故に能く光(おお)いに天下を有ちて、百姓を和寧し、令聞忘れられず。王其れ以て之を棄つ可からず」と。王聴かず。十七年、王狄の師を降して以て鄭を伐つ。 王狄人を徳として、将に其の女を以て后と為さんとす。富辰諫めて曰く、「不可なり。夫れ婚姻は、禍福の階(きざはし)なり。之に由りて内を利すれば則ち福あり、外を利すれば則ち禍を取る。今王外を利す、其れ乃ち禍を階すること無からんや。昔摯(し)・疇(ちゅう)の国は大任(たいじん)に由り、杞(き)・繒(そう)は大姒(たいじ)に由り、斉・許・申・呂は大姜に由り、陳は大姫に由る。是れ皆能く内を利して親を親しむ者なり。昔鄢(えん)の亡ぶるや仲任に由り、密須(みっしゅ)は伯姞(はくきつ)に由り、鄶(かい)は叔妘(しゅくうん)に由り、耼(たん)は鄭姫に由り、息は陳媯(ちんき)に由り、鄧は楚曼(そまん)に由り、羅は季姫に由り、盧は荊媯(けいき)に由る。是れ皆外を利して親を離るる者なり」と。
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『春秋左氏伝』僖公二十四年 王子帯の乱初め、甘の昭公惠后に寵有り、惠后將に之を立てんとして、未だ及ばずして卒す。昭公齊に奔る、王之を復す。又隗氏に通ず。王隗氏を替つ。頹叔・桃子曰く、「我實に狄を使ふ、狄其れ我を怨まん」と。遂に大叔を奉じて狄の師を以て王を攻む。王の御士將に之を禦がんとす。王曰く、「先后其れ我を何とか謂はん。寧ろ諸侯をして之を圖らしめん」と。王遂に出で、坎欿に及ぶ、國人之を納る。秋、頹叔・桃子大叔を奉じて狄の師を以て周を伐ち、大いに周の師を敗り、周公忌父・原伯・毛伯・富辰を獲たり。王出でて鄭に適き、氾に處る。大叔隗氏を以て溫に居る。鄭の子華の弟子臧宋に出奔す。好んで鷸冠を聚む。鄭伯聞きて之を惡み、盜をして之を誘はしむ。八月、盜之を陳・宋の間に殺す。君子曰く、「服の衷ならざるは、身の災ひなり。《詩》に曰く、『彼の己の子、其の服に稱はず』と。子臧の服は、稱はざるかな。《詩》に曰く、『自ら伊の慼ひを詒す』と。其れ子臧の謂ひなり。《夏書》に曰く、『地平らかに天成る』と。稱ふなり」と。
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『春秋左氏伝』定公四年 尚徳か尚年か君行けば師從ひ、卿行けば旅從ふ。臣事無し」と。公曰く、「行け」と。皋鼬に及び、將に蔡を衛に長(さき)んぜんとす。衛侯祝佗をして萇弘に私せしめて曰く、「諸を道路に聞く、信否を知らず。若(も)し蔡將に衛に先んぜんとすと聞く、信なるか」と。萇弘曰く、「信なり。蔡叔は康叔の兄なり。衛に先んずるも、亦た可ならずや」と。子魚曰く、「先王を以って之を觀れば、則ち德を尚ぶなり。昔武王商に克ち、成王之を定め、明德を選建して、以って周に藩屏す。故に周公王室に相として以って天下に尹たり、周に於いて睦と為す。魯公に分かつに大路・大旂、夏后氏の璜、封父の繁弱、殷民六族、條氏・徐氏・蕭氏・索氏・長勺氏・尾勺氏を以ってし、其の宗氏を帥ゐ、其の分族を輯め、其の類醜を將ゐて、以って周公に法則し、用って命に周に即かしむ。是れ之をして職を魯に事とせしめ、以って周公の明德を昭らかにす。之に土田倍敦、祝宗卜史、備物典策、官司彝器を分かち、商奄の民に因りて、命ずるに伯禽を以ってして、少皞の虛に封ず。康叔に分かつに大路・少帛・綪茷・旃旌・大呂、
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『春秋左氏伝』襄公二十九年 魯を瘠せて杞を肥やす展瑕・展玉父、一耦と為る。公臣は、公巫召伯・仲顏莊叔、一耦と為る。鄫鼓父・黨叔、一耦と為る。晉侯、司馬女叔侯をして來りて杞田を治めしむ。盡くは歸さざるなり。晉の悼夫人慍りて曰く、「齊や貨を取れり。先君若し知る有らば、之を取るを尚ばざらん」と。公、叔侯に告ぐ。叔侯曰く、「虞・虢・焦・滑・霍・揚・韓・魏は、皆姬姓なり。晉是を以て大なり。若し小を侵すに非ずんば、將に何れの所より取らん。武・獻より以下、國を兼ぬること多し。誰か之を治むるを得ん。杞は夏の餘なり、而して東夷に即く。魯は周公の後なり、而して晉に睦まじ。杞を以て魯に封ずるも、猶ほ可なり。而るを何か有らん。魯の晉に於けるや、職貢乏しからず、玩好時に至り、公卿大夫、相繼いで朝す。史は書を絕たず、府は虛月無し。是くの如くにして可なり。何ぞ必ずしも魯を瘠せて以て杞を肥やさん。且つ先君にして知る有らば、毋寧ろ夫人ならん、而して焉んぞ老臣を用ゐん」と。杞の文公來りて盟ふ。書して子と曰ふは、之を賤しむなり。
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