春秋左氏伝 / 僖公二十三年 懐と安は名を敗る
及齊,齊桓公妻之,有馬二十乘。公子安之,從者以為不可,將行,謀於桑下。蠶妾在其上,以告姜氏。姜氏殺之,而謂公子曰:「子有四方之志,其聞之者,吾殺之矣。」公子曰:「無之。」姜曰:「行也。懷與安,實敗名。」公子不可。姜與子犯謀,醉而遣之。醒,以戈逐子犯。及曹,曹共公聞其駢脅,欲觀其裸。浴,薄而觀之。僖負羈之妻曰:「吾觀晉公子之從者,皆足以相國。若以相,夫子必反其國。反其國,必得志於諸侯。得志於諸侯,而誅無禮,曹其首也。子盍蚤自貳焉?」乃饋盤飧,寘璧焉。公子受飧反璧。及宋,宋襄公贈之以馬二十乘。
新字:及斉,斉桓公妻之,有馬二十乗。公子安之,従者以為不可,将行,謀於桑下。蠶妾在其上,以告姜氏。姜氏殺之,而謂公子曰:「子有四方之志,其聞之者,吾殺之矣。」公子曰:「無之。」姜曰:「行也。懐与安,実敗名。」公子不可。姜与子犯謀,酔而遣之。醒,以戈逐子犯。及曹,曹共公聞其駢脅,欲観其裸。浴,薄而観之。僖負羈之妻曰:「吾観晋公子之従者,皆足以相国。若以相,夫子必反其国。反其国,必得志於諸侯。得志於諸侯,而誅無礼,曹其首也。子盍蚤自貳焉?」乃饋盤飧,寘璧焉。公子受飧反璧。及宋,宋襄公贈之以馬二十乗。
書き下し
齊に及ぶ、齊の桓公之に妻はせ、馬二十乘有り。公子之に安んず。從ふ者以て不可と為し、將に行かんとして、桑下に謀る。蠶妾其の上に在り、以て姜氏に告ぐ。姜氏之を殺し、而して公子に謂ひて曰く、「子四方の志有り、其の之を聞く者は、吾之を殺せり」と。公子曰く、「之無し」と。姜曰く、「行け。懷と安とは、實に名を敗る」と。公子可かず。姜子犯と謀り、醉はしめて之を遣る。醒めて、戈を以て子犯を逐ふ。曹に及ぶ、曹の共公其の駢脅なるを聞き、其の裸を觀んと欲す。浴するに、薄りて之を觀る。僖負羈の妻曰く、「吾晉の公子の從者を觀るに、皆以て國に相たるに足る。若し以て相たらば、夫子必ず其の國に反らん。其の國に反らば、必ず志を諸侯に得ん。志を諸侯に得て、無禮を誅せば、曹其の首ならん。子盍ぞ蚤く自ら貳せざる」と。乃ち盤飧を饋り、璧を寘く。公子飧を受けて璧を反す。宋に及ぶ、宋の襄公之に贈るに馬二十乘を以てす。
現代語訳
重耳が斉に着くと、斉の桓公は一族の娘を妻として与え、馬車二十乗分の馬を持たせた。重耳はこの暮らしに安住してしまった。従者たちはこれではいけないと考え、斉を去ろうとして桑の木の下で相談した。ちょうど蚕の世話をする侍女が木の上にいて、このことを姜氏(重耳の斉での妻)に告げた。姜氏はその侍女を殺し、重耳に言った。「あなたには天下に雄飛する志がおありです。それを聞いた者は、私が殺しておきました」。重耳は「そんな志はない」と言った。姜氏は言った。「お行きなさい。妻への情と今の安楽とが、まことに名を損なうのです」。重耳は承知しなかった。姜氏は子犯と謀って、重耳を酔わせて送り出した。酔いから醒めた重耳は、戈を手に子犯を追いかけた。曹に着くと、曹の共公は重耳の肋骨がつながって一枚板になっていると聞き、その裸を見たがった。重耳が湯浴みしているところに近づいてのぞき見た。曹の大夫僖負羈(きふき)の妻が夫に言った。「晋の公子の従者たちを見ると、みな一国の宰相が務まる人物です。あの人たちが補佐すれば、あの方は必ず国に帰られます。国に帰れば、必ず諸侯の間で志を遂げられます。諸侯の間で志を遂げて、無礼を働いた者を罰するとなれば、曹がその第一でしょう。あなたは早く自分だけでも、君とは別の態度をお示しになってはどうですか」。そこで僖負羈は、盆に盛った食事を贈り、その中に璧を忍ばせた。重耳は食事は受け取ったが、璧は返した。宋に着くと、宋の襄公は馬車二十乗分の馬を贈った。
解説
この章句が説くこと
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「孔子東山に登りて魯を小とし、泰山に登りて天下を小とす。故に海を観る者には水と為し難く、聖人の門に游ぶ者には言と為し難し。水を観るに術有り、必ず其の瀾を観る。日月明有り、光を容るるところ必ず照らす。流水の物為るや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。」
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孟子・盡心章句上公孫丑曰く、「伊尹曰く、『予、不順に狎れしめず。』太甲を桐に放ち、民大いに悅ぶ。太甲賢となる。又之を反し、民大いに悅ぶ。賢者の人臣為るや、其の君、賢ならざれば、則ち固より放つ可きか。」孟子曰く、「伊尹の志有れば、則ち可なり。伊尹の志無ければ、則ち篡うなり。」
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史記 伯夷列伝子曰く、「道同じからざれば相ひ為に謀らず」と。亦た各々其の志に従ふなり。故に曰く、「富貴もし求む可くんば、執鞭の士と雖も、吾も亦た之を為さん。如し求む可からずんば、吾が好む所に従はん」と。「歳寒くして、然る後に松柏の凋むに後るるを知る」。世を挙げて混濁して、清士乃ち見はる。豈に其の重んずること彼の若く、其の軽んずること此くの若くなるを以てせんや。
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論語・里仁篇子曰わく、いやしくも仁に志せば、悪しきこと無し。
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史記 刺客列伝高漸離名姓を変じて人の庸保と為り、宋子に匿れ作す。之を久しくして、作苦しく、其の家の堂上に客の筑を撃つを聞き、傍偟して去る能はず。毎に言を出だして曰く、「彼に善有り善ならざる有り」と。従者以て其の主に告げて曰く、「彼の庸は乃ち音を知り、竊かに是非を言ふ」と。家の丈人召して前に筑を撃たしむ。一坐善しと称し、酒を賜ふ。而して高漸離、久しく隠れて畏約すること窮まる時無きを念ひ、乃ち退きて、其の装匣の中の筑と其の善衣とを出だし、容貌を更めて前む。坐を挙げて客皆驚き、下りて与に抗礼し、以て上客と為す。筑を撃ちて歌はしむ。客流涕して去らざる者無し。宋子伝へて之を客とし、秦の始皇に聞こゆ。秦の始皇召し見る。人識る者有りて、乃ち曰く、「高漸離なり」と。秦の皇帝其の善く筑を撃つを惜しみ、重ねて之を赦し、乃ち其の目を矐す。筑を撃たしむるに、未だ嘗て善しと称せずんばあらず。稍く益々之に近づく。高漸離乃ち鉛を以て筑の中に置き、復た進みて近づくを得、筑を挙げて秦の皇帝を樸つ。中らず。是に於て遂に高漸離を誅し、身を終ふるまで復た諸侯の人に近づかず。魯句践已に荊軻の秦王を刺せしを聞き、私かに曰く、「嗟乎、惜しいかな其の刺剣の術を講ぜざりしや。甚だしいかな吾の人を知らざるや。曩者吾之を叱す。彼乃ち我を以て人に非ずと為せしならん」と。太史公曰く、世に荊軻を言ふに、其の太子丹の命を称して、「天粟を雨らし、馬角を生ず」とするや、太だ過ぎたり。又荊軻秦王を傷つくと言ふも、皆非なり。始め公孫季功・董生、夏無且と游び、具に其の事を知り、余の為に之を道ふこと是の如し。曹沫より荊軻に至るまで五人、此れ其の義或いは成り或いは成らず。然れども其の意を立つること較然として、其の志を欺かず、名後世に垂る。豈に妄ならんや。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「名を好むの人は、能く千乘の國を讓る。苟くも其の人に非ざれば、簞食豆羹も色に見わる。」
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