春秋左氏伝 / 僖公五年 弦子、恃みて備えず
陳轅宣仲怨鄭申侯之反己於召陵,故勸之城其賜邑,曰:「美城之,大名也,子孫不忘。吾助子請。」乃為之請於諸侯而城之,美。遂譖諸鄭伯曰:「美城其賜邑,將以叛也。」申侯由是得罪。秋,諸侯盟。王使周公召鄭伯曰:「吾撫女以從楚,輔之以晉,可以少安。」鄭伯喜於王命,而懼其不朝於齊也,故逃歸不盟。孔叔止之曰:「國君不可以輕,輕則失親;失親,患必至。病而乞盟,所喪多矣!君必悔之。」弗聽,逃其師而歸。楚鬭穀於菟滅弦,弦子奔黃。於是江、黃、道、柏方睦於齊,皆弦姻也。弦子恃之而不事楚,又不設備,故亡。
新字:陳轅宣仲怨鄭申侯之反己於召陵,故勧之城其賜邑,曰:「美城之,大名也,子孫不忘。吾助子請。」乃為之請於諸侯而城之,美。遂譖諸鄭伯曰:「美城其賜邑,将以叛也。」申侯由是得罪。秋,諸侯盟。王使周公召鄭伯曰:「吾撫女以従楚,輔之以晋,可以少安。」鄭伯喜於王命,而懼其不朝於斉也,故逃帰不盟。孔叔止之曰:「国君不可以軽,軽則失親;失親,患必至。病而乞盟,所喪多矣!君必悔之。」弗聴,逃其師而帰。楚闘穀於菟滅弦,弦子奔黄。於是江、黄、道、柏方睦於斉,皆弦姻也。弦子恃之而不事楚,又不設備,故亡。
書き下し
陳の轅宣仲鄭の申侯の己に召陵に反きしを怨む。故に之に其の賜邑に城かんことを勸めて、曰く、「美しく之に城くは、大名なり。子孫忘れざらん。吾子を助けて請はん」と。乃ち之が爲に諸侯に請ひて之に城く、美し。遂に諸を鄭伯に譖して曰く、「美しく其の賜邑に城くは、將に以って叛かんとするなり」と。申侯是に由りて罪を得たり。秋、諸侯盟ふ。王周公をして鄭伯を召さしめて曰く、「吾女を撫して以って楚に從はしめ、之を輔くるに晉を以ってせば、以って少しく安んず可し」と。鄭伯王命を喜び、而して其の齊に朝せざるを懼る。故に逃げ歸りて盟はず。孔叔之を止めて曰く、「國君は以って輕かる可からず。輕ければ則ち親を失ふ。親を失へば、患ひ必ず至る。病みて盟を乞はば、喪ふ所多からん。君必ず之を悔いん」と。聽かず。其の師を逃れて歸る。楚の鬭穀於菟弦を滅ぼす。弦子黃に奔る。是に於いて江・黃・道・柏方に齊に睦まじく、皆弦の姻なり。弦子之を恃みて楚に事へず、又備へを設けず。故に亡ぶ。
現代語訳
陳の轅宣仲(轅濤塗)は、鄭の申侯が召陵で自分を裏切ったことを怨んでいた。そこで申侯に、斉から賜った邑に城壁を築くよう勧めて言った。「立派な城を築けば、大きな名誉となり、子孫も忘れないでしょう。私があなたを助けて諸侯にお願いしましょう」。そして申侯のために諸侯に願い出て城壁を築かせた。城は立派なものになった。すると轅宣仲は申侯を鄭伯に讒言して言った。「賜った邑に立派な城を築いたのは、叛こうとしているからです」。申侯はこのことで罪を得た。秋、諸侯が首止で盟約を結んだ。周の恵王は周公(宰孔)を遣わして鄭伯を呼び、こう言わせた。「私はおまえをいたわって楚に従わせ、晋にも助けさせよう。そうすれば少しは安泰になろう」。鄭伯は王の命令を喜んだが、一方で斉に朝見しないことを恐れていた。そこで盟約の場から逃げ帰って盟わなかった。孔叔が止めて言った。「国君は軽々しく振る舞ってはなりません。軽ければ親しい者を失います。親しい者を失えば、災いが必ずやって来ます。追い詰められてから盟約を乞えば、失うものが多いでしょう。君はきっと後悔なさいます」。鄭伯は聞き入れず、自分の軍を置き去りにして帰国した。楚の鬭穀於菟(子文)が弦を滅ぼし、弦の君は黄に亡命した。このころ江・黄・道・柏の四国はちょうど斉と親しくしており、いずれも弦と婚姻関係にあった。弦の君はそれを頼みにして楚に仕えず、しかも防備も設けなかった。だから滅んだのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』成公八年 勇夫すら閉を重ぬ夏、宋公公孫壽をして來りて幣を納れしむ。禮なり。晉の趙莊姬趙嬰の亡の故を為して、之を晉侯に譖して曰く、「原・屏將に亂を為さんとす。欒・郤徵を為す」と。六月、晉趙同・趙括を討つ。武姬氏に從ひて公宮に畜はる。其の田を以て祁奚に與ふ。韓厥晉侯に言ひて曰く、「成季の勳、宣孟の忠にして、後無くんば、善を為す者其れ懼れん。三代の令王、皆數百年天の祿を保つ。夫れ豈に辟王無からんや。前哲に賴りて以て免るるなり。周書に曰く、『敢へて鰥寡を侮らず』と。德を明らかにする所以なり」と。乃ち武を立てて其の田を反す。秋、召の桓公來りて公に命を賜ふ。晉侯申公巫臣をして吳に如かしむ。道を莒に假る。渠丘公と池上に立ちて曰く、「城已だ惡し」と。莒子曰く、「辟陋にして夷に在り、其れ孰か我を以て虞と為さん」と。對へて曰く、「夫れ狡焉として封疆を啟きて、以て社稷を利せんと思ふ者は、何れの國か蔑からん。唯だ然り、故に大國多し。唯だ或いは思ひ或いは縱にするのみ。勇夫すら閉を重ぬ、況んや國をや」と。
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『春秋左氏伝』哀公十六年 熊宜僚、剣に動かず曰く、「王孫、何ぞ自ら厲ぐや」と。曰く、「勝は直を以て聞ゆ。女に告げずんば、庸ぞ直と為さんや。將に以て爾の父を殺さんとす」と。平、以て子西に告ぐ。子西曰く、「勝は卵の如し。余、翼して之を長ず。楚國の第、我死せば、令尹・司馬、勝に非ずして誰ぞ」と。勝、之を聞きて曰く、「令尹の狂なるや。死を得ば乃ち我に非ず」と。子西悛めず。勝、石乞に謂ひて曰く、「王と二卿士と、皆五百人もて之に當らば、則ち可なり」と。乞曰く、「得可からざるなり」と。曰く、「市の南に熊宜僚なる者有り。若し之を得ば、以て五百人に當る可し」と。乃ち白公に從ひて之を見る。之と言ひて說ぶ。之に故を告ぐ。辭す。之に承くるに劍を以てす。動かず。勝曰く、「利の為に諂はず、威の為に惕れず、人の言を洩らして以て媚を求めざる者なり」と。之を去る。吳人、慎を伐つ。白公、之を敗る。戰備を以て獻ぜんと請ふ。之を許す。遂に亂を作す。
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易経・履卦素履の往くは、独り願いを行うなり。幽人貞にして吉とは、中自ら乱れざるなり。眇にして能く視るとは、以て明有るに足らざるなり。跛にして能く履むとは、以て与に行くに足らざるなり。人を咥うの凶は、位当たらざればなり。武人大君と為るとは、志剛なればなり。愬愬たれば終には吉とは、志行わるるなり。夬めて履む、貞なれども厲しとは、位正に当たればなり。元いに吉にして上に在り、大いに慶び有るなり。
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『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
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孫子・虚実篇故に前に備うれば則ち後寡なく、後に備うれば則ち前寡なし。左に備うれば則ち右寡なく、右に備うれば則ち左寡なし。備えざる所無ければ、則ち寡なからざる所無し。寡なき者は人に備うる者なり、衆き者は人をして己に備えしむる者なり。
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葉隠・聞書第一覺りの士というのは、事に逢って仕(し)たるように、前方に、それぞれの仕様(しよう)を吟味し置いて、その時に出合い、仕果(しはた)す者である。不覺の士というのは、その時に至って前方に穿鑿せぬのは、不覺の士と申す。
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