春秋左氏伝 / 僖公二十二年 礼を為して無別に卒る
丙子晨,鄭文夫人芈氏、姜氏勞楚子於柯澤。楚子使師縉示之俘馘。君子曰:「非禮也。婦人送迎不出門,見兄弟不踰閾,戎事不邇女器。」丁丑,楚子入饗于鄭。九獻,庭實旅百,加籩豆六品。饗畢,夜出,文芈送于軍。取鄭二姬以歸。叔詹曰:「楚王其不沒乎?為禮卒於無別。無別不可謂禮,將何以沒?」諸侯是以知其不遂霸也。
新字:丙子晨,鄭文夫人芈氏、姜氏労楚子於柯沢。楚子使師縉示之俘馘。君子曰:「非礼也。婦人送迎不出門,見兄弟不踰閾,戎事不邇女器。」丁丑,楚子入饗于鄭。九献,庭実旅百,加籩豆六品。饗畢,夜出,文芈送于軍。取鄭二姫以帰。叔詹曰:「楚王其不没乎?為礼卒於無別。無別不可謂礼,将何以没?」諸侯是以知其不遂覇也。
書き下し
丙子の晨、鄭の文夫人芈氏・姜氏、楚子を柯澤に勞ふ。楚子師縉をして之に俘馘を示さしむ。君子曰く、「禮に非ざるなり。婦人は送迎に門を出でず、兄弟に見ゆるに閾を踰えず、戎事は女器に邇づけず」と。丁丑、楚子入りて鄭に饗せらる。九獻し、庭實旅百、籩豆六品を加ふ。饗畢りて、夜出づ。文芈軍に送る。鄭の二姬を取りて以て歸る。叔詹曰く、「楚王其れ沒せざらんか。禮を為して無別に卒る。無別は禮と謂ふべからず、將た何を以てか沒せん」と。諸侯是を以て其の霸を遂げざるを知るなり。
現代語訳
丙子の日の朝、鄭の文公の夫人である芈氏(びし、楚の出身)と姜氏が、柯沢で楚子(楚の成王)を慰労した。楚子は楽師の縉に命じて、泓水の戦いで得た捕虜と、討ち取った敵の左耳を夫人たちに見せた。君子は言った。「礼にはずれている。婦人は人を送り迎えするのに門の外に出ず、兄弟に会うときも敷居を越えない。戦の事柄を女性の身辺に近づけないものだ」。丁丑の日、楚子は鄭の都に入って饗応を受けた。酒を九度献じる最上級の礼で、庭には百品の贈り物が並べられ、さらに籩豆(へんとう、祭器の供え物)を六品加えた。宴が終わると、楚子は夜に城を出た。文芈(ぶんび、文公夫人の芈氏)がこれを軍営まで送った。楚子は鄭の二人の姫(芈氏の娘たち)を連れて帰った。叔詹(しゅくせん、鄭の大夫)は言った。「楚王はまともな死に方をしないのではないか。礼を尽くしながら、最後は男女の区別を失って終わった。区別のないことは礼とは言えない。どうして天寿を全うできようか」。諸侯はこのことから、楚の成王が覇業を成し遂げられないことを知ったのである。
解説
この章句が説くこと
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論語・八佾篇子曰く、『夏の礼、吾能く之を言う。杞は徵すに足らず。殷の礼、吾能く之を言う。宋は徵すに足らず。文献足らざる故なり。足らば、則ち吾能く之を徵せん。』
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