春秋左氏伝 / 僖公四年 申生、新城に縊る
冬,叔孫戴伯帥師,會諸侯之師侵陳。陳成,歸轅濤塗。初,晉獻公欲以驪姬為夫人,卜之不吉,筮之吉。公曰:「從筮。」卜人曰:「筮短龜長,不如從長。且其繇曰:『專之渝,攘公之羭。一薰一蕕,十年尚猶有臭。』必不可。」弗聽,立之。生奚齊,其娣生卓子。及將立奚齊,既與中大夫成謀,姬謂大子曰:「君夢齊姜,必速祭之。」大子祭于曲沃,歸胙于公,公田,姬寘諸宮。六日,公至,毒而獻之。公祭之地,地墳;與犬,犬斃;與小臣,小臣亦斃。姬泣曰:「賊由大子。」大子奔新城,公殺其傅杜原款。或謂大子:「子辭,君必辯焉。」大子曰:「君非姬氏,居不安,食不飽。我辭,姬必有罪。君老矣,吾又不樂。」曰:「子其行乎?」大子曰:「君實不察其罪,被此名也以出,人誰納我?」十二月,戊申,縊于新城。姬遂譖二公子曰:「皆知之。」重耳奔蒲,夷吾奔屈。
新字:冬,叔孫戴伯帥師,会諸侯之師侵陳。陳成,帰轅濤塗。初,晋献公欲以驪姫為夫人,卜之不吉,筮之吉。公曰:「従筮。」卜人曰:「筮短亀長,不如従長。且其繇曰:『専之渝,攘公之羭。一薫一蕕,十年尚猶有臭。』必不可。」弗聴,立之。生奚斉,其娣生卓子。及将立奚斉,既与中大夫成謀,姫謂大子曰:「君夢斉姜,必速祭之。」大子祭于曲沃,帰胙于公,公田,姫寘諸宮。六日,公至,毒而献之。公祭之地,地墳;与犬,犬斃;与小臣,小臣亦斃。姫泣曰:「賊由大子。」大子奔新城,公殺其傅杜原款。或謂大子:「子辞,君必弁焉。」大子曰:「君非姫氏,居不安,食不飽。我辞,姫必有罪。君老矣,吾又不楽。」曰:「子其行乎?」大子曰:「君実不察其罪,被此名也以出,人誰納我?」十二月,戊申,縊于新城。姫遂譖二公子曰:「皆知之。」重耳奔蒲,夷吾奔屈。
書き下し
冬、叔孫戴伯師を帥ゐて、諸侯の師に會して陳を侵す。陳成ぎ、轅濤塗を歸す。初め、晉の獻公驪姬を以って夫人と爲さんと欲し、之を卜するに吉ならず、之を筮するに吉なり。公曰く、「筮に從はん」と。卜人曰く、「筮は短く龜は長し、長きに從ふに如かず。且つ其の繇に曰く、『專らにすれば之れ渝り、公の羭を攘む。一薰一蕕、十年にして尚ほ猶ほ臭有り』と。必ず不可なり」と。聽かずして、之を立つ。奚齊を生み、其の娣卓子を生む。將に奚齊を立てんとするに及び、既に中大夫と謀を成す。姬大子に謂ひて曰く、「君齊姜を夢む。必ず速やかに之を祭れ」と。大子曲沃に祭り、胙を公に歸る。公田す。姬諸を宮に寘くこと六日。公至る。毒して之を獻ず。公之を地に祭れば、地墳る。犬に與ふれば、犬斃る。小臣に與ふれば、小臣も亦た斃る。姬泣きて曰く、「賊は大子に由る」と。大子新城に奔る。公其の傅杜原款を殺す。或ひと大子に謂ふ、「子辭せば、君必ず辯かん」と。大子曰く、「君は姬氏に非ざれば、居安からず、食飽かず。我辭せば、姬必ず罪有らん。君老いたり、吾又樂しまず」と。曰く、「子其れ行かんか」と。大子曰く、「君實に其の罪を察せず。此の名を被りて以って出づれば、人誰か我を納れん」と。十二月、戊申、新城に縊る。姬遂に二公子を譖して曰く、「皆之を知る」と。重耳蒲に奔り、夷吾屈に奔る。
現代語訳
僖公四年の冬、叔孫戴伯が軍を率いて諸侯の軍と合流し、陳に侵入した。陳は講和し、諸侯は捕らえていた轅濤塗を返した。これより前、晋の献公は驪姫を正夫人にしようとして、亀卜で占うと不吉、筮で占うと吉と出た。献公は「筮に従おう」と言った。卜官は言った。「筮は当たる力が短く、亀卜は長いものです。長いほうに従うに越したことはありません。しかもその卜辞には『寵愛を専らにすれば心が変わり、公の雄羊を奪う。香草と臭草を一緒にすれば、十年たってもなお臭いが残る』とあります。決してなりません」。献公は聞き入れず、驪姫を夫人に立てた。驪姫は奚斉を生み、その妹は卓子を生んだ。奚斉を後継ぎに立てようとするに及んで、驪姫はすでに中大夫(里克ら)と計画を固めていた。驪姫は太子申生に言った。「君が亡き母君の斉姜を夢に見られました。すぐにお祭りなさい」。太子は曲沃で祭りを行い、供えた肉を献公に届けた。献公は狩りに出ていた。驪姫はその肉を宮中に六日間置いておいた。献公が帰ると、驪姫は毒を入れて差し出した。献公がそれを地に注いで祭ると、地面が盛り上がった。犬に与えると、犬は死んだ。小臣に食べさせると、小臣もまた死んだ。驪姫は泣いて言った。「謀反は太子から出たものです」。太子は新城に逃れた。献公は太子の守り役の杜原款を殺した。ある人が太子に言った。「あなたが弁明すれば、君はきっと真相を明らかにされましょう」。太子は言った。「君は驪姫がいなければ、落ち着いて居られず、食事も喉を通らない。私が弁明すれば、驪姫はきっと罪に問われる。君は年老いておられる。それで君が楽しまなくなるのは、私も望まない」。その人は言った。「では、国外へお逃げになりますか」。太子は言った。「君はまことに罪の所在を見極めておられない。この汚名を負って国を出たところで、誰が私を受け入れてくれよう」。十二月戊申、太子は新城で首をくくって死んだ。驪姫はそのまま二人の公子を讒言して言った。「二人ともこの企てを知っていました」。重耳は蒲に逃れ、夷吾は屈に逃れた。
解説
この章句が説くこと
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史記 晋世家地に祭れば、地墳(ふく)る。犬に与ふれば、犬死す。小臣に与ふれば、小臣死す。驪姫泣きて曰く、「太子何ぞ忍びなるや。其の父にして弑して之に代はらんと欲す。況んや他人をや。且つ君老いたり。旦暮の人なり。曾ち待つこと能はずして之を弑せんと欲す」と。献公に謂ひて曰く、「太子の然る所以は、妾及び奚斉の故を以てするに過ぎず。妾願はくは子母之を他国に辟けん。若しくは早く自殺せん。徒らに母子をして太子の魚肉とする所と為らしむること毋からん。始め君之を廃せんと欲するや、妾猶ほ之を恨む。今に至りて、妾殊に此に自失す」と。太子之を聞き、新城に奔る。献公怒り、乃ち其の傅杜原款を誅す。或ひと太子に謂ひて曰く、「此の薬を為る者は乃ち驪姫なり。太子何ぞ自ら辞して之を明らかにせざる」と。太子曰く、「吾が君老いたり。驪姫に非ずんば、寝ぬるも安からず、食らふも甘からず。即し之を辞せば、君且に之を怒らんとす。不可なり」と。或ひと太子に謂ひて曰く、「他国に奔るべし」と。太子曰く、「此の悪名を被りて以て出づれば、人誰か我を内れん。我自殺せんのみ」と。十二月戊申、申生新城に自殺す。此の時重耳・夷吾来朝す。人或いは驪姫に告げて曰く、「二公子驪姫の太子を譖殺せしを怨む」と。驪姫恐れ、因りて二公子を譖す、「申生の薬胙は、二公子之を知れり」と。二子之を聞きて恐れ、重耳は蒲に走り、夷吾は屈に走り、其の城を保ちて、自ら備へ守る。初め、献公士蒍をして二公子の為に蒲・屈の城を築かしむるも、就らず。夷吾以て公に告ぐ。公士蒍を怒る。士蒍謝して曰く、「辺城は寇少なし。安んぞ之を用ひん」と。退きて歌ひて曰く、「狐裘蒙茸たり、一国に三公あり、吾誰にか適従せん」と。卒に城を就す。申生の死するに及びて、二子も亦た帰りて其の城を保つ。二十二年、献公二子の辞せずして去るを怒り、果たして謀有りとし、乃ち兵をして蒲を伐たしむ。蒲人の宦者勃鞮重耳に命じて促して自殺せしめんとす。重耳垣を踰ゆ。宦者追ひて其の衣袪を斬る。重耳遂に翟に奔る。人をして屈を伐たしむ。屈の城守りて、下すべからず。
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『春秋左氏伝』桓公十六年 急子と寿、身代わりの死十六年春正月、曹に會す。鄭を伐たんことを謀るなり。夏、鄭を伐つ。秋七月、公鄭を伐つより至る。飲至の禮を以てするなり。冬、向に城く。書するは、時なればなり。初め、衛の宣公夷姜に烝し、急子を生む。諸を右公子に屬す。之が為に齊に娶る。而して美なり。公之を取り、壽及び朔を生む。壽を左公子に屬す。夷姜縊る。宣姜と公子朔と急子を構ふ。公諸を齊に使ひせしめ、盜をして諸を莘に待たしめ、將に之を殺さんとす。壽子之に告げ、行らしめんとす。可かず。曰く、「父の命を棄てば、惡んぞ子を用ゐん。父無きの國有らば則ち可なり」と。行くに及び、飲ましむるに酒を以てす。壽子其の旌を載せて以て先んず。盜之を殺す。急子至りて曰く、「我を之れ求むるなり。此何の罪かある。請ふ我を殺せ」と。又之を殺す。二公子故に惠公を怨む。十一月、左公子泄・右公子職、公子黔牟を立つ。惠公齊に奔る。
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史記 楚世家無忌又日夜太子建を王に讒して曰く、「無忌秦の女を入れしより、太子怨み、亦た王に望むこと無き能はず。王少しく自ら備へよ。且つ太子城父に居り、兵を擅にし、外に諸侯と交はり、且に入らんと欲す」と。平王其の傅伍奢を召して之を責む。伍奢無忌の讒を知り、乃ち曰く、「王奈何ぞ小臣を以て骨肉を疎んずる」と。無忌曰く、「今制せずんば、後に悔いん」と。是に於て王遂に伍奢を囚ふ。乃ち司馬奮揚をして太子建を召さしめ、之を誅せんと欲す。太子之を聞き、亡げて宋に奔る。無忌曰く、「伍奢に二子有り。殺さざる者は楚国の患と為らん。盍ぞ其の父を免すを以て之を召さざる。必ず至らん」と。是に於て王使ひをして奢に謂はしむ、「能く二子を致さば則ち生きん。能はずんば将に死せん」と。奢曰く、「尚は至らん。胥は至らず」と。王曰く、「何ぞや」と。奢曰く、「尚の人と為りは、廉にして、節に死し、慈孝にして仁なり。召されて父を免すと聞かば、必ず至りて、其の死を顧みず。胥の人と為りは、智にして謀を好み、勇にして功を矜る。来たらば必ず死するを知る。必ず来たらず。然れども楚国の憂ひと為る者は必ず此の子ならん」と。是に於て王人をして之を召さしめて曰く、「来たれ。吾爾の父を免さん」と。伍尚伍胥に謂ひて曰く、「父免さるると聞きて奔ること莫きは、不孝なり。父戮せられて報ゆること莫きは、無謀なり。能を度りて事に任ずるは、知なり。子其れ行け。我其れ帰りて死せん」と。伍尚遂に帰る。伍胥弓を彎き矢を属け、出でて使者を見て曰く、「父罪有り。何を以て其の子を召すことを為す」と。将に射んとす。使者還り走る。遂に出でて呉に奔る。伍奢之を聞きて曰く、「胥亡ぐ。楚国危ふきかな」と。楚人遂に伍奢及び尚を殺す。十年、楚の太子建の母居巣に在り、呉に開く。呉公子光をして楚を伐たしめ、遂に陳・蔡を敗り、太子建の母を取りて去る。楚恐れ、郢に城く。初め、呉の辺邑卑梁と楚の辺邑鐘離の小童と桑を争ふ。両家交々怒りて相攻め、卑梁の人を滅ぼす。卑梁の大夫怒り、邑の兵を発して鐘離を攻む。楚王之を聞きて怒り、国の兵を発して卑梁を滅ぼす。
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