史記 / 楚世家
無忌又日夜讒太子建於王曰:「自無忌入秦女,太子怨,亦不能無望於王,王少自備焉。且太子居城父,擅兵,外交諸侯,且欲入矣。」平王召其傅伍奢責之。伍奢知無忌讒,乃曰:「王柰何以小臣疎骨肉?」無忌曰:「今不制,後悔也。」於是王遂囚伍奢。乃令司馬奮揚召太子建,欲誅之。太子聞之,亡奔宋。無忌曰:「伍奢有二子,不殺者爲楚國患。盍以免其父召之,必至。」於是王使使謂奢:「能致二子則生,不能將死。」奢曰:「尚至,胥不至。」王曰:「何也?」奢曰:「尚之爲人,廉,死節,慈孝而仁,聞召而免父,必至,不顧其死。胥之爲人,智而好謀,勇而矜功,知來必死,必不來。然爲楚國憂者必此子。」於是王使人召之,曰:「來,吾免爾父。」伍尚謂伍胥曰:「聞父免而莫奔,不孝也;父戮莫報,無謀也;度能任事,知也。子其行矣,我其歸死。」伍尚遂歸。伍胥彎弓屬矢,出見使者,曰:「父有罪,何以召其子爲?」將射,使者還走,遂出奔呉。伍奢聞之,曰:「胥亡,楚國危哉。」楚人遂殺伍奢及尚。十年,楚太子建母在居巣,開呉。呉使公子光伐楚,遂敗陳、蔡,取太子建母而去。楚恐,城郢。初,呉之邊邑卑梁與楚邊邑鐘離小童爭桑,兩家交怒相攻,滅卑梁人。卑梁大夫怒,發邑兵攻鐘離。楚王聞之怒,發國兵滅卑梁。
新字:無忌又日夜讒太子建於王曰:「自無忌入秦女,太子怨,亦不能無望於王,王少自備焉。且太子居城父,擅兵,外交諸侯,且欲入矣。」平王召其傅伍奢責之。伍奢知無忌讒,乃曰:「王柰何以小臣疎骨肉?」無忌曰:「今不制,後悔也。」於是王遂囚伍奢。乃令司馬奮揚召太子建,欲誅之。太子聞之,亡奔宋。無忌曰:「伍奢有二子,不殺者為楚国患。盍以免其父召之,必至。」於是王使使謂奢:「能致二子則生,不能将死。」奢曰:「尚至,胥不至。」王曰:「何也?」奢曰:「尚之為人,廉,死節,慈孝而仁,聞召而免父,必至,不顧其死。胥之為人,智而好謀,勇而矜功,知来必死,必不来。然為楚国憂者必此子。」於是王使人召之,曰:「来,吾免爾父。」伍尚謂伍胥曰:「聞父免而莫奔,不孝也;父戮莫報,無謀也;度能任事,知也。子其行矣,我其帰死。」伍尚遂帰。伍胥彎弓属矢,出見使者,曰:「父有罪,何以召其子為?」将射,使者還走,遂出奔呉。伍奢聞之,曰:「胥亡,楚国危哉。」楚人遂殺伍奢及尚。十年,楚太子建母在居巣,開呉。呉使公子光伐楚,遂敗陳、蔡,取太子建母而去。楚恐,城郢。初,呉之辺邑卑梁与楚辺邑鐘離小童争桑,両家交怒相攻,滅卑梁人。卑梁大夫怒,発邑兵攻鐘離。楚王聞之怒,発国兵滅卑梁。
書き下し
無忌又日夜太子建を王に讒して曰く、「無忌秦の女を入れしより、太子怨み、亦た王に望むこと無き能はず。王少しく自ら備へよ。且つ太子城父に居り、兵を擅にし、外に諸侯と交はり、且に入らんと欲す」と。平王其の傅伍奢を召して之を責む。伍奢無忌の讒を知り、乃ち曰く、「王奈何ぞ小臣を以て骨肉を疎んずる」と。無忌曰く、「今制せずんば、後に悔いん」と。是に於て王遂に伍奢を囚ふ。乃ち司馬奮揚をして太子建を召さしめ、之を誅せんと欲す。太子之を聞き、亡げて宋に奔る。無忌曰く、「伍奢に二子有り。殺さざる者は楚国の患と為らん。盍ぞ其の父を免すを以て之を召さざる。必ず至らん」と。是に於て王使ひをして奢に謂はしむ、「能く二子を致さば則ち生きん。能はずんば将に死せん」と。奢曰く、「尚は至らん。胥は至らず」と。王曰く、「何ぞや」と。奢曰く、「尚の人と為りは、廉にして、節に死し、慈孝にして仁なり。召されて父を免すと聞かば、必ず至りて、其の死を顧みず。胥の人と為りは、智にして謀を好み、勇にして功を矜る。来たらば必ず死するを知る。必ず来たらず。然れども楚国の憂ひと為る者は必ず此の子ならん」と。是に於て王人をして之を召さしめて曰く、「来たれ。吾爾の父を免さん」と。伍尚伍胥に謂ひて曰く、「父免さるると聞きて奔ること莫きは、不孝なり。父戮せられて報ゆること莫きは、無謀なり。能を度りて事に任ずるは、知なり。子其れ行け。我其れ帰りて死せん」と。伍尚遂に帰る。伍胥弓を彎き矢を属け、出でて使者を見て曰く、「父罪有り。何を以て其の子を召すことを為す」と。将に射んとす。使者還り走る。遂に出でて呉に奔る。伍奢之を聞きて曰く、「胥亡ぐ。楚国危ふきかな」と。楚人遂に伍奢及び尚を殺す。十年、楚の太子建の母居巣に在り、呉に開く。呉公子光をして楚を伐たしめ、遂に陳・蔡を敗り、太子建の母を取りて去る。楚恐れ、郢に城く。初め、呉の辺邑卑梁と楚の辺邑鐘離の小童と桑を争ふ。両家交々怒りて相攻め、卑梁の人を滅ぼす。卑梁の大夫怒り、邑の兵を発して鐘離を攻む。楚王之を聞きて怒り、国の兵を発して卑梁を滅ぼす。
現代語訳
費無忌はさらに昼も夜も太子建のことを王に讒言した。「私が秦の女を王のもとに入れて以来、太子は恨んでいて、王に不満を抱かずにはいられないでいる。王は少しご用心なさるべきだ。しかも太子は城父にいて兵を思いのままに動かし、外では諸侯と交わりを結び、都に攻め入ろうとしている」。平王は太子の守り役の伍奢を呼んで責めた。伍奢は費無忌の讒言だとわかっていたので言った。「王はどうしてつまらぬ臣下の言葉で、骨肉の子を遠ざけられるのか」。費無忌は言った。「いま抑えておかなければ、後で悔やむことになる」。そこで王はついに伍奢を捕らえた。そして司馬の奮揚に太子建を呼び寄せさせ、誅殺しようとした。太子はこれを聞いて宋に逃れた。費無忌は言った。「伍奢には二人の子がいる。殺しておかなければ楚の災いとなるだろう。父を許すと言って二人を呼び寄せてはどうか。きっと来るだろう」。そこで王は使者を送って伍奢に言わせた。「二人の子を呼び寄せることができれば生かしてやる。できなければ殺す」。伍奢は言った。「尚は来るだろう。胥(子胥)は来ない」。王が「なぜか」と問うと、伍奢は言った。「尚の人柄は、清廉で節義のために死ぬことをいとわず、親思いで思いやりがある。呼ばれて父が許されると聞けば、必ず来て、自分が死ぬことなど顧みないだろう。胥の人柄は、智恵があって謀りごとを好み、勇敢で手柄を誇りとする。来れば必ず殺されるとわかっているから、決して来ない。しかし楚の国の憂いとなるのは、きっとこの子だ」。そこで王は人を送って二人を呼び寄せ、「来い。おまえたちの父を許してやる」と言わせた。伍尚は伍胥に言った。「父が許されると聞いて駆けつけないのは、親不孝だ。父が殺されて仇を討たないのは、謀りごとがないことになる。それぞれの能力を見きわめて役目を引き受けるのが、智恵というものだ。おまえは逃げよ。私は帰って死のう」。伍尚はそのまま都へ帰った。伍胥は弓を引き絞り矢をつがえて、出てきて使者に会い、言った。「父に罪があるというのに、なぜその子まで呼び寄せるのか」。そして射ようとしたので、使者は引き返して逃げた。伍胥はそのまま国を出て呉に逃れた。伍奢はこれを聞いて言った。「胥が逃げた。楚の国は危うくなるぞ」。楚はついに伍奢と伍尚を殺した。十年、楚の太子建の母は居巣にいたが、呉に内通した。呉は公子光に楚を攻めさせ、陳と蔡を破り、太子建の母を連れ去った。楚は恐れて郢に城壁を築いた。これより前、呉の国境の町の卑梁と、楚の国境の町の鐘離の子どもたちが、桑の葉をめぐって争ったことがあった。両家は互いに怒って攻め合い、鐘離の者が卑梁の人を殺した。卑梁の大夫は怒り、町の兵を出して鐘離を攻めた。楚王はこれを聞いて怒り、国の兵を出して卑梁を滅ぼした。
解説
関連する章句
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史記 楚世家呉王之を聞きて大いに怒り、亦た兵を発し、公子光をして建の母の家に因りて楚を攻めしめ、遂に鐘離・居巣を滅ぼす。楚乃ち恐れて郢に城く。十三年、平王卒す。将軍子常曰く、「太子珍は少く、且つ其の母は乃ち前の太子建の当に娶るべき所なり」と。令尹子西を立てんと欲す。子西は、平王の庶弟なり。義有り。子西曰く、「国に常法有り。更に立つれば則ち乱れん。之を言へば則ち誅を致さん」と。乃ち太子珍を立つ。是を昭王と為す。昭王の元年、楚の衆費無忌を説ばず。其の讒して太子建を亡げしめ、伍奢子父と郤宛を殺ししを以てなり。宛の宗姓伯氏の子及び子胥皆呉に奔る。呉の兵数々楚を侵す。楚人無忌を怨むこと甚だし。楚の令尹子常無忌を誅して以て衆を説ばしむ。衆乃ち喜ぶ。四年、呉の三公子楚に奔る。楚之を封じて以て呉を捍がしむ。五年、呉伐ちて楚の六・潜を取る。七年、楚子常をして呉を伐たしむ。呉大いに楚を豫章に敗る。十年冬、呉王闔閭・伍子胥・伯(伯嚭)唐・蔡と倶に楚を伐つ。楚大いに敗れ、呉の兵遂に郢に入り、平王の墓を辱む。伍子胥の故を以てなり。呉の兵の来たるや、楚子常をして兵を以て之を迎へしめ、漢水を夾みて陣す。呉伐ちて子常を敗る。子常亡げて鄭に奔る。楚の兵走る。呉勝ちに乗じて之を逐ひ、五たび戦ひて郢に及ぶ。己卯、昭王出奔す。庚辰、呉人郢に入る。昭王亡げて雲夢に至る。雲夢其の王なるを知らず、射て王を傷つく。王鄖に走る。鄖公の弟懐曰く、「平王吾が父を殺す。今我其の子を殺す。亦た可ならずや」と。鄖公之を止む。然れども其の昭王を弑せんことを恐れ、乃ち王と出でて随に奔る。呉王昭王の往くを聞き、即ち進みて随を撃ち、随人に謂ひて曰く、「周の子孫の江漢の間に封ぜらるる者、楚尽く之を滅ぼせり」と。昭王を殺さんと欲す。王の従臣子綦乃ち深く王を匿し、自ら以て王と為し、随人に謂ひて曰く、「我を以て呉に予へよ」と。
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史記 伍子胥列伝無忌既に秦の女を以て自ら平王に媚び、因りて太子を去りて平王に事ふ。一旦平王卒して太子立たば己を殺さんことを恐れ、乃ち因りて太子建を讒す。建の母は蔡の女なり、平王に寵無し。平王稍く益々建を疏んじ、建をして城父を守り辺兵に備へしむ。頃之、無忌又日夜太子の短を王に言ひて曰く、「太子は秦の女の故を以て、怨望無きこと能はず。願はくは王少しく自ら備へよ。太子、城父に居り兵を将ゐし自り、外、諸侯に交はり、且に入りて乱を為さんと欲す」と。平王乃ち其の太傅伍奢を召して之を考問す。伍奢、無忌の太子を平王に讒するを知り、因りて曰く、「王独り奈何ぞ讒賊の小臣を以て骨肉の親を疏んずるか」と。無忌曰く、「王今制せずは、其の事成らん。王且に禽にせられんとす」と。是に於いて平王怒り、伍奢を囚らへ、城父の司馬奮揚をして往きて太子を殺さしむ。行きて未だ至らず、奮揚、人をして先づ太子に告げしむ、「太子急に去れ、然らずんば将に誅せられんとす」と。太子建、亡げて宋に奔る。
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史記 伍子胥列伝伍子胥は、楚人なり、名は員。員の父は伍奢と曰ふ。員の兄は伍尚と曰ふ。其の先は伍挙と曰ひ、直諫を以て楚の荘王に事へて、顕るる有り、故に其の後世は楚に名有り。楚の平王に太子有り、名を建と曰ふ。伍奢をして太傅と為し、費無忌をして少傅と為さしむ。無忌、太子建に忠ならず。平王、無忌をして太子の為に婦を秦より取らしむ。秦の女好し、無忌馳せて帰り、平王に報じて曰く、「秦の女は絶だ美なり、王自ら取る可し、而して更に太子の為に婦を取れ」と。平王遂に自ら秦の女を取りて絶だ之を愛幸し、子の軫を生む。更に太子の為に婦を取る。
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史記 伍子胥列伝無忌、平王に言ひて曰く、「伍奢に二子有り、皆賢なり、誅せずんば且に楚の憂ひと為らんとす。其の父を質と以て之を召す可し、然らずんば且に楚の患ひと為らんとす」と。王、使ひをして伍奢に謂はしめて曰く、「能く汝の二子を致さば則ち生きん、能はざれば則ち死せん」と。伍奢曰く、「尚の人と為りは仁なり、呼ばば必ず来たらん。員の人と為りは剛戻にして訽を忍び、能く大事を成す。彼、来たらば之れ并せて禽にせらるるを見て、其の勢ひ必ず来たらざらん」と。王聴かず、人をして二子を召さしめて曰く、「来たらば吾汝の父を生かさん、来たらざれば今奢を殺さん」と。伍尚往かんと欲す。員曰く、「楚の我が兄弟を召すは、以て我が父を生かさんと欲するに非ざるなり。脱する者有らば後患ひを生ぜんことを恐れ、故に父を質と為して詐りて二子を召す。二子到れば則ち父子倶に死せん。何ぞ父の死に益せん。往くも讎をして報ずるを得ざらしむるのみ。他国に奔り、力を借りて以て父の恥を雪ぐに如かず、倶に滅ぶるは為す無きなり」と。伍尚曰く、「我往くも終に父の命を全くする能はざるを知る。然れども父我を召し以て生くるを求めて往かずして、後恥を雪ぐ能はず、終に天下の笑ひと為るを恨むのみ」と。員に謂ふ、「去る可し、汝能く父を殺すの讎に報いん、我将に死に帰せん」と。尚既に執らはれに就き、使者、伍胥を捕らふ。伍胥、弓を貫り矢を執りて使者に向かふ。使者敢て進まず、伍胥遂に亡ぐ。太子建の宋に在るを聞き、往きて之に従ふ。奢、子胥の亡ぐるを聞くや、曰く、「楚国の君臣、且に兵に苦しまんとす」と。伍尚楚に至り、楚、并せて奢と尚とを殺す。
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史記 呉太伯世家七年、楚の公子囲、其の王夾敖を弑して代りて立つ。是れを霊王と為す。十年、楚の霊王、諸侯を会して以て呉の朱方を伐ち、以て斉の慶封を誅す。呉も亦楚を攻め、三邑を取りて去る。十一年、楚、呉を伐ちて雩婁に至る。十二年、楚復た来り伐ち、乾谿に次る。楚の師敗走す。十七年、王余祭卒し、弟余眛立つ。王余眛の二年、楚の公子棄疾、其の君霊王を弑して代りて立つ。四年、王余眛卒し、弟季札に授けんと欲す。季札譲りて、逃げ去る。是に於て呉人曰く、「先王命有り、兄卒すれば弟代りて立ち、必ず季子に致さんと。季子今位を逃る、則ち王余眛後に立つ。今卒す、其の子当に代るべし」と。乃ち王余眛の子僚を立てて王と為す。王僚の二年、公子光、楚を伐ち、敗れて王舟を亡ふ。光懼れ、楚を襲ひ、復た王舟を得て還る。五年、楚の亡臣伍子胥来奔し、公子光之を客とす。公子光とは、王諸樊の子なり。常に以為へらく、吾が父の兄弟四人、当に伝へて季子に至るべし。季子即し国を受けずんば、光の父先に立つ。即し季子に伝へずんば、光当に立つべしと。陰かに賢士を納れ、以て王僚を襲はんと欲す。八年、呉、公子光をして楚を伐たしむ。楚の師を敗り、楚の故の太子建の母を居巣に迎へて以て帰る。因りて北伐し、陳・蔡の師を敗る。九年、公子光、楚を伐ち、居巣・鍾離を抜く。初め、楚の辺邑卑梁氏の処女、呉の辺邑の女と桑を争ひ、二女の家怒りて相滅し、両国の辺邑の長之を聞き、怒りて相攻め、呉の辺邑を滅す。呉王怒り、故に遂に楚を伐ち、両都を取りて去る。伍子胥の初めて呉に奔るや、呉王僚に説くに楚を伐つの利を以てす。公子光曰く、「胥の父兄は楚に僇せらる。自ら其の仇に報いんと欲するのみ。未だ其の利を見ず」と。
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呂氏春秋・愼行②荊の平王に臣有り、費無忌と曰う。太子建を害み、之を去らんと欲す。王、建の為に妻を秦より取るに美なり。無忌、王に勸めて奪う。王已に之を奪いて、太子を疏ず。無忌、王に說きて曰く、「晉の霸たるや、諸夏に近ければなり。而るに荊は僻なり。故に與に爭うこと能わず。大いに城父に城きて、太子を置き、以て北方を求めしめ、王は南方を収むるに若かず。是れ天下を得るなり。」王說び、太子をして城父に居らしむ。居ること一年、乃ち之を惡りて曰く、「建、連尹と將に方城の外を以て反せんとす。」王曰く、「已に我が子為り。又尚ほ奚をか求めん。」對えて曰く、「妻の事を以て怨む。且つ自ら以為えらく、猶ほ宋のごとし、と。齊・晉又之を輔け、將に以て荊を害せんとす。其の事已に集れり。」王之を信じ、連尹を執らえしむ。太子建は出奔す。左尹郤宛は、國人之を說ぶ。無忌又之を殺さんと欲し、令尹子常に謂いて曰く、「郤宛は令尹に酒を飲ましめんと欲す。」又郤宛に謂いて曰く、「令尹、酒を子の家に飲まんと欲す。」郤宛曰く、「我賤人なり。以て令尹を辱くするに足らず。令尹必ず來たりて辱くせば、我且に何を以てか之を給待せん。」無忌曰く、「令尹は甲兵を好む。子出だして之を門に寘き、令尹至りなば、必ず之を觀ん。已にして因りて以て酬と為せ。」饗日に及び、門の左右に惟して甲兵を寘く。無忌因りて令尹に謂いて曰く、「吾幾んど令尹に禍いせんとす。郤宛將に令尹を殺さんとす。甲門に在り。」令尹、人をして之を視しむるに、信なり。遂に郤宛を攻めて、之を殺す。國人大いに怨み、胙を進むる者、令尹を非らざるもの莫し。沈尹戍、令尹に謂いて曰く、「夫の無忌は、荊の讒人なり。太子建を亡せしめ、連尹奢を殺し、王の耳目を屏う。今令尹又之を用い、衆く不辜を殺し、以て大謗を興し、患い幾んど令尹に及ばんとす。」令尹子常曰く、「是れ吾が罪なり。敢て良く圖らざらんや。」乃ち費無忌を殺し、盡く其の族を滅ぼし、以て其の國を說ばす。動くに其の義を論ぜず、人を害するを知るも、人の己を害するを知らず、以て其の族を滅ぼすは、費無忌の謂か。
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